★【映画評】荒野の七人(1960)The Magnificent Seven

Magnificent Seven黒澤明は西部劇で育った。その黒澤の映画を西部劇でリメイクするのは、いわば逆輸入である。『荒野の七人』は作られるべくして作られた映画と言えよう。

というわけで、話すら忘れていた『七人の侍』のハリウッド版リメイクだが、ハリウッド史上の名作とされているこの映画が、黒澤にくらべるとここまでダメダメの駄作だったとは、今になって初めて知った。

真っ白なよそ行き着た裕福そうな百姓! はした金のために戦うガンマン! 最もドラマチックで手に汗握るシーンが軒並みカットされたため、ほとんど室内で話をしているだけの登場人物! そしてとどめに侍や刀と比較した場合の、ガンマンや銃のかっこ悪さまで、『荒野の七人』を徹底的に罵倒する。

参考
「七人の侍」と黒澤明と三船敏郎の話

How are Samurai Films Responsible for Star Wars?!? – Film School’d

黒澤とハリウッドの関係については上のYouTubeの動画がわかりやすい。
英語がわからなくても、アニメーションでだいたいわかるし、自動英語字幕も(AkiraがA-cure-allになったりするのを除けば)まあまあ使えるから、黒澤ファン、いや映画ファンはぜひ見てほしい。

The Magnificent Seven (1960)

Director:

John Sturges

Writer:

William Roberts (screenplay)

しかしこれ見てると、私がオールタイムベストにあげた『地獄の黙示録』のフランシス・コッポラ(監督)もジョン・ミリアス(脚本)も黒澤の影響が大で、私が黒澤嫌いと唱えつつも黒澤に心酔せざるを得ないのは当然か。

そしてかく言う私も西部劇で育った。もちろん黒澤とは時代が違うから私の方がずっとあとだし、ジョン・ウェインが(例によって偉そうな家父長的男なので)嫌いだったからジョン・フォードもあまり好きじゃなかったけどね。

私が西部劇を好きだったのは、例によって馬が見られるからという理由、それに私が幼い頃はまだ西部劇全盛時代だったからだ。まだ小さくて映画館には行けないから主にテレビで見てたんだけどね。『ララミー牧場』とか『ローハイド』とか『ローン・レンジャー』をリアルタイムで見て育った。
実を言うとまだ幼すぎて、こういうテレビドラマはストーリーがよくわからないことが多かったんだけど、それでもカウボーイやガンマンはかっこよかったので満足だった。(馬はもちろん彼らの誰よりも美しくかっこよかったけど)。
私が生まれて初めて惚れたハリウッドスターは『ローハイド』でロディを演じた若きクリント・イーストウッドだったし、後にはイーストウッドを追っかけて、マカロニウエスタンまで見ていたぐらい。

だから『荒野の七人』も楽しみにして見た。いや、もちろん初めてじゃないのだが、例によって記憶力のない私は、ストーリーなんかきれいに全部忘れている。(こうやって映画評を書くのは忘れないためでもある) 『ウエストワールド』のユル・ブリンナーは、この映画のクリスにそっくりそのままの扮装をしているというような、くだらないことはよく覚えているんだが。『ウエストワールド』のほうがずっと新しいので、こっちのほうが記憶も新鮮でね。
それで録画を見る前に思ったのは、「楽しみだけど、もしかしてこっちのほうがぜんぜん良くて、『七人の侍』がヘボく見えたらいやだなあ」ということ。

だってそうじゃない?  確かに映画はすばらしいけど、主役の志村喬、三船敏郎の二大スターを除けば、『七人の侍』の役者陣は見るからに肥臭い百姓面ばっかりなので、ユル・ブリンナー、スティーヴ・マックイーン、ジェイムズ・コバーン、ロバート・ヴォーン、チャールズ・ブロンソン、あと2人はそれほど有名じゃないが、キラ星のごとき大スターを揃えた『荒野の七人』には見劣りするんではないかと。そもそも言いたかないが、ちょんまげ頭のお侍よりはガンマンの方がかっこいいしねえ。

リメイクというのもバカにされがちだが、私はハリウッド・リメイクはけっこう好きなのだ。なんと言っても後出しなぶん、おいしい所だけ取って、そうでないところはいくらでも改変できる強みがある。
それに腐ってもハリウッドだし、金もかかってるし、いい意味で万人向けだし、私はオリジナルよりリメイクの方が好きということがよくある。
だいたいリメイクされるような外国映画は(もちろん邦画も含めて)みんな英語じゃないのに、ハリウッド版は英語っていうだけでも私的にはありがたい。
それにこっちはカラーだし。モノクロ作品はそれだけ見てる分には色がないことなんか忘れてるんだが、カラーの世界に戻ってくるとやっぱり物足りないから。

