★【映画評】オール・ユー・ニード・イズ・キル(2014)Edge of Tomorrow

Edge-of-Tomorrow(SF映画、それもタイムトラベルものということで、当然予想される通りの突っ込み祭り。それでも実はこの映画、かなり好きだったりするそのわけは?)

というわけで、私は主人公(ヒーローでもヒロインでも)が徹底的に痛めつけられ、いたぶられる話が大好きなのだが、それにも限度がある‥‥(中略)‥‥この、虫ケラみたいに無造作に殺されるトム・クルーズにうっとりしたので映画も気に入ったわけ。

原作とマンガのこととか

『寄生獣』を見たあと(『おおかみこどもの雨と雪』もだった)、「二度と日本のアニメや邦画なんか見ねーよ!」と息巻いていたのだが、またこんなものを見てしまった。しかもアニメやマンガ原作ならまだしも、原作がラノベ!(原作 桜坂洋 しかも大嫌いなトム・クルーズ主演のハリウッド製実写版!

何を血迷ってたのかと思われるでしょうが、実はこれのコミカライゼーションを先に見ちゃったので。いや、『デスノート』の小畑健が描いたマンガ版【注1】、ネットで最初の3話だけ無料公開されてたのでつい見ちゃったのだ。(『デスノート』は好きだが、小畑健の絵はそんなに好きじゃない。特に人物の顔が。でも絵はうまい人だと思う)
それで、タイム・ループというこの発想自体は使い古されたアイディアなんだが、「死んで強くなる」という設定がなんかゲームみたい。それも私の好きなローグライクみたいで【注2】おもしろいなと思ったのが、映画も見たいと思ったきっかけ。

【注1】小畑健が描いたマンガ版 こういうのはいくらリンク貼ってもすぐに消えたり移転しちゃうので、読みたい方は「オール・ユー・ニード・イズ・キル 小畑健」とか「オール・ユー・ニード・イズ・キル マンガ」で検索すればすぐに見つかります。

【注2】ローグライク ひとりごと日記の2009年3月11日に詳しい紹介があるので、興味のある人はそっちを見てほしいが、簡単に言っちゃうと、いくら死んでもゲームオーバーにならないお子様用ゲームと違って、ローグライクは死んだら終わりのRPG。稼いだ金も経験値も、死んだらデータはすべて消える。しかしプレイヤーは当然死なないで、何度でも繰り返しプレイできるので、何度も死にながら死なない方法を模索する必要がある。それでいつの間にかゲーム内のキャラクターじゃなく人間のプレイヤーの方がレベルが上がって強くなってるわけ。それがこの話の設定によく似てると思った。

ちなみにマンガのほうはお試し版だから3話しか読めないんだけど、最初こそこれはおもしろいかもと思って読んでたが、女性キャラが出てきたらみんな萌えキャラだった、というところで一気に冷めて、お金払ってまで読む気は失せたし、原作はやっぱりどうでもよくなった。
ていうか幼女が「いや~ん」とか「ミャハ☆ミ」とか言いながら戦争するんだ。(たぶん幼女じゃないしそうは言ってないが私にはそう見える) ふ~ん? そうなんだ? へえー。

映画のこととか

とりあえず、映画のポスター見たかぎりじゃ、萌え要素はなかったばかりか、ヒロインのエミリー・ブラントはけっこう私好みの「戦うヒロイン」に見えたので、それだけを目当てに見た。

しかし、またトム・クルーズ主演のSF(いちおう)かよ! 最近の私は映画はもっぱらテレビなので、別に選んで見てるわけじゃないんだが、SF映画はいちおう立場上見ずにいられないのに、それがトム・クルーズ主演ばっかりで頭にくる! というのもこの人、そういう映画ばっかり選んで出てるみたいなんで。
しかし彼ももう若くないし、これだけの大スターなら、SFアクションなんて出てる場合じゃないはずなのに。(あの年でそういうのばっかり選んでいたキアヌーは許す) こういう「スター」って、年を取ると渋い人間ドラマ路線に変わるものじゃないの? それをしないってのは、よっぽどこういうのが好きなのか、きわものだからそういう映画でしか使ってくれないのか(キアヌーはちょっとそのケもあり)、それともサイエントロジー信者(教祖がヘボSF作家)だからか。っていうのは前にも書いたっけ?

ちなみに、萌え要素以外にも原作と映画はまったく違うらしい。原作は日本が舞台でヒーローは日本人なのに、映画はヨーロッパでアメリカ人、原作の主人公は若い新兵なのに、映画はおっさんの将校、映画では主人公たちはリセット能力を失うが原作は失わない、映画はハッピーエンドだが原作は違うなど、いろいろあるようだが、要するに完全に別の話と考えた方がいいみたい。とりあえず、原作読む気はまったくないし、いちいちくらべるのは面倒なので原作は完全無視、映画だけに話を絞らせてもらう。
『ライフ・オブ・パイ』なんかは原作が私の専門ジャンル(英国小説)だったので原作にこだわったが、ラノベじゃねえ。

英語に関するイチャモン

ところで、『All You Need Is Kill』という死ぬほど恥ずかしいジャパングリッシュ丸出しの原題は、“Edge of Tomorrow”という、インパクトはないがちゃんとした題名に変えられていたのでほっとした。あのままだったら日本の恥になるところだった。
まったく(ラノベ作家になんか何も期待してないから)作者はともかく編集とか出版社とか、中学レベルの英文法知ってる奴はひとりもいなかったのかよ! 大学出てるんでしょ? これで日本の英語教育は文法偏重とか平気で言うもんな。どこが! ケッ!(仕事のことになると日頃の憤懣が爆発して荒れる)
だいたいこれじゃ作者が意図した意味がどっちなのかわからん。普通なら当然「All You Need Is to Kill」だろうと思うところだけど、内容から言ったら「All You Need Is to Be Killed」っぽいからね。これだから××は!

