★【映画評】生きる(1952)黒澤明監督特集2

kurosawa_ikiru4クリスマスの日にはいい話をと思って書き始めたが、なんと四重人格がシリアスに人生について語り始めるという異常事態に。どうやら映画のムードに引き込まれたらしいが、めったにないことなのでご勘弁を。

♦ というわけで、悪口っぽいことも書いたが、『生きる』はそれでもあまりにも偉大な作品だ。『生きる』が偉大なのは

1.志村喬のつぶらな瞳と泣き顔があまりにもかわいい。
2.「わしは人を憎んでなんかいられない。わしにはそんな暇はない」というセリフがあまりにもすばらしい。
3.深夜の雪が降り積もる公園で、ひとり歌を口ずさみながらブランコを漕ぐ初老の男という構図があまりにも美しい。

からである。これだけあれば他はもう何もいらないよ。

♥ というわけで、ずっと三船敏郎が最高だと思っていたが、もしかして私がいちばん好きな日本人男優は志村喬だったのかもしれないと思うようになってきた。
♣ 年のせいですかねえ。
♦ それで志村喬の代表作と言ったらやっぱりこれでしょう。
♠ そう言えば志村喬が主演の黒澤映画って、これと『酔いどれ天使』だけか。必ず出てるのに、いつも三船が主人公で。
♦ いちおう『七人の侍』も主役なんだけど、あれは群像劇だからね。『酔いどれ天使』は結局三船に主役の座を奪われちゃったから、実質、志村喬が主役の黒澤映画ってこれだけじゃない?
♠ 年齢的にも志村が主役で当然と思えた『生きものの記録』ですら、三船に老けメイクをさせて主演にしたし。
♣ そういやこれって「三船敏郎が出ない黒澤映画」だってことに今さらながら気が付いた。
♥ 確かにこれじゃあ、三船の出番ないわ。
♦ いつも三船の影にいるバイプレイヤーという印象だった志村喬が、堂々の主役を張った作品が、地味な死にかけた老人の話っていうのもあれだが。

♦ それにしても、この年になって黒澤映画を見直して、やっぱり最初に目に付いてしまうのは、華麗な映像テクニックや、異常なまでに洗練され、一分の隙もない演出、脚本、音楽などのテクニック。(それとやっぱり、これは時代のせいだけど、役者のオーバーアクション) もうくどいしキザったらしいからそういう話はここではしないつもりだけどね。ただ、技法的にはパーフェクトってことは忘れないで欲しい。
♣ もちろんそれが黒澤映画の真骨頂だし、それこそ彼の映画を見る楽しみなんだが、これはちょっと主題との違和感が‥‥。なにしろ何度も言うけど、地味~で気弱で無気力そのものの老人の話だからねえ。なんかキャラと手法が合わなすぎな感じが。
♦ もちろん『七人の侍』のような娯楽巨編はそういう豪快な力業がなんとも爽快だったわけだが、こういう暗い社会派作品でも同じテクニックを使うというのはなんか違うような気がしないでもない。
♣ むしろ、これを地味だが朴訥で手堅い、オーソドックスな手法で撮ったらどうだったかしら?と想像してしまう。
♠ たぶんそれなら私は見なかったがね(笑)。
♥ むしろ華麗なテクニックが生きるのは、主人公が一念発起して立ち上がるところからだと思うんだけど、それは(いくつかのフラッシュバックを除き)全部カットという、あまりにも大胆すぎる構成だし(笑)。

♦ いちおう見てない人のために簡単なストーリー。

市役所の市民課に勤める渡辺勘治(志村喬)は、30年間無欠勤でまじめに働いてきたが、若くして妻を亡くしてからは、半ば死んだように、判で押したような惰性だけの人生を生きてきた。その渡辺が胃癌にかかり、自分が余命幾ばくもないことを知る。
あせり、おびえ、混乱する渡辺だが、職場の同僚はもちろん、同居している息子夫婦も、実の兄も、まったく彼の気持ちを理解してくれず、誰にも癌のことを打ち明けられないままひとり苦しむ。