そんなわけでちょっと気分が重かった。黒澤明は神であるという前提で書き始めたリビューなのに、ここで「やっぱり『荒野の七人』のほうが良かったわ」というんじゃ腰砕けもいいとこで、そうなったらまずいなという感じで。

でも録画を見始めて予想外の方向に口あんぐり。

まず最初に私が違和感を覚えたのは、村人(百姓の村はこちらではメキシコ人の村になっている)が妙に身ぎれいでこざっぱりしていること。服なんか洗濯してアイロンかけたばかりという感じで真っ白じゃないさ。『七人の侍』の百姓たちなんて、本当にボロボロの煮しめたような着物きてたのに。
おまけにどいつもこいつもツヤツヤと血色のいい顔しやがって、これじゃぜんぜん飢え死にしそうなほど貧しくは見えないし、「さむれえ雇うだ!」という所まで追い詰められた、オリジナルの切迫感がまったくない。
貧乏ですらない(苦笑)。村人が金がないと言うと、長老がポンと金の袋を与えるのだ。別に食うに困っている様子もないし、なんかもうこの人たち、ちっともかわいそうでないばかりか、ステレオタイプの(ソンブレロかぶって昼寝ばっかりしている)いかにものんきなメキシコ人にしか見えないよ!

Wikipediaを見ると、メキシコ政府に配慮してわざときれいな格好をさせたとか書いてあるが、それは建前でしょ。早い話がアメリカの映画ファンは小汚い百姓なんか見たくないから、小ぎれいにしただけじゃないの?
あー、いきなりこれぞハリウッドって感じ。ほら、『ラスト・アクション・ヒーロー』でもネタにされてたでしょう。女は若い美人しか出てこないっていう、あのたぐいの架空世界なんだね。

まあそれはそれでいい。リアリズムがすべてじゃないし(私的には時代劇はリアリズムがすべてなんだが)、それが本筋に関わってさえいなければ。ただ問題は、この村人たちが困窮している様子がないと、映画のテーマそのものが狂ってきてしまうんだよね。村人の窮状に同情したからこそ、侍たちが一肌脱ぐ気になったのに、それじゃここのガンマンたちは何のために戦うのか?
金のためだな。と言ってしまうと身も蓋もないが、実際、百姓が金持ってるし、金のためというのは劇中でもはっきり言っている。(主人公のユル・ブリンナーは違ったかも) 一人20ドルという報酬は少ないということにはなってるが、『七人の侍』が感動的なのは、侍が無報酬(腹いっぱい食わせるというだけ)で百姓のために命を賭けるところだったのに、それがはした金のためとなると、話がぜんぜん違ってきてしまう。
まあしょうがないか。義理人情とか義侠心なんてない国の映画だからねえ。それにしても、そこを描かずに『七人の侍』の何を描くつもりだったのか?

設定からして再現がむずかしい面もある。『七人の侍』には百姓vs侍という、はっきりした階級対立があり、その中間に立つ菊千代の物語も、勝四郎と村娘の恋も、階級差があってこそ意味がある。
ところがもちろんアメリカには(建前としては)階級がない。あえて村人をメキシコ人にしたのは、白人対土人にしたんじゃないかと勘ぐりたくなるが、見た感じでは村人は貧しいだけで、特に差別されている感じもしない。
これはむしろ、インディアンにしたほうが良かったんじゃないか? 白人がインディアン(もちろん今ではネイティブ・アメリカンと呼ぶべきだが、この当時はインディアンだからこれでいいのだ)のために死ぬというほうが、タブー破りで感動的じゃないか。まあ、逆にそれはできない政治的状況とかもあったんだろうけど。

余談だが、ガンマンたちが村に来てすぐに見せられるのが村祭り。この土人のダンス(笑)いや、モロにそういう感じの撮り方をされているのよ。それを見ていて思ったのだが、もしかしてこれって『七人の侍』の田植え歌へのオマージュ? うへえ~! 確かにあれも外人の目には土人の儀式としか見えなかったんだろうねえ。あの歌はけっこう好きなんだが。

役者の印象も思ってたのとまるで違う。

ユル・ブリンナースティーヴ・マックイーンは確かに無条件にスマートでかっこいい。特にマックイーンは、私はこれまた年取ってからの姿のほうが印象が強くて、不細工なオヤジだと思っていたが、若い頃は本当にかっこよかったんだな。
しかし、百姓たちまで個性的だった『七人の侍』とくらべると、みんなキャラクターが軽すぎるし、たいして印象に残らない。

私は嫌いだみたいなこと書いた久蔵だって、すごい強くてかっこよかったのに、その久蔵に当たるジェームズ・コバーン(ナイフ投げの名人ということになっている)はどうも冴えない。だいたい、日本刀とナイフ投げとじゃ勝負にならん。そもそも、そのナイフを使うシーンがないし。(あったのかも知れないが、最後の方はもういい加減に見てたので自信がない)