(なんか今回は最初から悪意むき出しだが、ラノベと萌えと日本人英語という私の嫌いなものが立て続けに出てきたので荒れているだけです。このあとすぐに機嫌良くなるので待ってね)

このタイトルだって、おそらくビートルズの『オール・ユー・ニード・イズ・ラブ』を安直にもじったものに違いない。なのにラブは名詞だけどキルは動詞だってことに気付いてないからこうなったんだろう。
こんなふうに書くと「killにも名詞形はあるだろう」と、いらん突っ込みをする奴が必ずいるから書いておくと、限られたコンテクストでしか使わないし、killはカウンタブルだから必ず冠詞が付くんだよ。

とりあえず小説のタイトルは日本の小説なんだからこれでもいい。(私は許さないけど) でも最近はすぐ海外で映画化とかされるし、アニメとかもみんな輸出されてるんだから、せめてタイトルぐらいは外へ出して恥ずかしくないものを付けてほしいと思う。

なんでそれにこだわっているかというと、『デスノート』がドラマ化に続いて、再度映画化されるというニュースを聞いたから。『デスノート』は英訳も出てるし、海外にもたくさんのファンがいるので当然向こうでも公開されるだろうが、このタイトルも恥ずかしくてしょうがないので。
もちろん日本で言う「ノート」は「ノートブック」の尻切れ語です。ブックなしのデスノートじゃ、自殺者の遺言(「先立つ不孝をお許しください」とかいうたぐいの)としか聞こえない。
だから海外では当然“Book of Death”とかそのたぐいのタイトルに変えられているものとばかり思っていたら、翻訳書も“Death Note”のままなんだよね。これ英語版で持ってるけど、見るたびイライラするし、初めて読む人はとまどうと思う。

もうひとつ英語関係でイチャモン付けると、ビル・パクストン演じる軍曹(Master Sergeant Farell)の名前が字幕で「ファレになっていて、それが気になって「ファレウ」が出るたび画面に集中できなかった。最初はてっきり誤植と思って、巻き戻して二度見しちゃったよ。
確かに語尾のLの正しい発音は「ウ」のほうが近いが、私は40年間英語を仕事にしてきて、Lを「ウ」と表記した例なんか一度も見たことがない。だからやっぱり誤植だと思って、allcinemaやWikiで確認したら、本当にぜんぶ「ファレウ」になってた。
この字幕翻訳者がすべてのLを「ウ」で書いてるなら、それはそれですごいと思うが、日本語としては崩壊しているし、ものすごく読みにくそう。そんなにこだわるなら、タイトルも『オール・ユー・ニード・イズ・キウ』にしろよ!(笑)

いや、こういうカナ表記って訳者じゃなく配給会社が付けるのかもしれないから、この人だけを非難するつもりはないが、俳優の名前のカナ表記は珍読のオンパレードですべてデタラメと思った方がいい。いや、映画だけじゃないな。「カート・コバーン」が未だにまかり通ってるところを見ると。(もちろん正しくは綴り通りに読んで「コベイン」)(くどいようだが、音的には「ファレウ」は正しいから勘違いしないように)

固有名詞の発音とカナ表記の問題は、そもそも音素の少ない日本語は外国語をうまく表記できるようにはできてないという問題があって、一概には解決できないんだが、それにしても英語能力や海外経験がちょっとでもあればおかしいと気付きそうなものだが。こんなに留学生や帰国子女がたくさんいて、誰もなんとも思わないのかよ。
そのため、私はこの日記では固有名詞はすべて原語表記に統一してたんだが、さすがに英語まじり日本語は自分でも読みにくいのでカナに変えた。それに検索する人の便宜も考えて、日本の「公称」に統一してるんだが、あまりにひどい時は指摘するようにしている。

『オール・ユー・ニード・イズ・キル』映画版あらすじ

人類はミミックと呼ばれる異星人の侵略を受けているのだが、戦況は劣勢で、ヨーロッパ本土はすでに敵の手に落ち、イギリスがヨーロッパ最後の砦になっている。そこに赴任してきたアメリカの広報担当将校、ウィリアム・ケイジ(Tom Cruise)は、いきなり二等兵に降格された翌日、最前線のフランスの海岸に送り込まれる。彼はそこでミミックに襲われるがいまわの際に爆弾を抱えて相打ちになる。
死んだはずのケイジが目をさますと前日のヒースロー空港に戻っている。この現象は彼が死ぬたびに起き、その後は記憶とまったく同じ光景が繰り返されるが、前の記憶のおかげで、少しずつ長く生き延びられるようになっていく。

