★★【映画評】戦火の馬(2011)War Horse

War-Horse

こだわりの馬映画、しかもスピルバーグということで、だいたいこうなるのは見えていたが‥‥「感動の名作」をここまでこき下ろすのは私ぐらいだろう。

だいたい『黒馬物語』でもなんでもそうだったが、この手の話の基本からいって、主人公動物の幼少時(または物語の導入部)においては、その動物は幸せでないと話にならない。しかし、ジョーイはどう考えてもアルバートといっしょにいたほうが不幸だった、というのがこのストーリーの最大のミスかも。


これを言うと結論を言ってしまうことになるが、これはバドワイザーのCMを長くしたような映画だ。

これはもともと、本命扱いで見るのも書くのも後回しにしてあったのだが、出来から言ったら「どーでも映画」に入れてもよかった。しかし、題材から言っても、やっぱりどうでもいいとは言い難かったのでこういう扱いになりました。
ちなみに小見出しはなんとなく付けただけでたいして意味はないです。もともと「どーでも映画」のつもりで書き始めたので、そんなに真剣に考えてないし。

Director:

Steven Spielberg

Writers:

Lee Hall (screenplay), Richard Curtis (screenplay), 2 more credits

馬映画の話

私は無類の動物きちがいで、動物なら何でも好きだし、動物見るだけのために自然ドキュメンタリーを買いあさってるのはご存じの通りだが、ならば動物映画も大好きかというと、こっちは必ずしもなんでもいいとは言い難い。というのも動物映画はたくさん作られるわりには傑作も少ないし、ましてや本当の動物好きのお眼鏡にかなう作品は少ないからだ。
ある意味動物は自然のままで出しておくだけでも、観客を笑わせて泣かせて感動させてくれるオールマイティーな切り札だけに、みだりに使ったり使い方を誤ると、どうにもやりきれないしろものになってしまう。

動物の中でもとりわけ馬は私が最も愛するトーテム動物であり、大きく美しく速いと、素材として非常にスクリーン映えがするうえに、犬の次ぐらいに調教しやすいというメリットもあり、馬を題材にした映画はたくさんあるが、その中で私が気に入っている馬映画は本当に少ない。馬が好きだから時代劇や西部劇を見るようになったとすでに述べたように、私としては本当に馬が出て、走っているのを見るだけでもうれしいなのに、よけいなものを付け加えて台無しにしてくれるやつが多いので。
『シービスケット』なんか馬映画の中では傑作という評判の映画なのに、私はまったく乗れなかったしね。(記事は2008年3月3日のひとりごと日記参照。このURLはどうせ変わるので、そのつど書き直すのは面倒なため、すみませんが、ここの目次かサーチフォームを使ってください)

『野にかける白い馬のように』の思い出

古い映画だけに適当な画像がなくて、サントラのシングルのジャケットですが

古い映画だけに適当な画像がなくて、サントラのシングルのジャケットですが、これで背景がわかるかな?

最近で感動したのはヴィゴ・モーテンセンの『オーシャン・オブ・ファイヤー』(Hidalgo 2007年3月14日)ぐらいだが、今まで見た馬映画でいちばん印象に残っているのは、『野にかける白い馬のように』(Run Wild, Run Free)という1969年のイギリス映画。
というのも、まだ高校生で馬術部にいたとき、つまり馬に対する情熱がいちばん燃えさかっていたときに、馬友達といっしょに今は亡き渋谷パンテオンで見たからだ。それで感動して2人でワンワン泣いた。
日本ではアイドル的存在だった「美少年」マーク・レスターが主演という以外は、イギリス映画らしく地味~な映画だったが、登場人物も馬もすごいリアルで、まさにタイトル通りに野生のままの、そしてイギリスの田舎の自然そのままの、荒々しく無骨だけど、根が優しくて骨太な人と馬と自然が溶け合ったすばらしい映画だった。こういう映画体験が私のイギリス好きの下地になったのは言うまでもない。

お話は心を閉ざしてしまった(自閉症?)の少年が、田舎で野生馬と出会うことによって、少しずつ心を開いていくのを、優しく思いやりのある田舎の人々が見守るというありがちなものだが、きびしい自然や決して一筋縄ではいかない野生の生き物と心を通わせるまでの過程がきっちり描かれていたので、ただのお涙頂戴ものにはならなかった。さらにある意味で人間社会の外でしか生きていけない少年と馬の姿を上手に重ね合わせ、馬と少年が見事にオーバーラップする。
野生だから残酷な部分もしっかりあって、少年が馬に夢中になるあまり、少女のハヤブサを死なせてしまう、無垢ゆえの残酷さがあふれる場面でも、ハヤブサが好きすぎる私はかわいそうで泣いた。

