【映画評】『スラムドッグ$ミリオネア』(2008)Slumdog Millionaire

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(ラストまでの完全なあらすじ付きです。嫌いな方はご注意ください)

とにかくこのテンポの良さと軽いフットワーク、これこそ『トレインスポッティング』の売りでもあった、この監督の本領だよね。
考えてみたら、『トレインスポッティング』の主人公たちだってスコットランドのスラムドッグなんだし、この監督はこういう掃き溜めの子供たちを描くのが本当にうまいのだ。

参考

夏なのでインド(についての)映画二題 ―― インドについて思うこと
【映画評】ライフ・オブ・パイ(2012)Life of Pi

2008年のアカデミー賞を総なめにした(作品賞、監督賞、脚色賞、撮影賞、作曲賞、歌曲賞、音響賞、編集賞)、ダニー・ボイルの映画。英国人監督がアカデミー賞を取ったのは誇らしいが、インドが舞台で登場人物も全員インド人と聞いて、「えええ~?」と思った記憶がある。そもそもダ ニー・ボイルとインドってぜんぜん結びつかなかったので。それでなんとなく、審査員好みのヒューマニズム映画だと思い込んで、あんまり食指が動かないでい たのだが‥‥

こちらも原作が文学で、こっちは本物のインド人、ヴィカス・スワラップの小説『ぼくと1ルピーの神様』。本業は外交官で、日本に駐在していたこともあるらしい。インド大使館って言うと高田馬場のあそこか、とまたも私にはなじみがあるので変な感じ。すると小説は趣味か。なんかすごいね。
私はこっちの小説はまだ読んでないのだが、原作と映画はかなり違うらしい。主人公の名前も生い立ちも違うし、兄は小説では存在しないと言うし、ラティカも出てこないとか。
えー! それじゃぜんぜん別の話じゃない! ていうか、ここまで違うと映画はもうボイルによる翻案と考えた方がいいかも。それであらすじ読んだだけの印象では、映画のほうがいいと感じてしまう。それが映像の魔力で、だから原作ものは先に原作読まないとだめなんだけどね。
とりあえず、スワラップさんには悪いけど、ここでは原作のことは忘れて映画に集中させてもらう。

まずダニー・ボイルについてだけど、イギリス人監督ってことでとにかく最初から注目していた。日本では『トレインスポッティング』で鳴り物入りで紹介され、こういうジャンキーが主人公の「ロック映画」は私の専門なのに、久しくそういう映画がなかったので、もう吐き気がするぐらいめっちゃくちゃ期待して見たんだけど、なんかものすごく期待外れで、死ぬほどがっかりした。確かに乗りの良さとか映像感覚は新しいとは思ったけど、失望のほうが大きすぎた。(『トレインスポッティング』のリビューはもう消えちゃってるな。こういうの早くサルベージしないとならないのはわかってるんだが)

その後見たのは、デビュー作の『シャロウ・グレイブ』(これも消えてる)。わりとおもしろいスリラーで、主人公たち若者の描き方が好きだし、後味悪い意地の悪さがいかにもイギリスだなと思った。
『28日後』(ひとりごと日記の2006年1月27日参照)は、これも私の専門のゾンビ映画で、しかもキリアン・マーフィーという逸材を発見した映画にもかかわらず、話がおちゃらけすぎて、これも大いに失望した。同じゾンビものということで『ショーン・オブ・ザ・デッド』と同時にリビューしてるのだが、あんなお笑い映画にもはるかに劣るし。
『サンシャイン2057』(2008年3月10日参照)はボイルの映画だということも知らず、キリアン・マーフィーが見たいだけで見た映画。これも『28日後』と同じで、途中まですごくシリアスでよくできているのに、かんじんのクライマックスがぐだぐだになる。