この過程でケイジはこの戦争の英雄であるリタ・ヴラタスキ(Emily Blunt)と知り合い、彼女もかつて同じ能力を持っていたことを知る。このリセット能力(と呼んでおく)はアルファと名付けられた特殊なミミックの血を浴びたせいで身に付いたもので、ミミックはこの能力を使って人類の作戦を事前に知り、戦況を有利に導いていたのだ。
ところが軍はリタの主張に耳を傾けず、リタは負傷時の輸血によって能力を失ってしまう。リタと彼女の言い分を信じた唯一の科学者カーター博士(Noah Taylor)は、軍に頼らず、ケイジの能力を使って、オメガと呼ばれるミミックの親玉(ていうか、すべてのミミックが1匹の生物らしいので、その脳)を倒す作戦を立てる。
なんだかんだあって、ケイジも能力を失ってしまうのだが、ラスト、ケイジとリタはケイジの小隊の助けを借りて、ルーブル美術館の地下に潜むオメガを襲撃し、彼ら自身もオメガ共々玉砕する。
しかし目覚めたケイジは自分が前の帰還ポイントより前の時間に戻っていることに気付く。この世界ではすでにミミックは滅亡し、リタも無事なことを知ってめでたしめでたし。

なんかあらすじに書くとおもしろくなさそうだが、実はこの映画のおもしろさはそれ以外の部分にある。プロットだけなら後で記すようにラノベ並みに破綻してるし(笑)。ハリウッド映画ってことで、もうちょっとちゃんとした脚本を期待した私がバカでした。

でも突っ込みやあら探しはあとのお楽しみに取っておいて、まずはこの映画のいいところを書こう。ボロクソ言ってるようだが、これでももちろん気に入ったから書いてるんだからね。ほんとにゴミだと思ったら、そもそも最初から見ないし書かないから。この日記にJポップとか韓国ドラマとか出てこないでしょ?

主役のこととか

まずヒロインのリタを演じたエミリー・ブラントだが、顔はあまり好みじゃないし、体つきも強さもいまいちだが、なにしろその前に見たリタがこれなので、異常にかっこよく見えてしまった(笑)。

小畑版リタ

原作の主人公が初めて会った時の小畑健版リタ

同じく映画版で最初にケイジが目にするプッシュアップ・リタ

同じく映画版で最初にケイジが目にするプッシュアップ・リタ

この汗にまみれてトレーニングする姿がめちゃくちゃエロくて良かったんだよね。普通にしてるのを見たらいまいちだったけど。
顔が今ひとつだし、私の好みからすると背が低すぎるし(これでも170cmあるんだけど)、おっぱいないけど、普通に美人だし、イギリス人だし、こういう女性嫌いじゃないですけどね。
しかし今回の目玉は彼女じゃない。実はトム・クルーズのほうなのだ。

まず、なんでこの役にトム・クルーズ?という苦言から。『バニラ・スカイ』のところに書いたように、若い頃は確かにある種のハンサムだった。しかし年取った今はただの貧相なおっさん。なのになんでか体を張ったアクション映画にこだわるものだから、言っちゃ悪いがもう「年寄りの冷や水」にしか見えない。
キアヌーも似たようなものだが、キアヌーには永遠の若さ(さすがにちょっとくたびれてきたが、まだまし。ちなみにキアヌーはこの人より2才下)があるし、スタイルがいいからな。かっこさえよければあとはCGでごまかせるし。なのに、トム・クルーズじゃいくら体鍛えても短足短躯は隠せないし。
あれれ? また悪口になってる! せっかくほめようと思ったのに。それじゃ気を取り直して‥‥

主人公の受難について

私は昔からヒーロー・ヒロイン(主人公)は誰よりも苦しまなければならないという持論の持ち主だ。だってそうじゃない? いやしくも主人公ならば、人より楽するなんて許せない。人一倍の艱難辛苦に耐えてこそ主人公たる資格があるのだ。
もちろん、たいていのストーリーでは主人公は試練に遭う。でも私の感覚ではまだまだ甘いと思う。ちょうどこないだテレビで、傑作の呼び声が高い『ダークナイト』を見たのだが、悲劇のヒーローを気取ってるが、バットマンなんてしょせんは金持ちの道楽じゃん。ハリー・ポッターが強いのは、持って生まれた能力のおかげじゃん。なんかこういうのって許せない感じ。

というわけで、私は主人公(ヒーローでもヒロインでも)が徹底的に痛めつけられ、いたぶられる話が大好きなのだが、それにも限度がある。というのも、いたぶられ過ぎて主人公が死んじゃったら話がそこで終わってしまうし、死なないまでも重傷を負ったら(手足を失うとか、目をつぶされるとか)、ストーリー上制約がありすぎて話の展開に支障が出る。
でもちゃんと抜け道はあるもので、

・死んでもいいように主人公がたくさんいる群像劇にする。
・実は夢だった。
・バーチャルだった。
・主人公は不死人。ないしはちょっとやそっとじゃ死なない体質。

など、いろんなパターンを見てきたし、中には本当の傑作もたくさんあるんだが、その話は長くなるのでまた今度。
このタイムループというのもそれに当たる。死んでも1日戻るだけなんで、死んでもヘーキ、というのを一歩進めて、むしろ死ななきゃ始まらないとしたのが、この原作のいちばんすごい点だろう。普通、こういう特殊能力って主人公を楽にするためのものなのに、主人公にとってはありがた迷惑というか、ろくでもない能力ってところがすごい好き。

