【アニメ評】『寄生獣 セイの格率』(2014-15)(テレビアニメ)

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【マンガ評】『寄生獣』映像化作品二題 前置き からの続き

まず気付いたのは絵柄が原作とぜんぜん違うこと。岩明均の絵は(寄生獣じゃなくても)みんな妙に生気のない死んだ目をして、冷たい感じだったのが、普通のアニメ絵っぽくなっている。特に主人公の泉新一なんて、メガネをかけた気弱な優等生ふうで、まるで別人だ。これは昔の絵のままだと今の人に受け入れられないという、意図的な配慮らしい。
そんなんありかよ? 原作のあるアニメって、ふつう原作の絵に似せない? そのわりにヒロインがかわいくなくて原作より不細工なのも謎。おまけに髪型とか言動も古くさくて、むしろ原作のほうが新しく感じるんだが。
ただ、新一は物語が進むにつれ(寄生生物と同化するにつれ)顔つきが変わって原作の絵に近付いていくのだが、元があれだけに、単に「ぐれた」としか見えない(笑)。

次に気になったのは謎の副題。「セイの格率」ってなんぞや? 格率というのはカントの用語だそうだが、セイってなんだよ? この謎は最後まで見ないと解けない。最終回手前の3話のタイトルが、「性と聖」、「静と醒」、「生と誓」と、セイと読む感じの語呂合わせみたいになってるのだ。(最終回は「寄生獣」)

タイトルは凝っていて、これ以外はすべて「善悪の彼岸」だの「利己的な遺伝子」だの、小説や本のタイトルを借用しているのだ。(これは有名な時間SFの章題の付け方にあったのだが、どれだったか忘れた)
う~ん、はっきり言って中身とあんまり関係ないし、いかにも文学青年崩れの制作者が考えたって感じで、私には中二病としか思えないんですが。特にエピソード・タイトルぐらいならいいが、「セイの格率」というのはやり過ぎというか、小っ恥ずかしい。中学生時代の私も、自分が書くものにこういう、自分だけしか意味のわからない難しげなタイトル付けて喜んでました。黒歴史だけど。

とにかくこんな調子で、最初から作り手のエゴ先行、原作無視する気まんまんと思えたのだが、なんとアニメ自体は淡々と原作通りに進む。おまけに日本アニメ特有のまったく動かない絵だし(カートゥーンばかり見ていると特にそう思える)、例によって時間が足りないため物語はすいすい進むので、やけに淡々とした印象で、紙芝居か『日本昔話』でも見ているような気がしてくる。
結論から言ってしまうと、べつに良くもないが、悪くもないアニメ化って感じ。いちおう押さえるべきポイントは押さえて、そつなくまとめましたという感じの。原作がおもしろいから普通に見られるが、やっぱりこれなら私は原作のマンガ読んだ方がいいかな。

放映前、アニメファンや原作ファンの非難が集中していたのは、ミギーの声優が平野綾だということだった。私はもちろん知らないが、元アイドル?らしい。私もミギーはオスだと思っていたので、女の声優はいやだなと思っていたが、放送が始まるとなぜか世評は一変。平野綾で良かったということになっているらしい。
これがわからん。もちろんパラサイトの性別なんてわからんからどっちでもいいようなものだが、連載時はミギーは明らかにオスという扱いだったでしょ? それが女声なのになんで耐えられるんだ? 体が小さいから声も高いはずと言うが、それなら高い声の男か、男に高い声で話させるべきで、女が作り声でしゃべるのなんて気持ち悪いだけ。
さらに、彼女の「演技」がいいというのも、アニオタの妄想としか思えない。あのロボットボイスがいいって? いくらミギーに感情がないからと言って、それを表現するのにロボットボイスって、いちばんアホな発想に思えるが。感情なくたって生き物なんだからね。
あんなロボットみたいなしゃべり方じゃなくて、普通に感情を込めずにしゃべればいいだけなのに、それができないからああなったとしか思えないんだが。こういうののいい例をあげれば、たとえば『2001』のHAL9000の声ね。あれなんてもの柔らかで人間らしかったけど、感情がまったくこもってないところがいかにも冷ややかで機械らしかったのに。
さらにアニオタの感情を逆撫でさせてもらうと、私は平野さんという人がどんな顔してるかも知らないので、声だけから想像するしかないのだが、最初恐れていたようなアニメ声(甲高いキンキン声)ではなく、むしろおばさん臭い声だった。ミギーがおばさんの声でしゃべるあたりで、もうありえなくて私は勘弁してほしい。

あと、アニメファンの非難が集中していたのが音楽。これは私もひどいと思った。全体に淡々と静かな調子なのに、そこにいきなりけたたましい音楽が流れる、あのセンスはなんとかしてほしい。せめてパラサイトが暴れる阿鼻叫喚シーンだけにしておけばいいものを、なんか画面とまったく合ってないんだよ。

それでも好きなところもけっこうあったけどね。これは原作ではどうなってたか記憶にないっていうか、たぶんその部分は読んでもいないんだけど、たびたび出てくる夢のシーンはおもしろかった。特にミギーが「現実」とぜんぜん違う姿で出てきて、それを新一が指摘すると、逆にミギーが「君の目には私はそんな風に見えていたのか?」みたいに驚くシーンは意味深いと思った。

逆につまらないというか、これは原作にもあった要素だけど、なくなってほしいと思ったのは新一の日常生活、特に里美との関係を描いた部分。まずもって、高校生の恋愛なんて興味ないしどうでもいいし、うだうだしたはっきりしない関係がウザいし、高校生の頃って、こんな臭いセリフ吐きまくってたっけ? いやいや、私なんか70年代青春組だったけど、高校生にもなればこんな幼くなかったよ。まあ、いろいろと揺れる新一の心を表現するのに必要だったんだろうけど。
もうひとつ嫌なのは、里美が高校生のくせにけっこう母性的な女の子なこと。母親との関係を見ても思うのだが、新一ってもしかしてマザコン? おまけに里美は代用母? キメえ!っていうのは、べつにアニメのせいじゃなく原作がそうなんだろうけど。

ついでに、これはたぶんアニメのオリジナルキャラじゃないかと思うのだが、里美の友達が2人の関係にあれこれ口を出したり、冷やかしたりするのが死ぬほどうぜー! とにかく、クラスメートとの関係が小学生か中学生みたいで、幼稚っぽくて、主題とも関係ないし、なんか学園恋愛ものみたいで、ひたすらうざくて嫌いだった。青年誌なのに主人公を子供にする必要あったのかな? だいたい私が日本のマンガやアニメを嫌いな最大の理由が、子供ばっかり出てくる、あるいは大人でも子供みたいな言動をする(特に恋愛関係において)からなんだよな。

あと個人的に楽しかったのは、先に述べた英語字幕。こういう日本の日常的な話を英語にするのはむずかしいと思うのだが、なるほどこういうふうに言うのかと、とてもお勉強になりました。あと、YouTubeの実況(もちろん外人の)がなかなか笑えてよかった。

【映画評】『寄生獣』(2014)(実写映画) に続く

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