だから私の中ではボイルの評価ってかなり低かったんだが、意外なことにボイルを見直したのは、ロンドン・オリンピックの開会式のムービーを見た時。このカメラワークとかノリの良さって確かにこの人の長所で、もしかしたら撮る映画を間違えているだけなんでは?とちょっと思った。でも彼にインドの映画が撮れるとは思わなかったし、ぜんぜん期待はしてなかったのだが‥‥

そういう疑念はこの映画を見始めてすぐに氷解した。とりわけ、滑走路でクリケットをしていた子供たちが警備員に追われてスラムを駆け抜けるシーンの疾走感。とにかくこのテンポの良さと軽いフットワーク、これこそ『トレインスポッティング』の売りでもあった、この監督の本領だよね。
考えてみたら、『トレインスポッティング』の主人公たちだってスコットランドのスラムドッグなんだし、この監督はこういう掃き溜めの子供たちを描くのが本当にうまいのだ。
それに月並みすぎる感想だが、この子供たちが本当に生き生きしていて、バイタリティーにあふれ、かわいい。
年齢に応じていろんな子役が演じわけているが、特にいちばん小さい時期を演じた3人が本当に抱きしめたいぐらいかわいい。というのは、子供嫌いの私としては稀有な感想で、それぐらい子役がいいってことなんだけど。

貧しいけど生き生きとした魅力にあふれた

貧しいけど生き生きとした魅力にあふれたサリーム、ジャマール、ラティカの『三銃士』

そしてそれといっしょに映し出されるスラムの風景が、まさに私たちがムンバイのスラムと言われて思い浮かべるそのままなので、さすが!と思うと同時に、やっぱりこれは外国人の見たインドなんだろうなと思う。(私はこの目で見てないのであくまでも推測だが)

というのも、アメリカの風景なんて都会だろうが荒野だろうが、それこそ映画やドラマの中で日常的に見ていて、なんの違和感も感じないが、イギリス人(でなくても外国人)の撮ったアメリカって、リアルなんだけどどこかが違う別世界に見えるんだよね。アメリカ人が撮ったイギリスもそう。
もっとよくわかる例が日本だよね。日本に暮らしている私たちから見ると、外国人が撮った日本って、日本じゃないような気がする。最近はYouTubeでそういう映像がいくらでも見られるので、見るたびにそう思う。使ってる機材はいっしょで、撮影してる対象物もいっしょでも、見る人の目でこれほど変わるのかというのは、まさに映像のマジックでおもしろい。

同様におそらく私がインドに行って見れば、これとはまた違った世界が見えるんだろうと思う。でも映画は作品なんだから必ずしも見たまんまである必要はない。それにしても、かなり英国フィルターがかかってるなとは思った。
つまり想像されるインドよりもクールすぎ、かっこよすぎ、アートっぽくてきれいすぎなのだ。ゴミの山を映してさえもそう。肌にまつわりつくような暑さとか、立ちのぼる臭気とかそういうのはぜんぜん感じられない。なんか英国化されたインドって感じ。
現地の人が撮った映画だと、モロッコとか、メキシコとか、下手するとイタリアやスペインでさえそういうものは感じられるというのに。
しかしおかげで私にとっては非常に居心地のいい、見てて不快でない映像に仕上がっていて、それもこの映画を気に入った理由だし、おそらくアカデミー賞の投票した連中も気に入った理由。べつにそれが悪いとは思わないけど、本当にリアルなインド映画だったらこうはいかなかっただろう。

ここらで簡単にストーリー。

主人公である18才のジャマール・マリク(デヴ・パテル)はインド版”Who Wants To Be A Millionaire?”のクイズ番組で、あと1問正解すれば2千万ルピーの大金を得られるところまで来ていた。
しかしスラム出身で教育も受けていないジャマールがここまで来られるはずがないということで不正を疑われ、警察に逮捕されて拷問を受ける。しかしジャマールは不正などしていないこと、答を知っていたのは、これまでの問題がすべて、彼の人生の節目で出会った事物に関係していたからだと打ち明ける。そしてジャマールは刑事(Irrfan Khan)に自分の人生を語り始める。