なんでそんな大昔の映画を思い出したかというと、『戦火の馬』の冒頭に出てくるジョーイ(主人公の馬)の生まれ故郷の風景が、『野にかける白い馬のように』の舞台とそっくりで、いきなり目頭がじわーんと熱くなってしまったからだ。
と書いてから、まさか?と思って調べてみた。そしたらこの映画の舞台はダートムア(デヴォン州)。そして『白い馬』の舞台もダートムアじゃないか! すげー!! 我ながらイギリスのこととなると異常な勘の良さが働くのがすごすぎる! これがイギリスの話ということも知らなかったし、こんな風景、イギリスのどこであっても不思議はないし、『野にかける白い馬のように』なんて劇場で見たあとは、テレビで30年ぐらい前に一度見たきりなのに! もちろんダートムアなんて言葉も覚えてなかったし(この映画でも言及されてなかったと思う)、デヴォンには一度も行ったことがない。ただあの景色が目に焼き付いてただけで。

バドワイザーのCMの話

これで天高く舞い上がった私の期待は、映画開始後20分とたたずに地に落ちる。これってもしかして原作はジュブナイル? そうでなければいくらなんでもスピルバーグがこんな幼稚なストーリー撮らないよね?
そこで調べたらイギリスの児童文学だった。やっぱり! これで期待はズズッと後退した。いや、イギリスの児童文学は私は高く評価しているし、子供の本と思えばこれでいいのかもしれないが、私が期待していた「戦争と馬とスピルバーグ」な映画にはとてもなりそうにないと思って。
ところで、この原作はすべて馬の視点から書かれているそうで、原作はちょっと読みたくなった。
だけど映画はだめだ。なんかもう最初の農場のシークエンスで、最後は従軍したこの少年と馬が戦場で再会して、2人で両親の待つ農場に帰ってきて、めでたしめでたしになる結末が見えちゃったので。

これを言うと結論を言ってしまうことになるが、これはバドワイザーのCMを長くしたような映画だ。バドワイザーは毎年スーパーボウルのために、トレードマークのクライズデール(大型馬の品種。昔この馬に引かせた馬車でビールを売り歩いていたことにちなむ)を主人公にした長編CMを作っているのだが、それがたいてい、お涙頂戴の人(または馬、または犬)と馬の愛情物語なのよ。(クライズデール大好き。スコットランド原産だし)
たとえば私のお気に入りの2013年のやつは、生まれたときからクライズデールを育ててきた青年が、バドワイザーに買われた愛馬と涙の別れをするんだけど、3年後にシカゴでバドのパレードがあることを知って見物に行く。そこで愛馬の元気な姿を見て安心するんだけど、パレードが終わって車で帰ろうとすると、シカゴの町の車道を彼のクライズデールが走って追いかけてきて、抱き合ってthe endという60秒CMを見て、ボロボロ泣いたりしているわけですよ。
でもこれは60秒だから嘘も承知で泣けるし楽しめるんであって、こういう話を2時間半かけてやられても‥‥って話。

去年のやつなんか、厩舎で飼ってた子犬が迷子になり、夜、狼(コヨーテ?)に襲われたところを、厩舎から集団脱走してきた馬の群れが助けて牧場へ連れ帰るという、もっとありえない話だった。今、参考までに見た2006年のやつは、クライズデールの子馬が自分から引き具を付けて、大きな馬車をひとりで引っ張ろうと踏ん張ってるんだけど、やっと動いたと思ったら、実は後ろで二頭の大人の馬が頭で馬車を押していたというお話。
なんかこの映画の馬の「ありえなさ」にそっくりでしょ。やっぱり人が動物に求めるものってこれなんかなーと思わずにはいられない。実際、レビューには「感動した」という褒め言葉があふれてるし。

『戦火の馬』あらすじ

というわけでもう結論は出てるんだが、ここで映画のストーリーを駆け足で紹介。

貧しい小作農のテッド(ピーター・ミュラン)は畑を耕すための農耕馬を買いに行った競り市で、高価なサラブレッドに一目惚れして衝動買いしてしまう。息子のアルバート(ジェレミー・アーヴィン)はこの馬ジョーイに夢中になるのだが、地主(デヴィッド・シューリス)に払う地代に困ったテッドはジョーイを騎兵部隊の大尉(トム・ヒドルストン)に売ってしまう。
すでに第一次世界大戦が始まっていて、ジョーイは大尉の乗馬として戦場となったフランスへ渡るが、大尉は戦死。ジョーイはドイツ軍に捕まってしまう。それから、ドイツ人少年兵の兄弟の脱走に使われたり(兄弟は捕まって銃殺)、また逃げ出してフランス人の病弱な少女に飼われたり、またドイツ軍に捕まって酷使されて死にそうになったり、戦場を逃げ回ってイギリス軍に保護されたりしたあげく、戦争で負傷したアルバートと出会って、いっしょにイギリスに帰れてめでたしめでたし。

