【映画評】白痴(1951)黒澤明監督特集6

原節子と久我美子

原節子と久我美子

黒澤映画を途中早送りで見たのは初めてだ。いや、見る前から合わないだろうと思ったから、今まで見たことがなかった映画なんだが、食わず嫌いもよくないし、何よりこれだけたくさんの黒澤映画が一挙に見られるせっかくのチャンスなのに、見ないのは損だと思って。あと、三船敏郎、森雅之、原節子、久我美子という、美男美女の華麗なる競演にも釣られて、つい見てしまって後悔した。


ご存じドストエフスキー原作。ドストエフスキー・ファンを公言する黒澤としては、とりわけ思い入れのあった作品らしいのだが、4時間32分の長尺だったのを2時間46分にまでカットされ、おかげで映画はズタズタ、ついでに興行成績も悪かったという呪われた映画。
という、「黒澤監督は悪くないんだからね。会社が悪いんだからね」という言い訳みたいな裏事情ばかりがいつも言われて、そのわりに内容について触れたリビューってほとんど見ない。というあたりで、私は「たぶんたいした映画じゃないな」とあたりをつけていたんだが。

でも私、ドストエフスキーってだめなんだよね。幼い頃から本の虫だった私は、中学卒業までに図書館にあった文学全集はすべて読破した‥‥つもりが、どうしても読み通せなかったのがドストエフスキーと、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』と、あとたぶんプルーストの『失われた時を求めて』も挫折している。
だいたいロシア小説自体が嫌いだし。とにかくなんでもかんでも死ぬほど長くて、どうでもいいような細かいディテールがしつこすぎ、何より暗くて陰湿で、読んでると気が滅入る‥‥というのが私のロシア小説のイメージ。(トルストイは楽しく読めたけど)
なのに、日本人のドストエフスキー好きにも驚かされた。『蜘蛛巣城』のコメント読んだら、「原作は知らないが‥‥」という人が多くて、「シェイクスピア知らない人がこんなにいるなんて!」と驚いたののちょうど裏返しか。確かにシェイクスピアの原作は戯曲だから読むのはしんどいかもしれないが、散文になったのや映画やドラマも見たことないわけ?
それに対して、『白痴』のコメント欄には、ドストエフスキーを引き合いに出して語る人が多くて驚いたわけ。えー、『マクベス』みたいなおもしろい話は知らなくて、こんな暗い話はみんな読んでるのかよ?

それとラブストーリーが、これはどこの国の小説でも映画でも苦手。だから、この映画も嫌いだろうという予測はできたのだが、こういう映画だったとは‥‥。

話は例によってすべて札幌に移し替えられている他は、ほぼ原作通り。

なにしろ半分以上早送りで見てるから誤解があるかもしれないが、簡単に話をまとめると、題名の『白痴』は亀田欽司(森雅之)のこと。彼は戦争がきっかけでてんかんを発症し、白痴になってしまったというすさまじい設定(苦笑)。
てんかんで白痴になるって、今だったら権利団体が騒ぎそうな‥‥。いや、原作がそうだからしょうがないけどさ。しかし、英語でも“Idiot”だが、この「白痴」ってなんか別のものじゃないの? 亀田もバカには見えないし。普通にPTSDか、さもなきゃ発達障害とかそういうのに見えるけどな。
とりあえず、亀田は「馬鹿」な代わりに、純粋無垢で心がきれいすぎて、俗な世間では生きていけないタイプの男という設定なんだが、私にはぜんぜんそんな天使みたいな男には見えず、まるっきり生気も感情もなく、なんかキモチわるい異常者っぽい男としか思えない。