ジャマールと兄のサリームはムンバイのスラムに生まれ育ったが、イスラム教徒とヒンズー教徒の民族紛争の巻き添えになって母が殺され、孤児となってしまう。放浪していた二人は同じくみなしごの少女ラティカと知り合い、行動を共にするようになる。
サリームは彼女を仲間にすることに乗り気でなかったのだが、ジャマールは彼女が学校で習った『三銃士』の、名前を思い出せない三人目だと言って兄を説得する。

やがて三人はママンという名の親切そうな男に拾われるのだが、この男は実は地域のギャングのボスで、拾った子供の目をつぶして乞食として稼がせていたのだ。
それを知ったサリームは弟とラティカを連れて逃げ出すが、兄弟は走る列車に飛び乗って逃亡に成功したものの、ラティカは取り残されて捕まってしまう。

兄弟はその後、泥棒や詐欺にも手を染めながらなんとか生き延びるが、ラティカのことが忘れられないジャマールは、このままではラティカが売春婦にされてしまうと兄を説得して彼女を助けにムンバイへ戻る。
二人はラティカを助け出すが、その際、サリームはママンを射殺してしまう。その足でサリームはママンのライバルだったギャングのボス、ジャヴェド(Mahesh Manjrekar)のところへ行って子分になる。(おそらくママン陣営の報復を逃れるため)
そして住まいへ帰ったサリームはジャマールにラティカと二人だけにしてくれと言う。ジャマールが拒絶するとサリームは彼に銃を向けるが、ラティカの取りなしで、ジャマールは去る。

数年後、ジャマールはコールセンターの職員として働いている。彼は会社のデータベースでサリームが今やジャヴェドの組織で高い地位についていることを知り、兄に会いに行く。
そこでジャマールはラティカが今ではジャヴェドの情婦になり、虐待されていることを知る。ジャマールはラティカに愛を告白し、いっしょに逃げてくれと頼むのだが、もう少しというところでラティカはサリームが率いるジャヴェドの手下たちに奪還されてしまう。

ラティカと接触できなくなったジャマールは、最後の手段として彼女が必ず見ているはずのクイズ番組に出ることを決意する。
ジャマールは彼を陥れようとする司会者の策略にもめげず、最後から1つ手前の質問まで勝ち抜くが、翌日が最後という晩に警察に連行されてしまう。しかし、テレビでジャマールを見たサリームは、これまでの罪滅ぼしにラティカに携帯電話と車のキーを渡して彼女を逃がしてやる。

容疑が晴れて釈放されたジャマールは最後の質問に挑む。それは彼が覚えていない『三銃士』の三人目の名前を問うものだった。一回だけ誰かに電話をかけて答を聞くことが許されているので、彼は唯一知っている兄の電話にかけるが、出たのはラティカで、彼女も答は知らない。それでもラティカが無事で自由の身になったことを知って安心したジャマールは、当てずっぽうで答えたアラミスが正解で賞金を獲得する。

同時にテレビを見ていてサリームの裏切りを知ったジャヴェドはサリームの家を襲う。札束を満たした浴槽で追っ手を待っていたサリームはジャヴェドを射殺するが、彼の手下に殺される。
その晩、駅で再会したジャマールとラティカはホームで歌って踊る大団円で幕。

簡単にと言ったのについ長く書いてしまったが、実際は、警察での尋問シーンやクイズショーの進行に合わせて、過去のエピソードがフラッシュバックとして流れる。それを見ることで、なぜジャマールが知るはずのない知識を持っていたのか、それになんでそもそもクイズ番組に出ているのかが明らかになるわけ。

たとえば100ドル札に書かれている肖像は誰かという質問。普通ならジャマールのような子供が外国の、そんな高額紙幣を目にするチャンスがあるはずもないのだが、これはアメリカ人観光客をだまして巻き上げたもので、その後、目をつぶされて乞食になっているかつての友達に再会したジャマールは、黙ってその手にこの札を握らせる。しかし額面を見ることができない乞食少年はジャマールにどんな絵が描かれているかを訊ね、ジャマールの描写を聞いてそれがベンジャミン・フランクリンであることを教えてくれる。
というふうに、ジャマールにとっては忘れたくても忘れられないような、出来事や事物に関連のある問題ばかりが出るわけ。