そんな渡辺を救ったのは、偶然飲み屋で知り合った作家(伊藤雄之助)と、役所の部下の奔放な若い娘トヨ(小田切みき)である。
無頼派らしい作家は、これまで遊びひとつしたことのない渡辺に飲む打つ買うの楽しみを教え、役所の旧弊さと退屈さにたまらず飛び出したトヨは、「何かを作ること」の大切さを教えてくれる。
そこで一念発起した渡辺は、役所の中でたらい回しにされていた、不潔な水たまりの空き地に子供のための公園を作ってほしいという陳情を後押しすることを決意する。

ここで場面は5か月後の、渡辺の通夜に飛ぶ。この5か月間に何があったかは、通夜の弔問客の会話とわずかな回想シーンのみで伝えられる。
渡辺は死んだが、彼の粉骨砕身の努力で公園は完成したらしい。しかし、その手柄は市の助役をはじめとするお偉方に横取りされ、渡辺はねぎらいの言葉ひとつかけられないまま、完成した公園でひとり寂しく死んだらしいことがわかる。
しかし通夜に登場した警官が、死の直前の渡辺の様子を伝える。それによると、ブランコに乗ってひとりで歌を口ずさんでいた渡辺は、この上なく幸せそうだったという。それと同時に、彼が自分の死を予期し、せめてもの生きた証を残そうと公園建設にすべてを賭けていたことが明らかになる。酔った役所の同僚たちはその話に感激し、自分たちも渡辺を見習って、生まれ変わろうと誓い合う。

しかしその翌日の役所では、何一つ変わらない光景が繰り広げられる。誰もが罪悪感を感じてはいるものの、誰も行動を起こす勇気はない。しかし、公園では子供たちが今日も楽しそうに遊んでいる。

♦ とまあ、自分であらすじを書き起こしながらボロボロ泣いてしまうぐらい、涙と感動の物語であります。
♠ でもそれで終わったのではあまりに私らしくないので、やっぱりいちゃもんを付けてしまう。

役所の渡辺

役所の渡辺

♦ しかしまあ、こういう話は長いこと勤めを続けてきた人間なら、誰しもなんらかの形で胸にぐっとくるわな。私も考えたらもう(一箇所ではないが)勤続30年以上だわ。
♣ でも私は働き始めたのが28ぐらいだから、この映画の渡辺課長より、私の方が年上だということに気付いて愕然とした。
♥ じゃあ、この主人公50才ぐらい? うっそー! どう見たって死にかけの老人にしか見えないんだが!
♦ まあそれだけ志村喬の演技がすごいってことだし、この当時だと50才は十分老人だったってことでもあるんですけどね。
♥ じゃあ、私は名実ともに胸を張ってこの映画を語る資格があるってことじゃないですか(笑)。死にかけてはいないけど。

♠ それで今30年間の仕事人生を振り返ってどう思うかというと、完全に間違いだったし見事に時間の無駄でしかなかったというのが感想。
♣ 悔いばかりの人生と言いたいけど、人間なんてそんなものだよね。
♥ むしろ、これまでの人生を振り返って自分はなんて果報者なんだろう!と思える人って、ちょっと足りないんじゃないかと思う。
♠ ただ、私がちょっとだけ威張れるのは、死ぬ直前までそれに気付けなかった渡辺と違って、私は40の時にそれに気付いて仕事(助教授)を辞める勇気があったってこと。
♣ 逃げただけですけどね。
♥ でも私はどう考えても渡辺よりトヨの側の人間なんだが、さすがに工場でおもちゃのウサギを作る仕事に飛び込むほどの勇気はなかったんだよなあ。でも今にして思うと、ウサギ作ってるほうが楽だし幸せだったかもとは思う。
♦ それでも、ああいう代わり映えのしない単純作業が精神を蝕むというのはよく知っているし、同様に教師というのも(まともな神経の持ち主なら)精神病む職業なので、渡辺の気持ちはよーくわかるし、心底共感する
♣ 工場だって単純作業じゃないの?
♠ それでもトヨには「何かを作ってる」という実感があったんじゃないの?
♣ でもそれ言ったらサラリーマンの大半が虚しい仕事だよなあ。
♠ 教師の虚しさには及ばんよ。アホンダラで甘ったれで役立たずのお子ちゃまを、4年かけてなんとか社会に出せるまでに育てて、ほっとする暇もなく、続々と同じのが入ってくるんだから。というか少子化のおかげで毎年入ってくる学生は前よりダメになっている。やってもやっても終わらない、まるで賽の河原というか、坂を転げ落ちるシシュポスの岩というか