『戦火の馬』がだめな理由その1 主人公一家がクズすぎる

実はこういうふうに動物がいろいろな飼い主のところを転々として苦労するというのは、動物小説の定番で、『野生の呼び声』(アメリカの作家ジャック・ロンドンの犬小説)もそうだし、『黒馬物語』(イギリスの作家アンナ・シュウエルの児童小説)もそうだ。特に『黒馬物語』は同じ馬だし、最後に育ててくれた牧場の少年と巡り会うという結末までいっしょなのでいまいちパクりっぽい気もするが、戦争に翻弄されるジョーイの数奇な運命に重ねて、同じく戦争に翻弄される人間たちの悲劇を描く群像劇にしたのはすごくうまいと思う。だからきっと原作小説は(読んでないけど)いい本に違いない。だけど映画はだめだ。

まず人物の掘り下げが浅く、そもそもアルバート以外登場する時間も短いので、感情移入する暇もなくコロコロと所有者が変わってしまうという印象しか残らない。そしてかんじんの主人公アルバートが、ジョーイに関わった人々の中でいちばんぱっとしない。すると当然、別れもたいして悲しそうに見えないし、再会もたいして感動しない。
これならバドワイザーの広告のほうがよっぽどうまいと思った。たとえばCMではほんの15秒かそこらで、生まれてから売られるまでの馬と青年の心温まる友情を描くのだが、こっちはもっとだらだら話が続く割には、そういう愛情がまったく感じられない

残念だが馬は犬のように人間と固い絆を結ぶことはない。せいぜいが猫並み。餌をくれたり世話してくれる人が誰かはわかってるし、それなりに愛情も媚びも示すが、何年も離れていたら確実に忘れるし、かりに覚えていても「だから何?」って感じだろう。(猫がまさにそうだ。あの恩知らずめ!と言いたいが、私はかねてから馬は野生そのものだと思っていて、これは猫の野生の象徴でもあると思う。つまりまだ完全には飼い馴らされていないだけだ)
上のバドのCMみたいに生まれたときから手でミルクをやって育てて、病気をすれば馬房に泊まり込んでいっしょに寝てやるぐらいの仲なら、それもあるかもと思わせるが、アルバートはそんなことは何もしていない

アルバートがジョーイのためにしたことと言ったら、くびきを付けて畑を耕すことを教えただけじゃないか。まあこの経験が後にジョーイの命を救うことにもなるのだが、普通に考えてサラブレッドに鋤を引かせるのって虐待だよね。畑の話なんか(最初から間違ってるので)どうでもいいから、それよりアルバートとジョーイの交流をしっかり描くべきだった。
もちろん、映画に映らないところではちゃんとかいがいしく面倒をみた、と補完するのは容易だが、それがぜんぜん描かれていないのは、動物もののルールに反する。だってそれがあるから、後の再会が意味を持つんだから。

他にわりと印象的に描かれているのは、ジョーイに乗ったアルバートが地主の息子の自動車と競争して、車に同乗してる女の子にいいところを見せようと、大きな石垣を跳び越えようとして失敗する場面だが、これなんか完全に利己的動機で、馬のことなんかまったく考えてないし、下手すれば自分はもちろん馬が死ぬようなことを平気でする無神経野郎では、心の絆なんか生まれるわけがない。ここでアルバートが一念発起して、ジョーイにジャンプの訓練をさせるというのなら、まだこのエピソードを出した意味があるし、クライマックスの戦場シーンともつながってくるのだが。
全体に(多少なりとも動物を知ってる人間には)、アルバートは単にかわいいからという理由でペットを飼う、今どきの飼い主と変わらないように見える。まして馬飼ってる人から見たら、何も知らない素人の坊ちゃんというだけだろう。

だいたい『黒馬物語』でもなんでもそうだったが、この手の話の基本からいって、主人公動物の幼少時(または物語の導入部)においては、その動物は幸せでないと話にならない。しかし、ジョーイはどう考えてもアルバートといっしょにいたほうが不幸だった、というのがこのストーリーの最大のミスかも。
だってそうでしょ。愛情いっぱいに育てられた立派なサラブレッドが、ある日極貧の百姓に買われて、農耕馬として泥にまみれて石ころだらけの畑を耕す毎日が、はたして馬にとって幸福と言えるか? しかも彼を世話してるのは、馬に関しては素人同然のガキ。これじゃ戦争がジョーイをそういう不幸な境遇から救い出してくれたみたいに見えてしまう。それじゃ逆だろー!