いやー、すばらしい、ダニー・ボイルというと脚本が破綻してグズグズという印象が強かったので、これだけきちんとお話のつじつまが合ってるというだけでも感動する。さすが原作があると違う。っていうか、上にも書いたように原作とはだいぶ違うようなので、脚本のサイモン・ボーフォイの力か。誰かと思ったら『フル・モンティ』の脚本家。『フル・モンティ』は大好きなイギリス映画のひとつなので、すごい納得。
まあ、あからさまなメロドラマではありますけどね。これをイギリスを舞台にやったらけっこうきつかったかもしれないけど、でもインドの話だとそれでも納得しちゃう。それでも『ライフ・オブ・パイ』の半分も荒唐無稽じゃないけどね。
とにかく笑わせて泣かせて楽しくて、ハッピーになれる話。私の印象じゃエミール・クストリッツァの映画みたいという感じ。根底に流れているものはものすごく重くてダークな現実なんだけど、元気いっぱいで見た人を幸せにするというところが共通していると思う。

艱難辛苦もものともせず、幼い初恋を貫いたジャマールとラティカの二人は本当にかわいくていじらしい。主役の三人は、それぞれ幼年期、少年期、青年期と三人の異なる役者が演じているのだが、みんなすばらしい中で、成長したジャマールを演じたデヴ・パテルだけは、なんか見るからに頼りなく情けない感じのウラナリ兄ちゃんなのが個人的には残念だったが、ジャマールはかっこいいヒーローなんかじゃないので、いかにも普通の人っぽいこういう人の方が良かったのかも。
ラティカはどの年代もすばらしくかわいくてきれい。でもやっぱり幼いラティカの大きすぎ、黒すぎる瞳が印象的だった。
兄弟が波瀾万丈の人生を送るのに、彼女は運命に翻弄され利用されるだけの人生なのがちょっとあれだが、インドにおける女性の地位、ましてや浮浪児の女の子ということを考えればこれも当然か。
サリームも子供の頃は本当にかわいかったのに、なんで大人になるとこういうデコッパチの悪人面に?(笑)と思ったけど、彼が選んだ人生では、ジャマールみたいに無垢なままではいられなかったんだね、と思えば納得。

しかしジャマールの幸運さにくらべ、このお兄ちゃんかわいそうすぎる。ラティカをジャマールから奪い、ジャヴェドに売った(描かれてはいないがおそらく。あるいは、ラティカを自分の愛人にしようとしたのが、ジャヴェドに目を付けられて奪われたのかもしれない)ときは「ひどい!」と思ったが、考えてみれば、そもそも目をつぶされて乞食になる運命からジャマールを救ったのはサリーム。
ラティカをママンから救い出すと張り切るジャマールの計画に、サリームは反対していたのに、結果としてラティカを奪い返すことができたのは、サリームがママンを殺したからだし。
この時点でサリームは引き返すことのできないダークサイドを歩くことになったわけで、そこまで覚悟の上で撃ったとすれば男前すぎる。ラティカが素直にサリームに従ったのも(彼が銃を持っていたせいもあるが)その恩義を感じたからかも。
そしてラスト、彼は二人に対する罪滅ぼしと、おそらくは自分自身の贖罪のために、弟と恋人のために自ら命を捨てる。億万長者になって浮かれて踊る二人と、一人で死んでいくサリームの違いはいくらなんでもひどいと思う。でも勧善懲悪の観点から言えばこうでなくちゃいけないし、インド映画は勧善懲悪でなくちゃいけないとも思う。
というわけで、私としては文句なしの傑作だった。