なにしろ実戦体験ゼロで若くもないおじさんが、ノルマンディー上陸作戦のオマハ・ビーチを思わせる地獄の戦場に放り込まれてしまうのだから、死んであたりまえなのだが、そのおじさんがたまたま得た能力のために地球人類を救う使命を課されてしまう。それでどうなるかというと、「死んで覚えろ」作戦なわけね。
どうすれば死ぬかを学習できるので、次からは同じ失敗は避けられるわけだが、それまでにはゲームの主人公さながら何度も何度も死ななきゃならない。それも完全にリセットされて元に戻るんじゃなく、記憶だけは受け継がれる‥‥ってことは、その無数の死をすべて覚えてなきゃならないわけだよね。
死ぬってのはたぶんすごく痛いので、だけど死んじゃえば痛みは感じないし覚えてられないからなんとかなってるが、それをはっきり覚えてて、しかも自分の死を予期しながら逃れられないのって、普通の人間ならトラウマどころか数回で気が狂うんじゃ‥‥おっと、この手の突っ込みはあとにするんだった。

好きになってしまいそう

とりあえず、この映画ではトム・クルーズの死にっぷりがあまりにもいさぎよくすがすがしく、なおかつしつこいぐらいに繰り返されるので、すっかり気に入ったわけ。
さらに、輸血すると能力が消えてしまうという設定なので、(「消えたらまたアルファの血を浴びればいいじゃん」という突っ込みはやめておく)、死なないまでも怪我をしたら終わり。死んでリセットするしかない。ケージはリタの指導で実戦さながらのハードな訓練を受けるのだが、その間も死にまくり、ちょっと怪我しただけで容赦なくリタに射殺される。
この、虫ケラみたいに無造作に殺されるトム・クルーズにうっとりしたので映画も気に入ったわけ。(それでも役者がトム・クルーズじゃなければもっと‥‥という不満はあるが) 私は『スターシップ・トゥルーパーズ』(後述)もかなり好きなのだが、あれも人間が虫ケラに虫ケラみたいに虐殺されるという皮肉が最高だったが、かんじんの主人公はさすがに殺すわけにはいかなかったからこっちのほうが上だ。(どういう理屈だ?)

なのに、これが気に入らない人もいるので驚いた。この部分が不必要に残酷すぎるとか、(いちおう)ラブロマンスの相手であるリタに殺させるのがあんまりだとか。わかってないなー。だからいいんじゃない!
私はむしろもっと死ぬところをちゃんと映してほしかった。実はケイジの死体や殺害場面をはっきり映すのは最初だけ。最初、アルファと地雷で心中したときは、トム・クルーズの顔が焼け焦げて肉や皮が剥がれていくところを映したのに、その後は血すらも見せないのは、やはりレーティングに気を遣ったせいか。

それにしても、もうおもしろがってやってるんじゃないかと思うほどのしつこさには笑った。不可避な死はともかく、ちょっとでも邪魔が入ったり、失敗したりするたびにズドンでリセットなんだから。皮肉なことに、死の重みや残酷さを見せまいとしたために、なんかのコントみたいに見えてきてしまう。いや、それともこのコメディータッチは意図的なものか? 死ぬケイジ本人も、最初のうちは殺されそうになると「あっ、待て! ちょっとタンマ!」みたいにあせってたのに、しまいにはあきらめたのか「もういいです、やっちゃってください」みたいに観念して死んでいくのがおかしくて、死ぬほど笑った。
あー、映画でこれだけ笑ったのは久しぶりだ(笑)。(あー‥‥) これじゃトム・クルーズのこと好きになってしまうじゃないか! 実際、かっこつけたアクション・ヒーローのトム・クルーズより、こっちのほうがはるかに好感が持てる。ほかにも、パワードスーツ着てちょこちょこ歩くところとか、あえてかっこ悪いところを見せたのか、本当にかっこ悪いだけなのか知らないが、トム・クルーズはそういうほうがずっと似合う。もっとコメディー要素を増やしてくれたらかなりの傑作になったかも。

それでいて泣かせるし

そのケージと行動を共にするリタは、時間跳躍能力を失ってしまっているので、死んだらやり直しがきかない、というのも物語に緊張感を与える、いいアイディアだと思う。原作みたいに二人で死に放題じゃ、なんだかバカみたいだ。

中盤、戦場から逃れてフランスの農家に隠れたケージとリタのやりとりは、それまでがハイスピードアクションの連続だったので、「中だるみかな?」と思って見てた。そこにはヘリコプターがあり、。ヘリで脱出しようとあせるリタに対して、ケイジはあの手この手でのらりくらりと引き留めようとする。なにグズグズしてるんだ、この野郎!と思ったが、真相を知ってちょっとほろっとした。
実はヘリで逃げると、どうやってもミミックが追ってきてリタが死ぬ運命が避けられない。そう言って、ケージはリタにここに残るように説得するのだが、それってつまり、これまでも何度も目の前でリタが死んで、そのつど、彼女を生き返らせるためにケージは自殺してリセットしてたってことじゃない。

