★【映画評】ライフ・オブ・パイ(2012)Life of Pi

life-of-pi1参考

夏なのでインド(についての)映画二題 ―― インドについて思うこと
【映画評】『スラムドッグ$ミリオネア』(2008)Slumdog Millionaire
【書評】ヤン・マーテル『パイの物語』 Life of Pi by Yann Martel (2001)

(今回はネタバレありです)

以前に書いたヤン・マーテルの原作の書評の最後に、この映画について「その臭いが映像から伝わってくるようならよし、キレイキレイで終わったらダメということにさせてもらう」と書いたのは、要するに映画だと原作の恐ろしい部分がカットされ、きれいごとのおとぎ話にされてしまうことを恐れたのだが、やっぱり映画は私の恐れていた通りのものになった。
まあ、現代文学が原作の映画で、原作を改竄してない映画なんてまずないから驚くことじゃないし、それが予想されたからああ書いたんですけどね。でも本当に先に原作読んでおいて良かった。あそこにも書いたように、ビジュアルイメージって本当に強烈なので、先にこっちを見たら、こういう話とすり込まれてしまうところだった。

参考 【書評】ヤン・マーテル『パイの物語』 Life of Pi by Yann Martel (2001)
   (ブログ化するにあたってかなり加筆してあります。以前読んだ方もどうぞ)

Director:

Ang Lee

Writers:

Yann Martel (novel), David Magee (screenplay)

ストーリーはほぼ原作通りだ。なのに「見せ方」ひとつでこんなにも印象が変わってしまうのね。いや、監督のアン・リー(メイキングも見たがいい人みたいね)をけなすつもりはない。映画ならこういう解釈もありってことで。
ストーリーや物語の意味については、書評の方に書いたのでそっちを見てもらうことにして、ここでは主として原作との違いについて述べる。

前半を占めるパイのインドでの生活の話は、原作ではなかなか楽しかったのだが映画では退屈だ。理由はおそらく、語り手の(中年になった)パイ(イルファン・カーン)と作家(レイフ・スポール)との対話が大部分を占めるからだろう。この作家(おそらくマーテルの分身)は原作にも出てくるが、原作ではたまに口をはさむだけで、ほとんどはパイの一人称語りなのに、なんでこうしたんだろう?
映画はせっかくのエキゾチックなビジュアルが見られるからすばらしいのに、この部分はしょせんおっさん二人がしゃべってるだけだしね。まあ、一人称でしか語れない心境とかを説明させるにはいいけど。

逆に、そのエキゾチックなビジュアルは、タイトルバックの動物園のシーンからして息を呑むほど美しい。他にもヒンズーの祭りのシーンや茶畑の風景なんかは、まあいかにも作り物めいていて、リアリティはまったくないんだが、美しいという点では本当に美しい。
実はこれがこの映画を通しての共通点。つまり明らかな作り物だがきれいってこと。

最初はこれにすごいイライラしながら見ていた。特にパイたちの乗った船が嵐で沈むシーンは期待しただけに怒り狂った。
私は海が好きで、事故や大惨事が好きなので、こういうのはめっちゃ興奮するシチュエーションなのだ。『タイタニック』みたいなお涙頂戴映画を実はすごく好きなのも、沈没シーンがすばらしかったからだし。
特に嵐の海にもまれる船と乗組員というシーンは昔からよく映画のクライマックスになっているが、CGの使えない昔はプールに浮かべた船の上で、俳優に水をぶっかけながら撮るしかなかった。それにくらべてあらゆる特殊効果が使える現代なら、どれだけすごい迫力があるかと期待したのだ。そしたら、プールに浮かべた船の上で、俳優に水をぶっかけていたんでがっかりしたわけ。

いや、もちろんCGも使ってるけどね。
でもその使い方が思い切り間違ってるんだ。この嵐の真っ最中に海に沈んだパイが見る沈没船なんだけど、夜の海、それも嵐の海中なんて、波が荒れ狂い一寸先も見えない闇の世界のはずなのに、まるで昼間の珊瑚礁かなんかみたいに明るくて、静かで透き通った水で、沈み行く船も明るくはっきりくっきり見えて、そのまわりをサメがスイスイ泳いだりしているわけ。ここで私は、もうこの映画はリアリティーは無視してファンタジー路線で行くんだなと思ってあきらめたけど。

これがその鏡面の海

これがその鏡面の海

だから、湖ならともかく、外洋がこんなに鏡面みたいに凪いで、空がくっきり写るなんてありえないとか突っ込んでも意味ないんだよね。そもそもこの部分は全部パイの作り話なんだし、映画はそれを示唆するためにわざとリアリティーなく描いてるのかもしれない。
だから嘘くさいし、ぜんぜん本当の海には見えないし、プールにボート浮かべて撮ってるのも見え見え。今なら背景なんて全部CGでもまったくわからないほど自然に合成できるのに、明らかに合成って感じで人と背景が浮いてるのも、下手くそなんじゃなくわざとなんだよね?
でも海が好きで特に海洋映画が好きな私はかなりがっかり。