♠ この話はいつかどこかにちゃんと書くつもりで、まだ公開するだけの勇気がないんだが(さすがに現役のうちはちょっとね)、『生きる』を見てかなりセンチなムードになってるので、勢いで少しだけ書かせてもらう。
♣ 私が職を得たのは、聞きしに勝るブラック企業ならぬブラック大学で、それも景気のいいうちはまだましだったんだけど、景気の悪化と少子化のダブルショックで、金銭的にも肉体的にも、文字通り坂道を転げ落ちるようにひどい状態になっていったんです。
♦ 「何もしちゃいけない」役所のつらさとはある意味正反対で、「ひとりで何もかもすべて、しかも絶対にできるはずのないことまでやらなきゃならない」状態。具体的に言うと、ABCもわからない子にTOEICで600点取らせることから始まって、新学科増設まで。
♥ それで当時、私が毎日考えていたことは何かというと、とにかく朝起きた時から、一刻も早く一日が終わって、少しでも早くベッドに入ることしか考えてなかった。
♦ それで一日が終われば、一日も早く週末になって休めるようにと。一週間が終われば一日でも早く学期末になって長期休暇が取れるように、もうひたすらそれだけを楽しみに指折り数えて待った。
♣ そういう休みも最後はほぼなくなったんだけど。大学教員というのは事務員と違って「労働者」じゃないんで、労働者を保護する法律は何一つ適用されないし、服務規程もないから、経営者が休みは月1回、一日15時間労働と決めればそれがそのまま通ってしまう。
♦ そしてあとは一年が少しでも早く終わるようにと。
♠ その一年が終われば、前よりさらに悪い一年が始まるだけなのに。
♦ それ以外の部分は、ひたすら目をつぶり、耳を覆って、何も見ない感じないで、自分をロボットみたいにすることでなんとかやり過ごしていた。

♥ そんなある日、はっと気付いたわけ。これってつまり、一刻も早く年取って、一日でも早く死にたいと願ってるのと同じことだよね。
♦ 「私は死ぬために生まれてきたのか?」ってことよね。
♠ ていうか、今でも死んでるも同然だと思った。
♦ あと「何のために仕事してるのか?」も。
♣ 生きるためにお金が必要だから仕事してるのに、その仕事に殺されたんじゃ、なんのために働いてるのかわからない。「とにかく殺される前にここから逃げ出さなきゃ」という一心で、後先見ずに辞職願を出したわけ。
♠ 当時、実際に在職中に亡くなる人たちを何人も見たせいもある。この地獄から解放されて退職して好きなことをしたり、悠々自適の生活を夢見ていたのに、それを何ひとつ実現できずに死んじゃった人たち。
♥ もちろん退職金も年金も使えないし、家族の悲しみだって計り知れない。ああいうふうにだけはなりたくないと思った。

♣ でも映画の渡辺は何かを残したけど、私が残したのはこんなネットの駄文ぐらいというんじゃ、あまり威張れないね。
♠ あのまま店で食っていくことができるか、それとも何らかの形で浮き草みたいに生きていければ最高だったんだが、現実はそれほど甘くなくて、どうやらこのまま死ぬまで教師の仕事を続けなきゃならないらしいってのも皮肉としか。
♥ わかってはいたけど、若い時の苦と老後の苦を交換しただけだったね。
♦ それでもあのとき辞めていなければ、「あの時勇気を出して辞めていれば‥‥」と一生悔やみながら生き続けることになったのは確実だったし、それは耐えられなかった。
♥ 特に私は男で一度失敗したから、二度目の失敗はどうにも耐えられなかった。後悔しながらの人生にくらべれば、今の苦労ぐらいどうってことない。