「冗談じゃない! こんな家にいられるか!」と暴れるジョーイを見つめるアルバートとテッド

「冗談じゃない! こんな家にいられるか!」と暴れるジョーイを見つめるアルバートとテッド

だいたい主人公のこの一家全員があまりいい奴らに見えない。アルバートの親父なんて、まわり中が無茶だからやめろと言っているのにサラブレッドを農耕馬代わりに買ってきたうえ、ジョーイがちょっと反抗しただけでカッとなって撃ち殺そうとするようなアル中野郎だし、結局借金で首が回らなくなると、さっさとジョーイを売り払う。
この男がめちゃくちゃ印象悪いので、そんな夫を擁護するアルバートの母親や息子のアルバートまでも変な奴らなんでは?と白い目で見てしまう。私の目から見ると動物虐待一家でしかないよ、こいつらは。
逆に悪徳地主として描かれてる地主はけっこういいやつで、自分に逆らって馬を手に入れたテッドに怒りもしないし、すぐにでも追い出せると言いながら、地代もちゃんと待ってくれる。テッドに買われるより、まだ地主に買われたほうがちゃんとした扱いをしてもらえたのは確実で(プロの馬丁が世話するし、厩舎だって飼料だってましだろうし、畑仕事なんかさせないし)、どう考えても悪者はテッドとアルバートである。

『戦火の馬』がだめな理由その2 馬を知ってたらありえないことが多すぎる

次に気になったのは、鋤を引いていた馬がいきなり軍馬になってしまったこと。いったいどこで調教したんだよ? どうやらアルバートがしたという設定らしいが、それをほとんど映さないので納得いかない。映ったのは調馬索で馬をぐるぐる走らせてるところだけ。
『白い馬』では野生馬の調教シーンがすごく印象的だったのに! そして何度も何度もふり落とされて痛い思いをしてもあきらめない障害児の少年がすごくひたむきでけなげだったのに!
野生馬に限らず、家畜として育てられた馬でも、いきなり乗ることはできない。馬は車じゃないからいきなり乗ろうとすれば必ず反抗して暴れる。それを手間暇かけて馴らして、乗れるようにするとともに、乗馬なら乗馬用の、農耕馬なら農耕馬用、軍馬なら軍馬用の調教をしなきゃ役に立たない。特に軍馬は馬の本能に徹底的に反したことをやらせるんだから、特殊で入念な調教が必要になるはず。それを農家の小せがれがやったと?
実際、ジョーイが売られそうになると、アルバートが「この馬は軍馬には向かない」みたいなことを言って止めようとする場面があるのだが、大尉は「問題ない」。じゃあ、この人が調教したのか? それは受け入れるとしても、だったらその場面を映すべき。いきなり本番やらせるな! 馬の調教のいちばんつらい部分をすっ飛ばしていかにも簡単そうに見せるのも納得がいかない。

『戦火の馬』がだめな理由その3 馬の擬人化

その他、ちょっとでも馬を知る者には「ありえねー!」と思える描写は多々あったが、それはすべてお話だからしょうがないと思って許そう。だけど絶対に許せないのは動物の擬人化、ほんとに幼児向けの絵本やアニメならともかく、少なくとも大人も見る映画でこれは許せない。

擬人化というのはたとえばこんな感じ。
ジョーイは騎兵部隊で仲良くなった親友の黒馬といっしょにドイツ軍に捕まるのだが、気位の高い軍馬である友達はくびきを付けるのを拒否する。それだと殺されることがなぜかわかっているジョーイは、離れたところにいたにも関わらず飛んで行って、自分からくびきに首を通す様子を見せる。それを見た黒馬はおとなしくくびきを付けさせる。
なんでこういう子供だましの演出をするのか? って子供向けの童話だからだろうけど、童話として読むならともかく、大の大人が実写でやってるのを見ても白けるだけ。
とにかくこの調子で、この映画では馬が完全に人語を理解しているばかりか、言葉に出さない人間の事情までも察して、あまりにも人間臭い行動を取る。というバカ動物映画のセオリーそのもの。
農場にいる凶暴なガチョウなんか、随所で笑いを取るための存在で、もう完全にマンガの動物だし、ディズニーかって感じ。

ジョーイと仲良しの黒馬。かわいい。

ジョーイと仲良しの黒馬。かわいい。

おまけに馬がなまじ演技がうまい(調教師の技術が高い)せいで、よけい作り物っぽさがハンパない。と書いてからふと思ったが、もしかしてこの「演技」の一部はCG? どうも実写にしちゃできすぎな場面が多いと思ったんだが‥‥CG馬についてはあとで考察するが、とにかくもうこの時点で見るのをやめようかと思った(けど、いちおう最後まで見た)。