ホルスト・ブッフホルツは菊千代と勝四郎を合成したキャラなのだが、三船の足元にも及ばないのは言わずもがな、単なる坊やでしかない。もちろん菊千代みたいに屈折した過去とかは持ってないし、勝四郎のようなお坊ちゃまでもないので、最後は何のためらいもなく村にとどまる。

『七人の侍』にはいないオリジナル・キャラである、ブラッド・デクスター(村にお宝があると勘違いした山師)と、ロバート・ヴォーン(自信喪失のせいで神経症になっているガンマン)の二人は、ただただうっとうしいだけ。
ブラッド・デクスターはひたすら無神経で厚顔無恥でうざい金の亡者、逆にロバート・ヴォーンはいつもビクビクおどおどしてるだけで、どっちも侍ならありえなかったキャラクターだが、そもそもなんでこんなのを出そうと思ったのかが理解できない。
だいたい私はロバート・ヴォーンと言えば、『ナポレオン・ソロ』の、脳天気なお調子者というイメージが焼き付いちゃってるので、彼の神経症演技を見せられても苦笑してしまうだけ。

役者的には意外な収穫だったのがチャールズ・ブロンソン。これまた私はヒゲを生やしたブロンソンしか知らなくて、すごいむさ苦しい醜男だと思って嫌いだったのだが、若いヒゲなしブロンソンは、ハンサムでこそないが、なかなか味のある顔立ちで、無骨だが優しいというキャラクターも魅力的だった。
特に子供とのからみがいい、と言いたいが、この子供らがいかにもハリウッド映画らしく、演技しすぎでクサい。それにくらべて『七人の侍』の子供らは本当に村のはなたれガキという感じでリアルだった。

農民は個性がなさ過ぎて誰が誰だかもわからない。おまけに『七人の侍』は野武士もそれなりに品格があって、特に副首領はかっこよかったのに、こっちの山賊はただのメキシコのチンピラ。なんかこんな奴らに勝っても威張れないなあという感じ。
というわけで、どうもキャラに感情移入ができないのは致命的。

しかしそれにもまして致命的だと思ったのは、原作の名場面や重要なエピソードがあっさりカットされていること。ほとんどがオリジナルだというならそれもわかるが、大筋もキャラクターも『七人の侍』をそっくりいただいて、セリフなんかオリジナルのままのものもあるという、比較的原作に忠実なリメイクなのでよけい気になる。
勘兵衛の登場シーンである人質救出シーンとか、久蔵がたったひとりで野武士のアジトに乗り込んでいくシーンとか、水車小屋炎上とか、アジト焼き討ちとか、最も映画的で、サスペンスフルで、ドラマチックで手に汗握るシーンが軒並みカット。それに替わる何かがあるってわけでもない。
そのため、ほとんど登場人物が室内で話をしているだけで、ろくなアクションもなく淡々と話が進むという印象を与える。なんでー?! この手のエンタテインメントはハリウッドの十八番でしょうが! こういう面で失望させられるとは思わなかった。

だいたい時間も短い。『七人の侍』が息もつかせぬ207分なのに、こっちは128分と短い。にもかかわらず、大筋はなぞっているから、なんかダイジェスト版か予告編を見ているような感じで、見せ場はいつやってくるのかと待っているうちに終わってしまった

そしてもちろん、クライマックスの雨中の決戦もない。それどころか、村人たちは彼らを裏切って山賊を村に引き入れる始末。何だ、こりゃー! こんな奴ら守ってやる価値もないじゃない。なんのためにこんなところまでノコノコやってきたんだよ? 七人は山賊に命令されて武装解除された上で村から追い出される。これも情けないしマヌケで、ちっともヒーローらしくない。
でもこのままじゃ腹の虫がおさまらないというので、やっぱり取って返して銃撃戦になる。なんなの、この優柔不断でグズグズの展開。戦うならさっきの場面で戦えよ。
その戦いの中で死者も出るのだが、侍の死ぬ場面では号泣した私も、そもそもまったく感情移入ができないし、悲壮感もないので鼻ほじって見てた。

なんだ、こりゃー??? この映画って『七人の侍』といずれ劣らぬ名作って評判だよね。アメリカ映画史に残る傑作ってことになってるよね。それがここまでボロカスだったなんて! なーにが“The Magnificent Seven”だよ! とにかくつまらないというだけでも私には衝撃だった。
マカロニウエスタンにさえある、いわゆる「西部劇の美学」すらない。単にパンパン鉄砲撃ちゃいいってもんじゃねーだろー!