♦ というわけで、この映画の主人公には共感する材料がありすぎなんだが、でも見てるとイライラするのも確か
♣ 気持ちはわかるだけによけいね。
♥ やっぱり渡辺と私とでは決定的な違いがありすぎる!
♠ まず第一に、もちろんこれは意図的な役作りなんだが、あの煮え切らないおどおどした態度がめっちゃ気にさわる!
♣ 何を言われても消え入りそうな声で「えー、そのー‥‥」しか言えなくて、いつもびくびくオドオドしてて、背中を丸めてよぼよぼ歩く志村喬の演技は、いくらなんでもやりすぎなんじゃないのー?
♥ 現実にあんなジジイがいたら、私だったらイライラしてよけいいじめたくなるだけだわ。
♠ そんなダメ親父が、一念発起して別人のように生まれ変わる、というならまだわかるし、いちおう脚本的にはそういう話になってるらしいが、志村喬は相変わらず「えー、そのー‥‥」。なんであれで計画通すことができたわけ?
♣ 見た感じでは、渡辺があまりに情けなくてみじめたらしくて、そのくせしつこくて迷惑きわまりないから、みんなあきらめて従ったようにしか見えないよね。

♥ 上目遣いにあんな傷ついた子犬みたいな、うるうるした目で見上げたって、絶対許さないんだからね!
♠ なのにこの映画じゃ、あの目で見られると強面のヤクザの親分でさえしっぽを巻いて退散する。ありえねー! というかすごい破壊力だ(笑)。
♣ 確かにあの目で見られたら負けるわ。ほんと老人と動物と子供は無敵すぎる。
♦ ま、そこがおもしろいんだし映画だからこれでいいが‥‥。
♠ ところが現実の世界では老人は言うに及ばず、無抵抗な小動物や子供が世界中で虐待されまくっているという事実‥‥。
♥ クリスマスだってのに、そういう悪趣味な言い方やめてよ!
♠ 悪趣味と言われたってそれが事実だし。
♦ まあ、そこまでは言わないにしても、これが現実だったらこういう人は同僚からも一番うざがられるし、職場のいじめの格好の目標になるだろうなと思うと、あまり笑ってもいられなくてちょっといたたまれないね。

♠ もうひとつ私がすごく気に入らないのは、妻の死後、渡辺が息子(金子信雄)のためだけに生きてきたと言うところ。つまり仕事がどんなに単調で退屈で無意味でも、家族のためだと思うからこそ耐えてきたと、少なくとも自分では思ってるところ。
♥ 私は息子が金子信雄なのに驚いた(笑)。
♦ このあたりは私が渡辺というキャラクターを嫌いっていうだけで、黒澤明はもちろんその辺はわかって作ってるはずだけどね。
♥ 私ぐらいの年になりますと、知人友人にもこういう人がたくさんいるんだわ。いろいろ愚痴をこぼしながらも、「でも子供のためだから我慢している」とか、「つらいけど子供のためにがんばらなきゃ」と言う人たち。
♣ でもかんじんの子供たちは、それをちっともありがたく思ってないばかりか、むしろうっとうしいと思ってる。
♠ こういうのって、結局妻や(30過ぎの)子供を口実にして逃げてるだけだよね。そういうこと言う連中って、妻や子を盾にして、自分をかばっているだけ。本当の自分と向き合うことから逃げてるだけに思える。
♥ 私が(言わなきゃいいのに)そう言うと、「子供のいないあなたにはわからない」と切って捨てられる。いや、私も人の子だから、子供の立場から言っただけなんですが。
♦ 念のため言っておくと、うちの親はまったくそういうんじゃなかった。私が彼らの子供だったらと想像して言ってみただけ。
♠ まあ逃げただけの私に言う資格はないけどな。

♠ とにかくこの映画の渡辺がまさにそれなのよ。おそらく妻が死ぬまでは「家族のために」、妻の死後は「息子のために」を口実に生きてきたけど、その唯一の生きがいだった息子が、まったく自分の気持ちを理解してくれないばかりか、むしろ疎ましく思っていることを知って、世界がガラガラと崩壊して、「俺はなんのために生きてきたのか?」と、どうしていいのかわからなくなる。
♥ そりゃそうでしょ。子供が小さいうちならまだしも、とっくに成人して所帯持ってる息子に、精神的に依存しようと思う方が間違ってる。でもこういう子離れできない親ってほんと多いんだ。そういうのを見て日頃からイライラしているせいで、よけい渡辺が許せない感じがする。
♦ 渡辺が役所でうだつが上がらないのは息子のせいじゃない。その心の穴埋めを求められたって息子もつらいわな。さすがに癌のことも言えないのはかわいそうに思うけど。