映画における馬の魅力について

もう同じ愚痴の繰り返しになりそうなので、あえて簡単にまとめよう。

まずは馬だが、ジョーイ役の馬は確かに美しい。小柄だけど目がぱっちりしてしなやかで。私の好みから言うと、牡馬にしちゃちょっと女性的すぎるけど。でも美しい馬はそれだけでも見るに値するし、そこは合格。
これまでの馬映画は主役がわりとブサイクなことが多かったのでこれは収穫。リビューに書いたようにヒダルゴはブサイクだし、『野にかける白い馬』はアルビノ(馬では珍しい)のポニーでお世辞にもかわいいともかっこいいとも言えない馬だったし。馬は大きな黒い目がかわいいのに、アルビノは目が赤くて気持ち悪いんだよね。
これはあとから知ったんだが、ジョーイ役の主役の馬(たくさんの馬が演じているが、アップ用の主役の意味)は『シービスケット』で主役を演じた馬なんだって。なんか理不尽だけどそういうのを聞くとがっかり。いや、確かに役者馬はそんなにいないからしょうがないのかもしれないけど、馬は野生を感じさせるからすばらしいのに、そういうのを聞くと、馬までいっぱしのハリウッドスターみたいな気がして

War-Horse6

で、その証拠。英国プレミアでのレッドカーペット上のスピルバーグとジョーイと役者たち

だけど馬はまず走らなくちゃ。走る馬の豪快さと爽快感は十分堪能できたとは言い難い。特に騎馬軍団の突撃シーンなどは、実に映画らしいスペクタクル画面になるはずだったのに、(『LOTR』なんかは大興奮したし)、どうもこのイギリス騎兵連隊はかっこ悪くて、おまけに大砲に向かって馬とサーベルで突撃してズタボロにされちゃうのは、愛国者として見るに耐えん

馬と戦争について

それで思い出したが、第一次世界大戦は騎兵や馬が参加した最後の戦争だったんだよなあ。けっこう感無量なのは、私のひいお爺ちゃんは日露戦争に騎兵として参加したと聞かされていたからだ。この話を馬の生産者の人にしたら、私の馬好きは血のなせるわざだと言われた。言ってみれば私の馬好きは宮崎駿の軍用機好きみたいなもの。私も戦争にも動物虐待にも反対だが軍馬や騎兵や騎馬戦は大好き(笑)。
だからウォーホースに対する思い入れもひとしおだし、この映画のテッド(かつて騎兵だった)や大尉にはもっともっと感情移入できたはずなんだが、人物もアレだし、かんじんの合戦シーンがいまいちなのでモヤモヤする。
でも映画を見る限り、やっぱりこの時点での馬の主要な役目は荷物を引く輓馬(ばんば)としてのものになり下がっていたみたいね。うーん、この話は消えゆくウォーホースへのレクイエムとしても良かったのに。なにしろ人類の歴史を通じてここまでは、戦争と言えば馬だったんだから。

CG馬の話

それで今ふと気付いた役にも立たない知識。「馬の出てこない時代劇はヘボい」。『インモータルズ』がまさにそうだったな。古代ギリシアの話なのに、戦車(タンクじゃなくてチャリオット)がまったく出なかった。たぶん馬を映画で使うのは費用がかさむからだろうが、今はCGでなんとかなるんでは? CGで動物を描くのがむずかしいのは、フワフワの毛皮の描写が大変だからで、馬みたいな短毛の動物は描くのも楽だと思うんだが。

そこでCGホースの話。
このように、馬は映画では非常に見栄えがするのだが、馬は高価だし、世話は大変だし、調教にもスタントにも熟練した専門家を要するので、映画で馬を使うのはそう楽なことではなかった。しかし、CGの時代になってその問題は解決‥‥かと思ったら、あいかわらず生きた馬が使われているのを見ると、CG作りもそう楽じゃないんだろう。
でも、走ってる最中に撃たれて倒れる場面とか、昔ならすごい名人芸が必要で危険を伴うようなシーンは、徐々にCGに置き換えられてきた。でもこの映画ほどCGを多用した馬映画は見たことがない。

クライマックスの、ジョーイが戦場を駆け抜けるシーン。走り始めた瞬間に「こんなところ走ったらたちまち鉄条網に引っかかって死ぬ!」と思ったんだが、案の定引っかかりはするものの、馬は鉄条網も柵もものともせず、引きずりながら走り続ける。しまいには鉄条網でぐるぐる巻きになって動けなくなるまで。
もちろんこれはほぼ全部CG。危険というより、サラブレッドなんか鉄条網が足首にからんだだけでも転んで骨折して動けなくなる。それこそクライズデールみたいな超重量級なら突破ぐらいはできるかもしれないけど、やっぱり死ぬ。なのに映画では医者が「これは破傷風でもう死ぬ」と宣言してるのに、ピンピンしてすぐ治っちゃう(笑)。破傷風は馬やってるといちばんこわい病気だし、馬は立っていられなくなった時点で死ぬのが確定するのに。
(これも一般人にはよく誤解されるが、足を折った馬を射殺するのは人道的措置。馬は体重が重すぎるため、長時間横になっていると体の下側が壊死し、肉がすべて腐って落ちて苦しみ抜いて死ぬ。3本足で立てたとしても、その3本に負担がかかって結局すべての足がだめになる)
だからこのシーンは、見ていて爽快とかかっこいいなんてものじゃなく、ひたすらかわいそうで痛ましくて見ていられなくて、それでなんともないのを見て「うえー」と思っただけ。