ヘマしてリタに殺されるのは当然として、人を助けるためにあえて自殺するというのは(どうせ生き返ることはわかっているにしても)、それなりに崇高な行為であろう。ましてこの人の場合、ただ死ねばいいだけじゃなくて、前日に目覚めたところから、兵舎から逃げ出してリタを見つけて信頼を得てきつい訓練をやるところから全部最初から繰り返さないとならないんだからね。私だったら、途中でくじけて「もうめんどくさいからいいや」ってなりそう。
そう思うとちょっとジーンとするエピソードで、口には出さないがリタもそれを察したのか、それまでツンツンしてた態度が和らぐところがいい。
へえー、こういう演出もわりと気が利いてるじゃない。監督誰だ? ダグ・ライマンって誰? 『ボーン・アイデンティティー』のシリーズで当てた人か。私はアクション映画って基本的に関心ないので、どれも見たことがないから知らないや。

タイムループについて

というわけで、このヘリのシーンのあたりまではテンポもよく楽しんで見れた。
特にこの時間ループものってやつ。上にも書いたがぜんぜん目新しいアイディアではなく小説にはよくあるのだが、正直小説で同じ場面を何度も読まされるのはかったるいし疲れるし飽きてくる。(場合によっては数十ページも続くのがあった)
しかしこれが映画だと勝手に進行してくれるので楽だし、デジャヴ感覚が楽しめてなかなかいいことに気が付いた。映画のデジャヴってほんと好き。いつも言う、現実感覚が崩壊する感じが味わえて。なのに、コメントで「繰り返しが多くて飽きる」なんて書いてる人もいたな。そういう人はこういう映画見ない方がいいよ。

もちろん飽きさせない工夫もいろいろしていて、最初から全部リピートするわけじゃない。要所要所をうまくつないで、話の流れをつかめるようにしてある。たとえば輸送機から降下するシーンでは、1回目は無様に顔から落ちたケイジが、何度も繰り返すうちにちゃんと三点着地してるところを見せて、ループには利点があることをさりげなく説明するシーンとか。最初のうちはループ部分を長めに見せて、何が起こっているのか観客がわかるようにして、あとはだんだん加速して、訓練シーンなんかでは死ぬところを立て続けに見せるとか。この辺は編集もうまい

ここからはけなすよ

さて、ほめるところはちゃんとほめたから、あとはけなそう(笑)。お楽しみの突っ込みはもうちょっと待って。

第一に、今言ったようにループ部分のスピード感あふれるジェットコースター感覚があまりに楽しすぎて、ケイジが能力を失って普通のアクション映画になってからは、退屈とは言わないまでも普通の映画になっちゃった。

「平凡な中年男がいきなり戦場に放り込まれたら?」というifの世界でも、ハリウッド映画では主人公は絶対弾には当たらないし、たったひとりでやすやすと敵の大群に打ち勝ってしまう。この映画はそういう映画の嘘を見事に打ち破って「あっという間に死んじゃう」という現実を垣間見せたのが爽快で、ほんとの戦争ってこんなもんで、人間って意外と役立たずでモロいということを見せつける当たり、なかなかどうしていい映画じゃないの‥‥と感心して見ていたのだが、リセット能力を失ったケイジも不死身なのを見て、「ああ、やっぱり」とがっくり。せっかく良かった前半の設定を自分でぶちこわしにしてるじゃん。
「リセットで経験積んで強くなった」というのはナシね。どんな歴戦の戦士でもあんな化け物と一対多数で、しかも武器なんて現行の兵器と大して変わらないんじゃ勝てるわけないじゃん!
それを抜きにしても、「最終決戦」に出発してからは話も映像もアクションも単調で、私は早送りにして見た。ここで小隊の面々を使うのも、単に弾よけにして、ついでに殺してお涙頂戴という意図が見え見えで、それまでほとんど人間としての彼らが描かれてないので感情移入もできない。

パクリにもほどがある

次、なんかパクリだらけで萎える。おそらく原作がパクリだらけなのに、それをパクった映画がまた他からパクってるせいだろう。どこかで見たようなデザインとかどこかで見たようなプロットだらけで頭が混乱する。
何より、全体がポール・バーホーベンの『スターシップ・トゥルーパーズ』そっくり。(あっちの元ネタはハインラインの『宇宙の戦士』) もちろん『スターシップ・トゥルーパーズ』のメインテーマは若者の成長物語だし、こっちはタイムループだから話は違うんだが、冒頭のニュース画面からしてそっくりだし、エイリアン対地球軍の戦いとか、パワードスーツだとか、パクったと言われてもしょうがないほど似ている。英雄を「軍神」として奉ってるところもまるでいっしょだ。(これは『スターシップ・トゥルーパーズ2』だったか?) ほんとオマージュというレベルを超えたパクリ。
だいたいパワードスーツなんてぜんぜんかっこよくないし、なんでこんなのありがたがるのかもわからない。トム・クルーズが着るとよけいかっこ悪いし。さらに今どきの戦争で(っていうか近未来らしいのでなおさら)なんで歩兵で接近戦しなきゃならないのか! というのは確か『スターシップ・トゥルーパーズ』のときも言った。

