【映画評】どーでも映画劇場 ヘルレイザー3(1992)Hellraiser III: Hell on Earth

hellraiser3_poster映画は本当にどうでもいいのだが、昔のallcinemaは偉かったという話を書きたかっただけ。

Director:

Anthony Hickox

Writers:

Clive Barker (characters), Peter Atkins (story), 2 more credits »

もちろん『ヘルレイザー』(1987)とその続編の『ヘルレイザー2』(1988)はまずまず良質なホラーだし、原作・監督のクライヴ・バーカーのことは神と崇めていたし、『ヘルレイザー』自体はどーでも映画とは言えないのだが、この3作目は3匹目のドジョウはいなかったことを証明した。
なんで今頃こんな古い映画かというと、ジェームズ・ワンのちゃちなお化け映画を2本続けて見ちゃって欲求不満に駆られたので、腐った目を労ろうと、たまたまシリーズの1~3を録画してあったのを見たのだ。そしたら、3は未見だったことに気付いたので。

と同時に、allcinemaのこの作品評を見て以来、気になっていた映画だったのも思い出した。ちょっと長いけど全部引用してしまうと、

原案にC・バーカーの名前があるものの、前2作の持っていたあの雰囲気は全くと言っていいほど感じられない、C級ホラーに成り下がったシリーズ第3弾。こう言ったシリーズ作品が必ず陥る新展開(新キャラクターの出現)で巻き返しを図るも成功例はごく僅かなだというのにそれでもやってしまう製作者サイドの考えの甘さが見え見え。そしてその肝心の新キャラクターのセンスの無いことときたら、CDを頭に刺した奴やカメラのレンズを目玉に差し込んだ奴など、最悪状態! ストーリー的にもあの名キャラクター(?)“ピンヘッド”を“ジェイソン”や“フレディ”のように単なる殺人鬼のような扱いに変更しようとする辺りも、前2作で見せた地獄の底からの脱走者を追いかける“魔道士”という面白い設定を生かしたストーリー展開から完全に逸脱し、退屈な話になっている。せめてもの救いは“ピンヘッド”と彼の前世、エリオットとの戦いと言う所だが、それにしたってどこかで聞いたような話だし……。(allcinemaの作品解説)

ハハハ‥‥私のこき下ろしリビューほどじゃないが、これだけ大手の商用サイトで、ユーザーコメントじゃなくて、作品解説でこれだけ酷評が書けるのがallcinemaのいいところで、だから日本の映画サイトじゃここがいちばん好きだったんだが。そういえば、こういうのもうなくなったね。星付けるのもやめちゃったし。昔は星1つとか2つがけっこう多かったんだが。
そう思って見てみると、今はすべて映画会社のプレスリリースをそのまま写しただけの「解説」になってて、星もなくなっている。日本じゃ限界だったんだろうな。Rotten Tomatoesのリビューだってたいしたことないし。まあ、だからこそ私はこういうのを書いてるんですけどね。

でもって、もうひとつ気付いたのは、やっぱり一般のホラーファンにはクライヴ・バーカーってちゃんと理解されてないな、ってこと。これはバーカーにも非があって、せっかく格調の高い自分の原作を、映画の観客に媚びて平気で改変しちゃってるけど。
『ヘルレイザー』って「地獄の底からの脱走者を追いかける“魔道士”」の話だったのか。まあ、表面的にはそう見えますけどさ。バーカーがホラー作家として誰よりも斬新で偉大だったのって、彼の恐怖と苦痛の哲学の部分であって、ノヴェラだった『ヘルレイザー』の原作『ヘルバウンド・ハート』にも、はっきりそれは表われている。つまり「快楽の源となる苦痛、拘束と恐怖の下での道徳性」(Wikipediaより)ってことだけど。あれ? Wikiのほうがちゃんとわかってるじゃないさ。この変な日本語を見ると、どうせ英語版の受け売りだろうけど。

もっとわかりやすく言うと、一般の人には悪夢のような恐怖、地獄の苦しみとしか思えない恐怖や苦痛に、この上ない快感を覚えるやつもいるってことで、バーカーの主人公はしばしば自らそういう恐怖や苦痛を求め、それに身をゆだねる。それってただのマゾじゃん、と思うかも知れないが、マゾはマゾでもSMプレイ程度では飽き足らず、本物の地獄を追求する人たちの話。
『ヘルレイザー』のセノバイト(魔道士)たちは地獄の使者じゃなくて、そういう「究極の快楽=究極の苦痛」を追求する異次元世界の教団の修道士みたいなもの。そしてルマルシャンの箱(四角いパズルみたいなやつ)がその世界への道を開くポータルになっているのだ。

『ヘルレイザー』の主人公フランクは、生まれついての犯罪者で快楽主義者なのだが、この世の快楽にはもはや飽き足らず、箱を通じて究極の快楽を手に入れようとしたんだけど、手に入れてみたら究極の快楽とは究極の苦痛で、泡食って逃げようとしたので、セノバイトたちが追ってきたというわけ。セノバイトからすれば、最初にちゃんと警告もしたし、納得ずくで受け入れたのに、「思ってたのと違うから帰ります」というのは契約違反だからね。
この設定もおもしろいし、4人のセノバイトの造形もすばらしかったので、『ヘルレイザー』は(一部で)大いに受け、こうやって続編が次々作られるようになったわけ。
他のクリーチャーが売りの映画と違って、セノバイトは職業柄(笑)人を襲って食ったりはしないし、ぬっと突っ立ってるだけで出番も少ないのに、これだけ有名になったというのは、やっぱりデザインのすばらしさのせいだろう。バーカーは画家でもあり、そういうセンスはめっちゃいいんだよね。それは後述する『ミディアン』を見てもわかるけど。
セノバイトでもちろんいちばん有名なのはピンヘッドだが、私はチャタラーが好き。それでいま思い出したが、私がほめてた『サイレントヒル』のクリーチャーって、モロにセノバイトのパクりっぽいな。例のナースなんて、口がなくておっぱいのあるチャタラーそのものだし。