塹壕を飛び越えるCG馬

塹壕を飛び越えるCG馬

やはり見せ場となる塹壕を飛び越えるシーンもCG。これぐらい実写で撮れると思うのだが、安全を重視したんだろう。ただ、上とは逆に、馬の跳躍力のすごさを知ってる者にとってはたいして驚くほどのシーンじゃないので、せっかく金使って撮ったのに「ふーん」としか思わない。私は馬術部でサラブレッド(だが、無料で学校に払い下げになるぐらいだから駄馬の部類)が、暴走を止めようと立ちはだかった大人の男の頭の上を軽く飛び越えるのを見たぞ。さすがにあれにはビビったが。

それで思ったのはCG馬はやっぱり一目で違いがわかっちゃうね。風景や車のような機械類は、もうほとんど実写と見分けが付かないぐらいCG技術が進んだが、さすがに生き物はそうはいかないようだ。それも物体Xとかドラゴンみたいに実在しない生物なら、誰も本物と比べることができないからごまかしもきくが、人間とか犬猫とか馬みたいな身近な動物はさすがにわかってしまう。
そしてCG馬だが、幻滅ですわ。わざわざ金払って馬映画を見るのは、都会生活ではなかなか見れない馬を見て思い出すためなのに、絵なんか見せられてもなんとも思わないよ。芸術作品ならともかくリアルなだけの絵なんか。羽はえたペガサスとかなら、本物を見るのは不可能だからCGでも喜んで見るけどね。

ソンムの戦い

もうクライマックスの話になっちゃったから、そっちへ話を進めると、クライマックスの舞台になるのはソンムの戦い。何か月にも渡る膠着状態になって敵味方ともに多大な犠牲者を出した戦いだ。特に泥まみれの塹壕にこもって、ひたすら死の恐怖に脅える地獄のような雰囲気は、子供向け映画としてはわりとよく出ていたと思う。

そんな中、ジョーイは鉄条網でがんじがらめになって、両軍の中間地帯で動けなくなる。そこへ英兵とドイツ兵が危険を承知で助けに行き、2人が力を合わせてジョーイを助け出すという筋書き。そしてその間に、2人の間にほのかな友情と敬意も芽生え、健闘と幸運を誓って別れる。(ジョーイはコイントスによる勝負で英国人のものになる)
このエピソードはクサいと言えばクサいが、事実、「クリスマス休戦」なんてものもあったぐらいで、この当時は戦争もちょっとのんびりしたものだったんだよなあ。ちなみにクリスマス休戦では、単に休戦しただけじゃなく、英独仏軍がいっしょになって飲んで歌って、サッカーをしたりしたというから、こういう光景が至るところで見られたはず。
そんなに仲良くできるなら、もういっそ戦争の結果もサッカーかコイントスで決めろよといつも思うのだが。ただ、今のイギリスならサッカーは避けてコイントスのほうがいいかも(苦笑)。PK合戦でもきっと負けるし。それに日本は韓国に併合されてたな(笑)。
個人的には、このあと、この2人の兵士が泥にまみれて死んでるところが映れば、戦争のむなしさがよけい感じられてもっとよかったと思うのだが、子供向け映画でそこまでは望まない。

とにかくその意味ではこれはなかなかじーんと心を打つ名シーンで、実は映画全体で感動したのはこのシーンだけだった。だからここだけを取り出して、バドワイザーの人に15分ぐらいのフィルムに仕立ててもらえば、愛と感動の名作ができあがっただろうに、もったいないことをしたとしか思わない。

戦争映画としての『戦火の馬』

それでは戦争映画としての『戦火の馬』についても。『太陽の帝国』や『プライベート・ライアン』を撮ったスピルバーグだから、実はこれにいちばん期待していたのだが、見始めて子供向け映画と知った時点で、この期待はすぐに撤回した。映画は特に子供向けってわけじゃないが、当然原作の童話を読んだ子供が大勢見るだろうし、そういう配慮は必要だよね。
だから人が殺されるシーンは画面には一切出ないし(死体はいっぱい転がってたが)、ましてや『プライベート・ライアン』みたいに手足がもげたりはしない。手榴弾で塹壕の兵士が吹っ飛ぶシーンはあったが、ちゃんと五体満足なままで、肉片になってたりはしなかったし。
でもこれほど馬の死体(もちろん作り物)をたくさん見せた映画はなくて、それはもちろん馬たちの過酷な運命を教えるのに必要な要素なんだが、私はこっちのほうが『プライベート・ライアン』よりよっぽどショックだった。(もちろん数だけなら黒澤の『影武者』のほうが多いが、リビューに書いたように(アップしたらリンク貼ります)あの馬はぜんぶ本物で、しかも生きてるのが見え見えだったので、そういう意味のショックはなかった)