ただ皮肉なことにその風景が美しいのも事実なのだ。まあ、現実には絶対見られない風景だから美しくても当然なんだけど。上に書いた鏡面の海とか、異常にでかい月とか、夜光虫でいっぱいの海で空高くジャンプするクジラとか。
パイとリチャード・パーカーが漂流し始めてからは、ほとんどがこういう幻想シーンみたいに美しい映像ばかりだ。
原作ではこの部分は(イージーモードだとは言ったけど)サバイバル物語になっていて読み応えがあったのだが、映画でも確かにそういう描写はあるものの、絵がきれいすぎ、まったく「臭わない」ために、原作以上に悲壮感はない

代わりに、本当の幻想シーン(パイが疲労のため幻覚を見るようになってくるらしい)では、トリップしそうなサイケなシーンがたっぷり見られて、これこそ文章では描けないものだから、私はそれなりに評価する。かんじんのパイの漂流場面が嘘くさいのに、こっちのCGはやたら気合いが入ってるし。
クジラがだまし絵みたいに動物園の動物たちを組み合わせた合成物になって、それがバラバラになって海の中を泳ぎ去って行ったり、海の中に宇宙やらなんやらが見えたりしてね。個人的には、幻想の中に出てくる「深海生物」がチョウチンアンコウとコウモリダコを合成しただけなので、笑ってしまった。これはあまりに安易すぎない? 確かに不気味には見えるけどさ。

これがチョウチンコウモリアンコウ

これがチョウチンコウモリアンコウ。本当にいそうだからむかつく。

まあ、映画に関しては私は最初から何も期待してなかったので、何も求めない。トラを除いては!
私が映画を見たかった唯一の理由はトラ。トラがとにかく好きなので、ぬいぐるみだろうがCGだろうが、(動物学的におかしくさえなければ)トラさえ見られれば満足なので。こればっかりは小説じゃ想像で補うしかないからね。そしてトラに満足させられたので、最初予定していた罵倒リビューは引っ込めたわけ。

リチャード・パーカーは俳優との絡みや危険なシーンはオールCGそれ以外のシーンは本物のトラを使っているが、よく見れば違いは明白なものの、さすがにトラのCGは出来が良く、アップにも耐える仕上がりになっている。
まるっきりリアリティーのない背景に置かれているにもかかわらず、トラはちゃんとトラらしく振る舞ってるのも気に入った。それでやっぱりトラは最高にかわいいし。ただ、映像で見ると、かわいすぎて情が移っちゃうんだよな。そこは原作はしっかり距離を置いて、あくまで危険生物として扱っていたのに、目で見ちゃうとつい同情してしまう。
海からボートに這い上がろうとするリチャード・パーカーを、パイが殺そうとして殺せないシーンとかね。浴槽に落ちた猫みたいで本当に情けない顔するんだもん。

たぶんこれは本物だが、なんであろうとトラはかっこいい

たぶんこれは本物だが、なんであろうとトラはかっこいい

ただ、終盤近く、弱って死にそうなリチャード・パーカーの頭を、パイが膝に載せてなでてやるシーンは原作にもないし蛇足だと思った。なんというかパイとリチャード・パーカーの関係はこういうペットみたいな関係じゃないから良かったのに。同情はしてもいいが、抱いたり撫でたりしちゃだめなの!

まあトラと海がきれいだったからよしとしたが、それ以外はあまりほめられない。特にどういう風に描くのか想像がつかなかったので、私がいちばん期待していた謎の漂流者と、ラストの種明かしのシーン。

書評の方に書いたように、目が見えなくなったパイは太平洋の真ん中で漂流するフランス人と出会うのだが、それまで普通にリアルな話だと思って読んできた読者(私もそうだった)にとって、「え、何これ? どういうこと?」と、現実がグラッと揺らぐシーンで、私はこういう現実感覚の崩壊が死ぬほど好きなのだ。だから映画でもそれを味わわせてもらうのを楽しみにしていたのに、このエピソードは全カット!
えー! よりによって原作のいちばんいいところをカットかよ!
まあ、理由もちょっとはわかるんで、このエピソードのミソは一人称視点の語り手であるパイが目が見えないってところで、これはビジュアルの付属しない小説だから書ける。
ところが映画だとまさか真っ暗な画面がえんえん続いて話し声だけがするというわけにはいかないし(でも私は映画にするならそれしかないと思って期待してた)、面倒くさいからカットということだろう。まあ、そういう実際的な理由でのカットなら許すが、「意味わかんないからカットした」んだったら許さない。