♣ トヨに懸想しているように見える場面も、別に老いらくの恋とかそういうんじゃなくて、実の息子からは得られない同情と共感を仮想上の娘に見立てたトヨから引き出そうとしているだけに見える。
♥ 結局誰かに依存したいだけなんだなーと。もちろんそれをきっぱり拒絶するトヨは立派。
♦ そういえば、これだけ重要な人物なのに、トヨも作家もそれっきり姿を見せず、通夜にも現れないのがいいね。
♣ ある意味彼らは何者にも捕らわれない自由人で、役場の連中とは別人種だから、あの場面に当てはまるはずもないんだが、そこでトヨを出して愁嘆場を演じさせたりしないきっぱりした演出はさすが。

♠ さらにいちゃもんを付ければ、公園を完成させたってことがすごい偉業を成し遂げたみたいに描かれているけど、これって役人としては当然やるべき仕事をしただけだよね(笑)。
♦ つまり、いかに役人が働いてないかという皮肉なんだけど。
♥ この映画の話だけ聞いて、映画そのものを見る前、私はてっきり私財をなげうって公園作る話かと思ってたよ。だってそうでなければ当たり前すぎて話にならないと思ったから。
♦ その当たり前をこれだけのドラマにしちゃう黒澤もすごいんだけど。
♣ 役人と言えば、この映画のリビューで「公務員をバカにするな」みたいなのもたくさん見た。
♠ たぶん若い人は知らないんだねえ。かつては役人とか官僚とかいうのはこれぐらいバカにされて当然の、威張ってるだけで中身空っぽの穀潰しの役立たずと見られていたのよ。(それが事実かどうかは私は詳しくは知らないが)
♥ それがいつの間にか学生の就職先の人気職種になるんだからわからない。私ぐらいの世代だと、「自分から好きこのんで役人になりたがる人がいるなんて!」という感じなんだが。
♠ 個人的には教師も同じ。

♦ まあ、世代差というのは恐ろしいもので、はっきり言って今の人がこれ見て、どこまでわかるのかしらとは思う。
♣ かく言う私は、なにしろ記憶力ゼロ人間なんで、東京オリンピック以前の東京の様子なんてほとんど忘れてたけど、これを見ているとなんとなく「そう言えばこんなだった」というのがけっこう見えて驚いたよ。
♠ そういや、他人のリビューを見ていていちばんショックだったのは、「黒澤監督の時代劇を見るのはこれが初めてなんだけど‥‥」というやつ。
♥ 時代劇ってちょんまげ結ったお侍さんの出てくる映画のことじゃないんかい!
♣ 平成生まれにとってはこれが時代劇になっちゃう時代なんですかねえ。
♦ それにしても無知すぎるわ。これは撮られた当時はれっきとした現代劇だっちゅうの!
♠ 同僚が学生に「戦時中もそうだったんですか?」とか言われて泣いてたのを思い出した(笑)。

♥ もちろん私は『酔いどれ天使』もこれもどっちの映画が作られたときもまだ生まれてないよ! でも昭和30年代なんて、まだ戦後を引きずってたし、まだまだ日本は貧しくて未開だったということを思い出した。
♠ 私は千代田区生まれだから、さすがにここまでひどい所は見たことがないが、世田谷あたりだとまだこんな感じだったんじゃないのか?(冷笑)
♦ そうそう、年代の違いより、日本映画の場合はむしろ土地風土の差のほうが大きいかも。黒澤の現代劇は東京の話だからまだなじみがあるように感じるんだと思う。同じ白黒映画の時代でも、舞台が地方だというだけで、別の惑星の話みたいに感じるもん。
♣ それに、私の場合、生では知らなくても、両親が若かった頃の時代の話だと思うだけで、なんとなくなじみがあるような感じがする。自分の目では見ていなくても、親から話に聞いて想像していた通りだからだろうね。