馬好きはすべて善人

でも、馬を直接扱う人たちは英国兵でもドイツ兵でも心優しくて立派な人ばっかりという設定になっているから、お子様が見ても安心(笑)。ひどいのは主人公と父親ぐらいだ(苦笑)。
だけど、それ以外のドイツ軍人は悪党ばかりで、馬をいじめる悪い奴という、これもとってもわかりやすい論理。

これで思い出したが、クリント・イーストウッドの『硫黄島からの手紙』(2007年8月30日の日記参照)、ハリウッドの第二次世界大戦もので、日本軍をあれだけ同情的に描いたものもなかったが、西中佐という人物を出したことによって日本人の善人性がどれだけ強調されていたか、わかってる日本人はいるんだろうか?(もちろん実話なんだが)
少なくともイギリス人の頭の中では、「馬(と犬)をかわいがる人間はすべて善人。それ以外は人間以下の鬼畜」という公式が成り立ってるんだよ。その点、西中佐はオリンピックの金メダリストということで、この道の頂点に立った人だからね。そういや、あの映画には犬を殺せなかった憲兵も出てきて、もう完璧だ。
馬と犬さえ大事にすれば、イルカやクジラ殺しまくっても何も言われないぜ!(笑)というのは嘘だし、日本人は馬を食うから、やはり犬を食う中国人韓国人と同列に扱われちゃうんだけど。
マジでイルカやクジラや馬食うのやめろ! 動物愛護とかそんなの関係ない部分で、国際社会の中で対等の扱いを受けるにはしょうがないんだよ。別に他に食うものはいくらでもあるし、西洋基準じゃ蛮人と思われるだけだから。私なんかイルカやクジラは全滅させないかぎり食っても問題ないと思ってるが、馬食うやつは人肉食うのと同じにしか見えない

役者評

えーと、あとはなんだ? 役者評か。人間は印象薄かったし、馬しか見てなかったので何も覚えてないや(笑)。

アルバートを演じたジェレミー・アーヴィン(AllCinemaにはアーヴァインと書いてあるが、どう考えてもアーヴィンだろう?)だが、1990年生まれのイングランド人で、演劇学校は出てるが、これが初映画出演で初主演。なんで素人同然の新人を使ったのかなあ? そう悪いってわけじゃないが、どうも華がなくて、顔立ちも気に入らんので、アルバートというキャラクターに没入できないのはそれも原因のひとつ。
すでにウエストエンドの劇場版が大ヒットしてるんだから、舞台の主役を連れてきたんじゃだめなのか?
と思ったら、舞台の主演のロバート・イームズ(AllCinemaにはエムズ書いてあるが、どう考えてもイームズ)は、この映画では地主のドラ息子役で出ていた。うーん、かわいそうだがあの顔では映画の主役は無理だわ(笑)。舞台と違ってアップになるもんなあ。立派な馬面なんだけど(笑)。

それと、ジェレミー・アーヴィンは乗馬経験もなく、映画のために特訓したという。それがいけないんや! どうせ新人使うなら、なんで乗れる奴を連れてこない? 乗馬経験さえあれば、演技経験なんかなくても、それこそスピルバーグが演技指導すりゃいいじゃないか。
(『太陽の帝国』のクリスチャン・ベールがいたので、スピルバーグの指導力は昔から高く買っている。でも後のクリスチャンを見ていたら、あの演技は彼の持って生まれた才能で、スピルバーグ関係ないかもと思えてきた)
だけど、馬を知らない俳優はやっぱり馬を知らない俳優に見えるんだよ! そうか、アルバートがどうしても愛馬家(なんて言葉はないが。愛犬家はあるのに)に見えなかったのはそのせいか!
実際、『ヒダルゴ』が魅力的だったのは、主演のヴィゴが心から馬を愛していて、普段から乗り慣れてるというのが大きいからな。どうせ映画なんかお芝居、嘘っこなのは知ってるが、馬映画だけは馬を知ってる人を主役にして! (プロの俳優なら馬ぐらい乗れなきゃだめだと言ったのは黒澤明だっけ? 三船敏郎だっけ?)