おかげで、見てる人はこれが現実なのか妄想なのかということで悩まないですむが、それを言ったらこの映画は、難破したところからすでに妄想全開だったっけ。だからあ、それじゃだめなんだよ。リアルな話と思わせて、それがだんだんおかしくなってくところがおもしろいんだから。
それに続くミーアキャットの島は、原作でも最も嘘っぽい場面だったが、映画はその前から嘘っぽいので、これもなんの疑問もなく普通に見れてしまうのが、いいんだか悪いんだか。

だからまあ、漂流話の部分はいいことにする。でもあのラストはやっぱり許せない感じ。以前の書評ではわざとぼかして書いたが、真相はというと、ボートに動物なんかいなかった。救命ボートに乗りあわせたのは、パイとその母親、コックと水夫の4人の人間だった。
足をひどく骨折した水夫は、コックが足の切断手術をするがまもなく死ぬ。コックは水夫の体を細切れにしてその肉を食う。パイの母親はコックを強く非難し、コックがパイを殴ったことをきっかけにケンカになり、コックに殺されてしまう。コックは母親の首を切断してパイに投げつけ、彼女の肉を食らう。その後、パイはコックと戦うが、さすがにやりすぎたと観念したらしいコックは抵抗もせずに殺される。パイはコックを解体して食べる。
この4人はボートの動物たちに対応している。母親はオランウータン、それを殺したハイエナはコック、足を折った水夫はシマウマ、そしてコック=ハイエナを殺して食ったパイはトラだ。

これが「動物の出ない物語」だったわけだが、映画はどう見せるんだろうと思っていた。さすがにこれをそのまま映像化したら胸くそが悪すぎるが、かといって出さなかったら物語のテーマが伝わらないしと思って。
それでどうなったかというと、映像は見せず、大人になったパイが作家に語るだけでまんまと逃げた。それも母親の生首をぶつけるとかいう残酷な場面はすべてカットした無難バージョンで。それでもいちおうカニバリズムには触れているんだが、あまりにさらっと語られるので、映画だけ見た人はつい聞き流してしまいそう、少なくともあまり重要とは思わないかもしれない。
原作だと、それまでの童話っぽい雰囲気から一転して、信じてたもの(パイの話)が一気にガラガラと音を立てて崩れるところがなんともショッキングで恐ろしく、かつ心地よかったのに、映画じゃそれはほとんど味わえない。こうなると原作の良さは死んだも同然だね。

ミーアキャットの島も、生き物をすべて溶かしてしまうというグロい話で、果実の中から人間の歯が出てくるという場面もぞっとするシーンだったのだが、魚が溶けてる描写も果実の中の歯も、映像がきれいなせいでぜんぜん恐ろしくはなく、むしろミーアキャットのかわいらしさだけが印象に残る、見るからに、おとぎ話そのものだった。

夜光虫の海とジャンプするクジラ

夜光虫の海とジャンプするクジラ

原作のテーマである宗教もさらっとなでただけで、おそらく観客には伝わらない。
宣伝やなんかでも、やたら映像美や感動作ってことをうたってるし、これじゃ、映画見る人は、少年が難破で両親を亡くし、トラと漂流するという試練にあったが、がんばって見事に生還した話と思うだろうな。いや、見た人でもそう思ってる人多そう。

そう思ってる人に、「ライフ・オブ・パイ? ああ、主人公が人殺して切り刻んで人肉食って生き延びる話ね」とか言ったらどうなるんだろ?(ぜひ言ってみたいが、私のまわりにそんなバカはいない) いや、でもほんとにそういう話なんだけどな。
でも、この醜悪な部分があるからこそ、「いい話」の良さが身にしみるのに、映画は汚い部分は切り捨てて、美しさだけを強調したものになってしまった。
でも映画ってのはそういうものだから、まあしょうがないというのが私の結論。やっぱり原作には遠く及ばないが、それでもきれいだから見る価値はあるでしょって感じで。(なんか投げやりなのは、しょうがないとか言いつつやっぱり不満なせい)

結論が先に出ちゃったが、主演のスラージ・シャルマはずぶの素人。インドは映画大国だし、英語をしゃべるインド人俳優はいくらもいると思うのだが、まあ、手垢の付いていない新人を使いたかったんでしょう。なんで選ばれたのかは、あの無邪気そうなルックスを見ればわかるけどね。演技はまあうまくないが下手でもなく、まずまず見られるレベル。
作家を演じたレイフ・スポールは英国の俳優ティモシー・スポールの息子。親父はデブの醜男だが、レイフは繊細で人の良さそうな感じで好感が持てるルックス。
コックは上記のように画面に出るのは船が沈む前の1シーンだけなのだが、ジェラール・ドパルデューを使うというぜいたくな配役。それを思うと、やっぱり少しはボートの上のシーンも見せてほしかったなと思う。

広告
カテゴリー: ★(おすすめ), 映画評 タグ: , , , , , , , , , , パーマリンク