それでわくわくしてこれは他の人のリビューも読んでみようと思って、Allcinemaのコメントを見たら、いつも言うようにここのユーザーは他より比較的レベルが高いにもかかわらず、「期待外れ」とか「ご都合主義だ」とか、おおむね不評なんで(いつものことだけど)びっくりした。
どうやら、ジャマールが「たまたま」すべての質問(最後だけを除く)の答を知っていたという偶然の一致が納得いかないらしい。
そうかあ? それがこの話のキモなんだし、それを言い出したら、敵の弾には絶対当たらず、とうてい不可能な情況でも生き延びるハリウッド映画の主人公のほうがありえなくないか? だいたい、ボイルの以前の映画の方がよっぽど脚本めちゃくちゃなんだが。まあ、現代小説では、リアルな話でも突拍子もなくありえないことが起きるのが普通なんで、私がそれに慣れちゃってるのかも。

でもこの「たまたま知ってた」というのが最後の“It was written.”(「運命だった」という字幕はうまい)と並んで、この物語のテーマなんだけどな。それを否定されちゃったら立つ瀬がない(笑)。それが明らかになるのは、まったく知らないで、でたらめを答えた最後の質問が正解だったこと。これがつまり、神の意志というか天の配剤というか、サリームが息を引き取る前につぶやく”God is great.”と呼応するんだよね。
あれれ? なんか『ライフ・オブ・パイ』と共通する部分ある? 原作の『パイの物語』のリビューでは『本当にあった嘘のような話』(副題は「偶然の一致」のミステリーを探る)なんか引き合いに出してたし。これもその種の「偶然の一致」かもね。(実際、こういうことはこの日記を書いているとよくある)

そういや、『ライフ・オブ・パイ』の主人公の名字はパテルだが、この映画でジャマールを演じた俳優の名前もパテルで一瞬頭がこんがらかったし、『ライフ・オブ・パイ』で成長したパイを演じていたイルファン・カーンが、ここではジャマールから話を聞く刑事の役をやっている。パイは語り手で刑事は聞き手という違いはあるが、両方ともストーリーの進行を司るインタビューの担い手というあたり、偶然の一致過ぎてこれも頭がクラクラする。

ということで、ちゃんとテーマに沿った落ちが付いたところで終わり。

ラストの群舞シーン

ラストの群舞シーン

P.S. そういや、歌と踊りの話してなかったわ。エンド・クレジットの部分が、ジャマールとラティカ(子供時代の彼らも)がバックダンサーといっしょに駅のホームで踊る、ボリウッド・スタイルの群舞シーンになっている。もちろんインド映画へのオマージュで、映画が終わってからだからいいんだけど、やっぱりものすごーくダサいし、私はこの音楽やダンスはだめだわ。

P.P.S. ”Who Wants To Be A Millionaire?”はイギリスのクイズ番組なんだけど、日本でも「クイズ$ミリオネア」という題名で放映され人気番組だったということを今知った。テレビ見ないもので。もし見てればまた別の感慨もあっただろうが、クイズのシーンははっきり言って私は退屈だった。イヤミな司会者も嫌いだし。
でもイギリス人はこういうクイズ番組が大好きなことは知っていて、おそらく私もイギリス行った時見てるはずだが覚えていない。

P.P.P.S. そういや、日本にこういうスラムってないね。イギリスでさえ、『オリバー・ツイスト』の時代までは、こういう浮浪児や乞食の元締めが存在していたというのに。日本はどうだったんだろう?
私が大昔、中野に住んでた時は、ここには名前を書くのもはばかるヤバい名前の付いた、ゴミを集めて暮らす人々の集落が近くにあったものだが、あれが私の知る限りスラムにいちばん近いものだった。実際、住人の様子や家々の様子はこの映画に描かれるスラムにわりと近かったが、規模はずっと小さかったし、もちろんそんなものは今は東京のどこにもない。
ホームレスの多さを見ると問題が解決したとはとても思えないけど、少なくともストリート・チルドレンがいないのは胸を張っていいのかも。

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