有名俳優は地主のライオンズを演じたデヴィッド・シューリスぐらいか。実際、彼がいちばん見応えがあった。あれ? もしかしてライオンズがいい奴に見えたのは役者の後光のせいか? そういうことはよくあるからね。
ところでデヴィッド・シューリスは1994年版『黒馬物語』にも出てる。あっちも見たくなってしまったではないか。

というわけでいろいろと残念な映画だった。断っておくが、さすがスピルバーグというか、映画そのものは派手さこそないが、お金をかけてていねいに作られているし、お子様に見せてもなんの問題もない、むしろ戦争を知らない子供にこそ見せたい映画。(いきなり『プライベート・ライアン』はちょっと) 普通の映画ファンでも十分楽しめるし感動できる映画だろう。
ただ本当の馬好きや馬を知っている人は、上記のようにイライラのほうが先に立ってあまり楽しめない。ここが泣かせどころだなというのははっきりわかるんだが、馬にはめっちゃ感情移入しているうえに、(バドの60秒CM見ても泣く)涙もろい私がまったく泣けなかっただけでもだめだというのがわかる
スピルバーグは子役の使い方がうまいから、馬の扱いも上手かと思ったんだがなあ。たぶん監督自身が馬に縁がない人なんだろうなあ。(そうでなきゃ絶対口を出したはず)

舞台版『ウォーホース』と原作『戦火の馬』について

ところで、例によってここに載せるためのスチル写真を探していたところ、映画よりも舞台のスチルがたくさん引っかかることに気が付いた。イギリスの劇作家ニック・スタフォードによるこの舞台版は、スチルで見ると、人間がパペットみたいに棒で操作する奇怪な張りぼて馬を使っている。『ライオンキング』とかのあの技術の応用だな。骨組みだけの馬でまったく生き物には見えないが、不思議とこれが「パントマイムホース」(人が中に入った着ぐるみ馬)より本物の馬らしく見えるんだね。
YouTubeで動いてるのも見たが、本当に馬の動作そのものなので驚いた。パペットのジョーイを本物の馬に会わせる動画もあったが、馬は(やや怪しみながらも)ちゃんと仲間と思って挨拶してたぞ(笑)。いやー、CG馬に失望した後だけに、これぞローテクの勝利って感じ。

張りぼてなのに、なぜか生きてるみたいでかっこいい

張りぼてなのに、なぜか生きてるみたいでかっこいい舞台版ウォーホース

それはそうと、この舞台版のあらすじを読んでびっくり! 映画とは人物名こそ同じだが話がぜんぜん違う! 何より、映画にはなかった人間ドラマがたくさん盛り込まれていて、人物がはるかに生き生きしているし、ストーリーとしてはるかに重みがある。
単なる動物虐待に見えたジョーイに鋤を引かせるくだりも、クソ親父が賭をしたせいで、無理やりやらされたことになってるじゃないか! これだけで舞台のアルバートのほうがずっと好感が持てる。(あらすじはWikiで読んだのだが、英語版を翻訳しただけの日本語Wikiはひどいな。誤訳以前に日本語になってないので、あきらめて英語版で読んだ)
ああー、これはもしかして、スピルバーグがやらかしやがったか? そう思ってWikiでマイケル・モーパーゴの原作小説のページに当たったのだが、こっちにはあらすじが書いてない。しょうがないのでネットで探し回ってようやくあらすじを見つけたが、やっぱり原作に近いのは舞台版のほうだった。やりやがったな、スピルバーグこの野郎!!!

まあ、それも予測すべきでしたけどね。『太陽の帝国』がどう改変されていたかを見ると。いつも言うがあの映画がすばらしかったのは、主演のクリスチャン・ベールとジョン・マルコヴィッチのおかげ。あと時代背景や雰囲気がよくわかる美術やセットやエキストラはすばらしかった。でも話は原作とはぜんぜん別物で、クソみたいな改変がされていた。
これはあれほどひどくはないが、要するに映画の尺に収めるために、思い切り話を単純化した結果、登場人物のほとんどは単なる顔見せだけになって、当然感情移入もできないし、薄っぺらな話になったのだな。馬の扱いに対するセンスのなさは言うまでもないが。

そういえば、これと同じく明らかに子供向け、ファミリー向けのほのぼのヒューマン・ストーリーだったはずの『E.T.』も、うわべの善良っぽさとは裏腹にすごい嫌な感じのストーリーだったし、スピルバーグってなんか悪意を感じる。だから嫌いなんだけど。
もともと私はスピルバーグは嫌いで、この程度の監督と思っていたから驚きはしないが、それにしても衰えたなという感じはする。最近彼の作品はほとんど見ていないので気付かなかったけど。もうスピルバーグも終わりかな、というのが結論。
逆に舞台版のほうはもし今度ロンドン行った時にまだやってたらぜひ見てみたい。原作はもう買うつもり。おわり。

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