ラスト、トム・クルーズがオメガを殺す時に、手榴弾の抜いたピンを誇らしげにひけらかして見せるところは『レオン』の有名なラストシーンのパクリだし、注意して見ればそういうのがもっとありそう。

【追記】

『スターシップ・トゥルーパーズ』を見たのはかなり前だったので忘れていたので訂正。これを見て不満を持ったせいで、また見返したのだが、『スターシップ・トゥルーパーズ』にはパワードスーツは出てこない。私は原作のハインラインの印象のほうが強いので、すっかり忘れていた。そういえば、そのせいで公開当時はSFおたくに叩かれてたんだった。私はやっぱりないほうがいいと思うが。
その代わり、他の所で似てることを発見。あの世界って、テレパシーとか未来予知が使える超能力者が重要な戦略要素として存在する世界だったんだね! いちばんのキモの部分がパクリかよ!

このエイリアンはないわ

あとエイリアンがひどい。私はクリーチャー・フェチなのでこれはすごい汚点。てか、クリーチャーがヘボいだけで見放すレベル。ちなみに、原作(のマンガ)との比較をどうぞ。

マンガ版の「ギタイ」

マンガ版の「ギタイ」

映画版のミミック

映画版の「ミミック」

このように原作ではウニっぽいのが、映画では触手がニョロニョロしたタコっぽいものに変わっている。
原作のエイリアン(「ギタイ」と呼ばれている)もおそろしくかっこ悪くて、「おいしそう」ぐらいしか思わないから改変は大いにけっこうだが、これはないよ! なんか枯れ木か鉄くずを組み合わせて作ったアートかなんかに見えて、まったく生物に見えないところがひどい。
これがニョロニョロズルズル動くところは『マトリックス』のエイリアンにも似てるんだが、あっちはまだ機械生物としてありなデザインだったのに、これは何を目指しているのかさっぱり。『スターシップ・トゥルーパーズ』のバグもけっこう好きだった。なにしろ強いし、ウジャウジャした虫っぽい感じが生理的嫌悪をそそって。なのにこれはなーんもいいとこなし!

おまけに名前が「ミミック」って、それは『ミミック』からのパクリでしょうが!(この映画はB級だけどわりと好き) しかも『ミミック』は本当に擬態するからこの名前であってるが、こっちのエイリアンはまったくそんなことはしないし‥‥と書いて、はっと気付いた。
もしかして、原作のエイリアンの名前「ギタイ」って擬態のことか? それで映画はそれを英語に直訳しただけか! いや、ギタイが擬態かどうか確証はないし、原作のエイリアンに擬態能力があったのかどうかも知らんからなんとも言えないけど、映画は意味不明の名前なのは間違いない。

あと、リタが持ってる巨大なナタみたいな武器、あれはマンガにもあったからたぶん原作通りなんだろうが、あれがいかにも無意味でラノベっぽいというか、いかにもゲームっぽくて恥ずかしかったので、ほとんど使わないでくれたのは幸いだった。だいたいなんで彼女だけあんなものかついで、他の兵隊は持ってないんだ?

それじゃあ、そろそろお待ちかねの突っ込み行きます。こういうあら探しって人が悪いし、しょせん映画なんだし、やめようとはいつも思って、これでも控えてるんだが、これだけアラだらけの映画で黙ってるのはもう無理!

これって陰謀じゃないの?

たとえば、アメリカ軍の広報将校、それもデスクワークだけでまったく実戦経験のない中年男が突然二等兵に格下げされて最前線に送られて殺されるって、普通に考えたら、何か取り返しの付かないことをしでかした懲罰か、さもなきゃ誰かにはめられて謀殺されたとしか考えられないのだが、自分の命に関わることなのに、ケイジは完全にスルー。
いったい誰がなんのために彼を殺そうとしたのか、普通の映画ならそれがメインプロットになるような謎なのに、ここではなんの説明もされていない。これまた普通に考えたら、犯人はあの将軍で、理由はケイジがむかつく野郎だからぐらいしか考えられないんだが(笑)。とりあえず、これが陰謀だとしたら、ミミックが滅びてもケイジの敵はまだどこかにいるわけで、女を見てニタニタしている場合じゃないぞ!
まあ、これは原作の新兵をトム・クルーズに演じさせるために、無理やり後付けした設定だから、矛盾が出てくるのもしょうがないんですがね。年が年だから、新兵というわけにはいかないから将校で。でも初の戦闘ということにするためには、デスクワークにというわけで。その言い訳を最初にグダグダやってると、ストーリーのテンポが悪くなるからあっさり無視した、と。
それにしても、せめて少しはフォローしろよ。科学的矛盾と違って理由なんていくらでも付けられるんだからさ。でも面倒だから投げたという感じ。

軍の対応がありえない

不随意とはいえ、時間航行能力、周囲の人間から見れば予知能力が身につくというのは、戦略的に考えれば何を犠牲にしても欲しい能力だと思うし、ましてそれが敵の戦法となれば、軍からすれば喉から手が出るほどほしいはず。実際、この能力ひとつで、エイリアンを滅ぼして人類を救っちゃうんだし。
ところが、リタとカーターがそれを訴えても軍は信じなかったり、彼女の言葉を信じれば解剖台に載せられるところだったというのは、まず絶対あり得ない。予知能力がはったりじゃないと証明する方法はいくらもあるし、実際、作中でもケイジはそれで味方を説得するんだから。