でもって、『ヘルレイザー』とその後日談である『ヘルレイザー2』までは、いちおう原作に沿って作られてたんだが、この3からはもう勝手な解釈がまかり通っていて、そのため上のallcinemaのリビューにあるみたいなめちゃくちゃな話になっている。いちおうバーカーは『ヘルレイザー4』までプロデューサーに名前を連ねてるんですがねえ。
だいたい、2まではイギリスの話で、登場人物も全員イギリス人だったのに、いきなり舞台がアメリカに変わって、ヒロインもテレビリポーターというしゃれた仕事についてる垢抜けた美人で、摩天楼を臨む高級マンションに住んでたりして、世界が違いすぎて頭がクラクラする。

それでまた思い出したが、『ヘルレイザー』(1と2)の主な舞台になるフランクの家のボロさと汚さを見て、その前に見たジェームズ・ワンの2本、『インシディアス』と『死霊館』の家のきれいさと、あまりに対照的なので笑ってしまった。
これがイギリスとアメリカのホラーの根本的違いかも。あんな真っ白で明るくて清潔でモダンな家じゃ、悪魔が出ようと幽霊が出ようとちっとも怖くないんだよ。それにくらべて、『ヘルレイザー』の家の汚さと不気味さは(フランクの失踪後、長年放置されていたとはいえ)、見ただけでぞっとするし足を踏み入れるのもはばかるレベルで、これでこそイギリスだと。
もちろん『ホーンティング』みたいに、逆にイギリスのマナーハウスの陰気さと荘重さを前面に押し出した幽霊屋敷ものもあるがね。『ホーンティング』は逆にやりすぎでわざとらしくて、かえって安っぽくなってしまった。屋敷の外面はイギリスに実在する家だが、内部はすべてセットで、そのセットが作りすぎでお笑いなのだ。アダムズ・ファミリーじゃあるまいし(笑)、こんな絵に描いたようなゴス・ハウスに住んでるやついるかよ。
そういや、この映画の主な舞台はゴス・クラブで、いくらセノバイトはゴスに人気とは言え、そこまで墜ちるとは気の毒だ。何が言いたいかというと、アメリカン・ホラーなんて家見ただけでもダメダメだってこと。
逆に日本のホラーは確かに雰囲気はあるが、私はあの雰囲気が受け付けないのでだめだって話はどこかでした。でも実を言うと1本もまともに見たことがないので、一度は見て書かなきゃとは思ってる。そのうちテレビでなんかやったら見てみよう。

セノバイトは2の終わりでみんな元の人間に戻って死んだことになっていたのだが、3ではなぜかピンヘッドだけが生き返る。それで上記のようになんの哲学も教義も抜きに人を殺してまわるんだが、その途中でなぜか犠牲者がセノバイト化。ゾンビじゃねーよ。セノバイトは「苦痛の快楽」を極めた結果、ああいう異形の姿になってしまった、いわばこの道の達人なのに、なんで殺されただけの人たちが化けて出るんだか。
いちおう人間側の悪役はクラブの経営者の男なのだが、1のフランクや2のドクターほどの毒気も狂気もない、ただの犠牲者だし。

まあよかったのはヒロインが美人なことだけか。バーカーはゲイだからか、女優の選び方に大いに問題あるから。
このテレビリポーターのヒロインが、ひょんなことから同居させることになる宿なしのゴス少女は、2の少女を思わせるので、彼女は助かるのかと思ったら、殺されて敵に回るのはあんまりだ。
この子が自分とは別世界に住むヒロインに拾われた結果、自分の知らなかったまともな人間の生活に初めて触れて、適応しようと努力するところ(生まれて初めて料理をして全部焦がしちゃうところとか)は、なかなか健気でほろっとさせたのに。そういう感動のドラマになりそうな部分は、後足で踏みにじっておしっこかけてくれるあたりがいかにもD級映画。

あと、物語の基調になっているのが、主題とはなんの関係もないベトナムで戦死したヒロインの父親。ヒロインは夢の中でしばしば父親を見るのだが、なぜかそこに人間だった頃のピンヘッドもいて、なぜかヒロインに手を貸してくれるのも意味不明。
それを言ったら箱の用途もなんかぜんぜん変わっていて、元は異次元への扉を開くものだったのに、セノバイトを退治する武器になっているし、ほんと箸にも棒にもかからない続編とはこのことです。
しかし、このシリーズ、いつのまにか9本も作られてるのね。もちろん私は全部は見てないが、確かこのあとのやつにはけっこう気に入ったのもあったと思うので、これは監督がバカだっただけかも。

とりあえず、クライヴ・バーカーの哲学と美学については、アメリカに注文したばかりの『Nightbreed Director’s Cut』(邦題『ミディアン』)のブルーレイが届いたらちゃんと書くつもり。レーザーディスクは持ってるが、ブルーレイでディレクターズ・カットが出てることを、この映画について調べていて初めて知ったので。
ちなみにこの映画は日本じゃ絶版。クリーチャー大好きの私がクリーチャー・フィルムのNo.1だと思っている超傑作なのに!
クライヴ・バーカーについてはいつも書きたいと思いつつ、処女作の『血の本』ですら膨大になりすぎて途中で挫折してたんだが、いずれちゃんと書きたい。

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