♠ あと音楽ね。邦画がなんで嫌いかと言って、たぶん最たる理由は音楽が嫌いだからなんだが、ここまで古いとかえってある種の懐かしささえ覚える。
♦ さすがに『ゴンドラの唄』(「命短し恋せよ乙女」ってやつ)は大正歌謡だから古すぎる(劇中でも古すぎて浮いてるという設定)が、見るからに頭空っぽそうな、やさぐれたダンサーが酔っ払って歌うのが『Come On-A My House』(英語版)なのはびっくりした。
♥ それぐらい洋楽が身近だった時代なんだよなあ。親がそういう時代に育ってるから、私は小さい頃から洋楽洋画をあたりまえに受け入れて育ったが、逆に邦楽邦画しか知らない今の子とは、道理でなんの接点もないはずだ。

♦ 次に役者評。上に書いたのと正反対の意味で、志村喬名優過ぎる。この人はあの特異な容貌だけでもすごいのに、おまけに名優だなんて。
♠ しかしおもしろい顔だなあ。モーガン・フリーマンに似てるといつも言ってるけど、あの大きなまん丸の目と、分厚い唇が黒人っぽいからよけいそう見える。
♥ やっぱり黒人の血が入ってるんじゃないかと思って、ついWikipediaを見てしまったわ。もちろん純日本人で、いいとこのお坊ちゃまなのね。
♣ とにかくあのショボンとした顔がかわいすぎる!
♥ 泣いた顔もかわいい。
♠ おっちゃんなのにこんなかわいくていいの?

そしてこれが映画史に残る志村喬の泣き顔

そしてこれが映画史に残る志村喬の泣き顔

♥ ここのイラストがそっくりで笑う。

♣ 顔のインパクトと言えば、作家役の伊藤雄之助も忘れないで。
♠ 忘れたくても忘れさせてくれない容貌(笑)。
♥ あごー!
♦ この人も日本人離れしてるなあ。
♠ 私の印象では、マカロニ・ウエスタンに出てくるメキシコ人という感じ。

伊藤雄之助演じる小説家

伊藤雄之助演じる小説家

♥ 黒澤は三船敏郎を見つけてきたんだから美形を見る目も持ってるんだけど、こういうフリークも好きだよね。『用心棒』の大男とか。
♣ 羅生門綱五郎ね。あれはともかく伊藤雄之助をフリークはひどい! 普通にいい顔してると思う。前の記事でも言いかけたけど、昔の役者ってほんと個性的で粒ぞろいだったと思わない?
♥ 今の男優だって、特にアイドル系なんか思わず吐くようなフリーク揃いじゃん。
♦ 最近の日本の若い役者は揃いも揃ってホスト顔だし。
♠ 今だっていい男がいないわけじゃないと思う。ただ、話や演出や芝居があまりに臭くてヘボいので、どんな美男も台無し。黒澤映画の役者がかっこよく見えるのは、やっぱり映画そのもの重みの違いでしょ。

♥ でも男優はステキなのに女優さんは‥‥って思わない? これってやっぱり時代の好みの違い
♦ そんなことないんじゃない? 原節子なんて今見ても十分きれいだし。
♣ 『隠し砦の三悪人』のお姫様もきりっとした美人で好きだった。
♥ じゃあこれはなんか意図があるのかな。『酔いどれ天使』の木暮実千代はまあ、ああいうキャラだからいいとして、美代を演じた中北千枝子は相当なブスだったし、『羅生門』の京マチ子も「えー?」と思ったし、ここのトヨ役の小田切みきもかなりアレだよね。男がけっこう日本人離れした、垢抜けたタイプが多いのに、女はモンペか割烹着のほうが似合う感じの人が多くない?
♠ 美人コンテストじゃないんだから、顔より役柄と合ってるかどうかを重視したんでしょ。
♣ 少なくとも個性的ではある。最近の若い女優は男もだけど、ほんとに量産型で見分けが付かない。
♦ 小田切みきは今風の化粧や服装してたとしたら、今いてもぜんぜんおかしくないと思うよ。むしろ今風の美人じゃないけど魅力的な女の子になると思う。