名所観光するエイリアン

あと、ミミックもバカ。観光客じゃあるまいし、なんでルーブルなんかに居座ってるんだか。ケイジはリセット能力に付随する「幻視」でオメガの居場所を知るのだが、最初ドイツと思わせて引っかけるほどの知性があるのに、ルーブルみたいに一目でわかる場所にいるのがアホ。誰も知らない、見てもどこか判別できないような山奥にいれば見つからなかったのに。
そもそもオメガが全体の脳で、それが死ねばみんな死ぬほど重要な器官だとしたら、もっと厳重に守るなり、敵に居所をつかませないようにするのが定石でしょうが。なのにやすやすと人間の侵入を許し、たいした抵抗もなく殺されちゃうって、このエイリアン、もともとそんなにすごくなかったんでは?
あれ? そう言えば『スターシップ・トゥルーパーズ』にもブレイン・バグっていうのが出てきたな。そんなところまでパクリか。

言わずもがなのタイム・パラドックス

そしてタイムトラベルものには付きもののパラドックス。これもおそらくひどい矛盾が出てくるだろうと手ぐすね引いていたんだが、最後のどんでん返しでもう細かい矛盾なんかどうでもよくなった。

ケイジは死ぬと、死んだ場所や時間とは無関係に、いつも同じ場所同じ時刻に戻される。それがあらすじにも書いたヒースロー空港なんだが、なんでこの時点なのかの説明もない。これもせめてなにかしらの説明がほしかったね。たとえば、血を浴びた時刻の24時間前とか。
ところが、ルーブルでケイジがアルファとオメガを破壊する、すなわちミミック全部を殺すと、彼はヒースローより少し前、ロンドンの総司令部に到着する前の飛行機の中に戻される。しかも、これまでは周囲の状況も(こちらから干渉しないかぎり)その後の進展も寸分の違いもなかったのに、このときだけはなぜかケイジがオメガを破壊した後になっており、にも関わらず、リタもそれ以外の死んでいった兵士たちも全員生きている。もちろん彼らにはケイジの記憶はないが、ケイジひとりがすべてを覚えている。
完全に過去を書き換えてしまったわけで、さすがにこの無茶ぶりにはなんかの説明があるかと思ったら何もなし。単にハッピーエンドにしたかっただけ、というのはわかるが、それにしても無理やり過ぎるし、まるで意味がわからない。

まあ、常識的に考えて、この手のタイムトラベルものが矛盾だらけになるのは当然なんだけどね。リセット能力は文字通り結果をリセットしちゃうんだから、あそこでケイジがリセットしたってことは、彼が死んだ事実といっしょに地球を救った事実もリセットされてしまう。それじゃ意味がないから、ケイジを生かして、なおかつ地球も救うためには、どこかでルールをねじ曲げなくてはならなかったんだが、もう少し利口なやり方はなかったのか。
あと当然その能力を持つオメガは、自分が死んだらリセットするはずだよね。そしたらやはりケイジの奮闘はなかったことになってしまう。つまりちゃんと考えたら、こういう能力を持つ敵に勝つ方法はないってこと。これがSFなら、苦しまぎれでもそれらしい解決策を編みだしたはずだが、思考停止して無視しちゃうところがいかにもだ。
それだけじゃない。リセット能力ってそもそもミミックが持っているもので、死ねば当然ミミックは時間をリセットする。すなわち、アルファは死なず、ケイジはその血を浴びることもなく、リセット能力を身に付けることもない。それともアルファとケイジは無限にリセットし合って同じ場面を繰り返すことになる。
というふうに、絶対に説明不可能な矛盾が出てくるから、バカはタイムトラベルものには手を出してはいけないと決まっているのだが。

あと、エイリアンの血を浴びただけで能力がうつるなら、ケイジの血をリタに輸血すれば‥‥と思ったが、それは作中で言及されてだめだったとされている。しかし、セックスもやってみたというのはなんだ? セックスでうつるようなものなのか? 性病かAIDSか?

Edge-of-Tomorrow4

CinemaSinsを見て思い出した

なんかもう疲れたので、あとはCinemaSinsでも見てください。
これ、半分ジョークなので、ただの冗談や言いがかりみたいなのもあるが、語り口がおもしろくてつい見てしまう。字幕オンにすると英語字幕も見られるので、ある程度読める人なら理解できると思う。

今まで触れなかった部分で、映画見ているときに気付いた(のをCinemaSins見て思い出した)アラには次のようなものがある。

エイリアンによる地球攻撃のニュースフラッシュで、2013年にロシアに墜落した隕石の動画が使われている。それもYouTubeで有名になったやつ。日本でもテレビニュースで何度も流れたし、有名すぎるし、新しすぎるでしょ。予算削減のためストックフィルムを使うのはよくあるが、YouTubeってところが今風と言っていいのか。ていうかちゃんと使用料払ったのか?