馬のスタントはさすがとは言えるけど、そもそも村に腰を据えてるんであんまり馬に乗るシーンもなかった。いいと思ったのは、「ギャロップで走る馬に飛び乗る」スタントぐらいかなー。これは確かに騎馬民族でないとできない力業だが。

しかし昔見たときはべつにひどいなんて思わなかったんだがなあ。むしろこれを見ながら、「なんで昔はあんなに西部劇が好きだった私が、西部劇を嫌いになったか」を思い出したよ。

最大の理由は銃かな。

『七人の侍』のうち、殺された4人は全員種子島で撃たれて死ぬ。「刀では負けていない」ことを印象づけるためらしいが、私はこれがすごい不満だった。なんで立派なお侍さんが、銃みたいな野暮な武器で殺されなきゃならないのかと。
そう、私は銃が大っ嫌い。切った張ったのほうが好き。やっぱり血しぶきドバーのほうがいいというのは、『七人の侍』の時代はまだ血が出ない殺陣だったから言えないとしても、銃で殺すのってバカみたいだよね。パンと撃たれただけで、うっとかいって倒れてさ。
そりゃどちらもただのお芝居には違いないが、(別に本物は見たくもないし)、それでも刃物で切られれば本能的に「痛い!」というはわかるが、銃がバンと鳴って、離れたところにいる人が倒れるのを見ても、「ふ~ん」としか思わない。
まあこの辺のリアリズムは、後にサム・ペキンパーらが追求しましたけどね。(ペキンパーは死ぬほど好き)

それに銃は見た目も美しくない。日本刀だろうと西洋のロングソードだろうと、刀には抗しがたい美しさと色気があるじゃない。弓だってナイフだってそうだ。しかも剣は手に持って構えただけでも絵になる。
なのに銃なんて、あんなちっぽけな鉄の塊ふりまわしてもちっともかっこよくないし、撃ち方がかっこいいわけでもない。あんなもの喜ぶのはガンオタだけだ。

殺し合いなのに人と人が接触する「鍔迫り合い」もないから、何の緊迫感もドラマも生まれない。
西部劇に限らず映画によくある、「主人公に銃を向けた悪人がえんえんと長広舌をふるう」というシーンなんか、アホかと思っちゃう。黙って話聞いてるひまにできることいくらもあるだろうと。
これが喉元にナイフを突きつけられてる情況なら、ほんとに手に汗握るしハラハラするんだけどね。
とにかく銃は最低の武器だと思う。

さらに西部劇が嫌いになった理由を続けると、カウボーイなんて馬に乗ってるところだけは評価するが、それ以外はべつにかっこよくもないよね。
ちょんまげもかなりのもんだが、カウボーイだって変じゃない。ヘンテコな帽子かぶって、ヘンテコなブーツ履いて、ヘンテコなズボン履いてるんだもん。馬に乗ってなければ単なるアホだね。
それでも黒づくめのブリンナーはかっこよかったけどね。三島と変わらないチビ(173cm)なのに、さすがにガイジンはスタイルいいなあ。たぶん間近で見たらそうは思わないけどね。公称173cmってことは実際は170そこそこだろうし、あこがれの大スターが自分より小さかったらすごいいや。

さらにこの理論を突き詰めれば、開拓時代のアメリカそのものが、(本国人は美化してあこがれてるが)、世界的に見れば後進国のド田舎の話だし、あまりかっこいいものでもない。ていうか、アメリカってだけで死ぬほどダサい。

と思うようになったあたりから、西部劇はどうしてもだめになってしまった。
でもその後を考えてみて欲しい。西部劇はアメリカンニューシネマの時代にちょっぴり持ち直したものの、その後は鳴かず飛ばず。
ハリウッドでは意図的に西部劇を復活させようという動きが何度もあったにも関わらず、まったく受けなかったので、今はほぼ壊滅状態だ。
これは私にもちょっと不思議。特に同じぐらい古くさくて荒唐無稽で、だいたい冷戦も終わっちゃったし、今の時代にはまったくフィットしないと思われたスパイ映画はまだ人気を集めているのにね。

日本でも時代劇は確かに下火だし、テレビからは消えたが、映画はまだけっこう作られているし、マンガやアニメやゲームの世界ではまだ根強い人気がある。ただし時代考証はめちゃくちゃですがね。
私も言ってみれば日本のお茶の間時代劇のニューシネマだった『木枯らし紋次郎』や『必殺仕事人』が始まった頃は熱中して見ていた。目張り入れたデブのジジイ役者がキンキラキンの着物きて出てくるような時代劇は滅びてくれてかまわないけどね。
それに映画やマンガを問わず、サムライ、ニンジャは外国人には時代を越えて大人気だし、勝ったな。

やっぱり黒澤明の偉大さを証明しただけのカプリングだった。だいたいジョン・スタージェスなんて、ここまで名前すら言ってもらえてないし。終わり。

P.S.

この映画は音楽も有名で、これこそ今でも覚えていたんだけど、今回見て、「うるさい!」。この金管がパンパカパーン!と鳴るのって、これも黒澤のパクりか!

 

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