渡辺とトヨと変なウサギ

渡辺とトヨと、渡辺に生きる目標を与えてくれた変なウサギ

♥ でもトヨのキャラクターうざすぎない?
♣ これだけ年の離れた上司に思いっきりタメ口(笑)。
♦ うーん、彼女は辛気くさいジジイばかりのカビ臭い職場に吹き込む一陣のさわやかな風、をイメージしたんだろうってことはわかるけど。
♠ そんなしゃれたもんじゃないでしょ? 貧乏で腹ぺこだし、靴下穴だらけだし。
♥ 年上の同僚の悪口も言いまくりだし。
♦ だからイメージだ。それと旧弊なお役所に対するアンチテーゼと。
♠ だから、「なんでもズバズバ言える女」自体が新鮮だった時代なんだよ。今はそんなのあたりまえだから、かえって不作法なバカ女に見えるだけ

♦ 役所の面々については?
♥ 正直、誰が誰かも覚えてない(笑)。
♣ 誰だっけ? 通夜の席上でひとりだけ渡辺を弁護する男いるよね? あれ誰? それ以前になんかからんでたっけ?
♠ 忘れたけど、そういうことは生きてる間に言ってやれよとは思った。
♣ その彼も、いざとなると何も言えないし、要するに役人はみんなクソと。

♠ 技法の話はしないと言ってたけど、あれぐらいは感想述べてもいいんじゃない? つまり、後半いきなり主人公が死んでることについてだけど。
♥ 最初はどうなることかとあせったけど、終わってみればいたって自然な展開に思えてくるから不思議。
♦ 渡辺の奮闘をあえてしつこく描かなかったのが成功した。ほんのさわりだけ見せるほうが描かれない部分を想像させるから。
♥ 政治家とかヤクザとかが関わってくるから、そういうウザい社会派っぽくなるのかと思ったら、あっさり流されて笑った。
♣ そういう社会の理不尽な仕組みとかはさらっと流して、話を渡辺個人に絞ったところがいいんだよね。

♦ あとなんか気付いたことある?
♥ あの頃って癌は本人に告知しないのは知ってたけど、家族にも言わないってあり? 普通、本人には言わなくても家族を呼んで真実を告げるでしょう?
♠ 私もそこが気になった。待合室にいた変な男の話聞かなかったら、死ぬまでただの胃潰瘍だと思ってたわけだよね。医者もすぐ治りますとか安請け合いして、仲間同士では「ありゃもうだめだ」みたいに笑い飛ばしてるのがすごい不愉快だった。
♦ あれってなんでだったんだろうねえ? 渡辺も自分の寿命が残り少ないと知ったからこそああいうことができたわけで、告知しないのってかえって残酷だよね。
♣ 今は余命も何もあっさり告げるよね。
♥ だって隠す方が迷惑だもの。昔はなんでああだったんだろう?
♦ 抗癌剤とかなくて、延命の方法がなかったから?
♠ 延命しなくたってターミナルケアは必要だろ? 苦痛に耐える患者の身にもなってくれ。
♥ うちの爺さん医者で、癌で死んだんだけど、本人の希望でモルヒネ漬けにしてもらって苦しまずに逝ったそうだ。ということは医者じゃない一般人はそういう治療受けられなかったのかなと思った。

♦ というわけで、悪口っぽいことも書いたが、『生きる』はそれでもあまりにも偉大な作品だ。『生きる』が偉大なのは

1.志村喬のつぶらな瞳と泣き顔があまりにもかわいい。
2.「わしは人を憎んでなんかいられない。わしにはそんな暇はない」というセリフがあまりにもすばらしい。
3.雪が降り積もる深夜の公園で、ひとり歌を口ずさみながらブランコを漕ぐ初老の男という構図があまりにも美しい。

からである。これだけあれば他はもう何もいらないよ。
♥ 2は明言だよねえ。ほんとそう思う。くだらない恨みや下衆な人間にかまうには、人生はあまりにも短すぎるから。
♦ 私も悔いばかりの人生を振り返れば、ぶっ殺してやりたかった人間だらけだけど、そんなことはもう思い出すこともないし、どうでもいい。今生きてるだけで精一杯だから。
♠ 名画であることは疑問の余地がないし、すばらしい映画だけど、上記のような理由で、見て幸せになれるような映画じゃないなー。『七人の侍』は何度見てもうれしいけど、これは円盤買って何度も見ようとは思わない。
♣ だけど忘れた頃に無性に見たくなる映画ではあるね。
♥ それで見てはまた「何、このジジイうぜー!」と文句を言う。
♣ でもラストシーンでは決まって泣くんだよね(笑)。

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