ケイジは軍の広報の顔で、自ら出演してテレビでプロパガンダを繰り広げている。こういう戦時だから、当然テレビもそればっかり流しているはずで、ケイジの顔を見たことない人間はいるはずないのに、「私が誰か知らないのか?」とケイジが詰め寄っても、誰も彼の正体に気付かない。

こんな理不尽で不当な目にあったのに、ケイジは自由の身になっても上官なりなんなりに電話しようともしない。もちろんリタと出会って軍の対応について聞かされるより前の話である。

トム・クルーズの映画には必ずバイクに乗るシーンがある。バイク好きなのかな。自分じゃかっこいいと思ってるのかもしれないけど、この人は全身が映るシーンはアウトだと思うが。

などなど。まあこれは本当にきりがないからやめるけど。

やめるといったそばから

とまあ、これだけアラだらけの映画なのに、っていうかアラだらけのせいか、「わからない!」という人が多いみたいで、ネットには謎解きサイトがけっこうできてる。でもこれ誰も指摘してないみたいだけど、この話には決定的な欠陥があると思う。いや、タイム・パラドックスは突っつけば突っつくだけ埃が出るんでそっちじゃなくて。つまり「死んで強くなる」部分なんだけど。

通常、この手の話では、リセット時に持って帰れるのは記憶だけと決まっている。たまーに品物を持ち帰れる場合もあるがそれは邪道。特に自分の肉体は完全にリセットされて元に戻るんでないと話にならない。そうでないと黒焦げ死体のまま生き返ることになっちゃうから(笑)。これはもう間違いなく肉体はリセットされる設定だよね。
ところがそれだと、いくら鍛えてもリセットされるごとに筋肉とかは元に戻ってしまい、ちっとも強くなれないことになる。それでも学習した戦法とか、敵の動きとかは覚えていられるだろうが、ふだん運動もしてない中年男が知識だけあっても戦えるだろうか?
たとえばここにも出てくる、「誰にも気付かれずに建物に忍び込む」みたいなのは、記憶だけでなんとかなるけど戦闘は無理だ。

自分に当てはめてみるともっとわかりやすい。私は夢の中ではカンフー名人だったり剣の名手だったりすることはよくあるが、仮にその記憶を完全に想起することができたとして、現実のおばさんに戻っても敵をバッタバッタと切り捨てられるかと言ったら無理です。体がついていかない。ケイジもそれと同じ。『マトリックス』ではできてたが、あれはそもそも『マトリックス』の世界自体が夢の中だから。
だいたいこれも経験からわかるが、スポーツとか武術っていうのは頭で覚えるものじゃなく体で覚えるもの。うまい人ほど頭で考える前に体が勝手に反応するもので、この映画に出てくるような戦いではそれがいちばん必要とされるはず。だいたい、何をするにもそれをするための筋肉ができてなかったら何もできない。

というわけで、あれだけ苦労して何度も死んでも、ケイジの苦労は水の泡。時間さえあれば知識を元に体を作り直すこともできるかもしれないけど、50過ぎるともう体が言うことをきかないし、だいたい彼に残された時間は1日しかない。というところで、完全に詰んでる、ということになりますね。
それを言ったらおしまいなので誰も言わないのかもしれないけれど、この辺もいかにも詰めが甘く、やっぱりこれがラノベの限界だなと。

もいっこおまけ

映画では戦況は人類が圧倒的に不利。ヨーロッパを取られてこれでイギリスが陥落したら、あとはなし崩しに全地球人類が壊滅させられる‥‥みたいに描かれてるが、これっておかしくない?

確かにヨーロッパ全土が敵の手に渡ったら、アメリカ人的には心のふるさとがなくなって精神的痛手だろうが、戦略的に考えたらヨーロッパなんて小さいし(ロシアはまだやられてない)、それほど価値があるとは思えない
アジアはヨーロッパの何倍あると思ってるんだよ! まして人口から言ったら、どれだけ殺しても足りないほどいるぞ。それに幾多の帝国が責めあぐねてきたラスボス、ロシアをあなどってはならない。中国には計り知れない恐ろしさがあるし、アメリカだって落ちぶれたとはいえ、まだまだ軍事大国だろうが、それがなんでもう負けたみたいな感じになってるんだよ。
逆に、ヨーロッパだけでもこんなに苦労しているミミックはたいしたことないって感じがしてきた。べつにケイジがいなくても、ヨーロッパの主要都市に何発か核爆弾落とせば勝てたんじゃない? ってこれも身も蓋もないな。

役者について

そういや役者の話を忘れてた。主演の二人についてはもう言ったので、ファレウ軍曹(笑)役のビル・パクストンはほんと絵に描いたような軍曹を楽しげに演じていて、かわいかった。
カーター博士役は大好きなノア・テイラーで、ナードっぽい雰囲気からして適役なんだが、そういや、彼とトム・クルーズって、『バニラ・スカイ』でも共演してたよね。あの時の役柄も似たような研究員だったが。あれからノアがほとんど変わらないのに、トム・クルーズはめっきり老け込んだ。やっぱりこの手の異形の人って年とらないんだなあ。

結論としては、アラはあるけど、それはSF映画だと当然なので、なかなかおもしろい映画だった。特に前半はおもしろいので、私は前半だけループして見てる。でもハリウッドはいい加減、おっさん以外のSFアクションスターを見つけてくれ。顔と体さえ良ければ誰でもいいから。

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