それに対する三船敏郎演じる赤間伝吉は、ギラギラした感情むき出しの直情型の粗野な男で、この正反対の男二人が、偶然出会って友情を結ぶところから物語は始まる。
赤間は那須妙子(原節子)という美女に首ったけなのだが、まるで相手にされていない。ところが亀田も妙子を見て彼女に一目惚れしてしまう。妙子も亀田に心を動かされた様子だが、自分のような汚れた女(元囲われ者)は亀田にはふさわしくないと言って、亀田が世話になっている大野(志村喬)の娘、綾子(久我美子)とくっつけようとようとする。
綾子もまた亀田に惹かれているのだが、亀田は彼女に好意は感じているものの、どうしても妙子があきらめきれない。一方の妙子は亀田を忘れるためか、好きでもない赤間と付き合ってみたかと思うと、やはり亀田との間をフラフラしたりして、二人の男を翻弄する。綾子も亀田をめぐって妙子に嫉妬に身を焦がすが、しょせんは世間知らずのお嬢様、海千山千の妙子の敵ではない。
という、頭が痛くなりそうなややこしい四角関係なんだが、最後はとうとう切れた赤間が綾子を殺しておしまい。

ええい! 見てるだけでイライラする。こういううじうじしてはっきりしない奴ら大嫌い! 好きなら好き、嫌いなら嫌いではっきりせい! 妙子がさっさと亀田とくっつくか、それがだめならきっぱりあきらめて赤間と結婚してしまえば、みんな幸せ、とは行かないけど収まるところに収まるのに、結局男を翻弄して楽しんでるようにしか見えん。
同じ三角関係でも、『羅生門』みたいなのはすごくわかるし共感できるんだが、こういうのはさっぱりわからん。とにかく登場人物がみんな気取っていて、もっともらしいキザなセリフを吐き散らしているくせに、何もできないところがイライラしてしょうがない。

事実上の主役は原節子なんで、とにかく妙子が魅力的に見えないことには話が成り立たないんだが、小津安二郎の映画では清楚な大和撫子を演じていた原節子が、黒澤映画ではなんかものすごく肉食系というか、猛々しいのにも驚いた。久我美子との「女の戦い」なんてほんと怖いが、もちろん久我美子が太刀打ちできるようなタマではない。
この映画の妙子は、男を手玉に取ることで世渡りをしてきた女にしか見えず、そんな女のどこに男たちが惚れるのかがさっぱり理解できない。もちろん、亀田はそんな妙子の内部に、傷つきやすい純情な女性を見たという設定だってことぐらいはわかってるわよ。でもそう見えないのが痛い。まず美しいってところにもちょっと?だったし。
原節子は確かにくっきりした二重まぶた、でかい目鼻口の日本人離れした顔立ちで、当時としては絶世の美人だったのはわかるが、今の感覚で言うとそんな美人かなあ?と思う。まあ、美人じゃなくても女優としてのオーラは十分に感じるけどね。
ただ、髪型のせいか、ここでの原を見ていると、なぜか「雅子さま」に見えちゃって、ついずっこけた。いや、雅子さんだって若い頃はかなりの美人だったけどね。どうもあの印象のせいか、なんか大味で鈍感そうな、もっさりした女に見えてしまう。(あくまで見た目の話です)
対する久我美子は少女マンガみたいな大きな目が印象的で、確かに美少女だけど私のタイプじゃない。むしろ黒澤ヒロインで私が好きなのは、すでに述べた『隠し砦の三悪人』の上原美佐や香川京子のほうだ。

三船敏郎と森雅之

三船敏郎と森雅之

ならば男がなんとかしなくちゃならない。が、この映画の三船敏郎はなんか好きじゃない。
そこで期待の森雅之なんだが、はっきり言って気持ち悪いとしか。いや、演技はすごい。これは森としては一世一代の名演技なんだが、『羅生門』ではあんなに魅力的に見えたのに、こっちはマジで気味悪い。

というのも、なんかこういう感じの学生(や社会人)が最近多いんだわ。なんかの病気なのか、それとも単に変な人なのか、それとも本人は「不思議ちゃん」気取りなのか、こういう感じの挙動不審な人が。正直言ってものすごーく気持ち悪い。
それで森雅之の所作がそういう子たちとよく似てるんだわ。あの無表情さとか、異常に人の近くにびたっとくっついて立って、人の目を意味もなくじーっと覗き込んだり、「あなた、○○ですね」とか理由もなく決めつけたりするところとか、ああいうのを見ると言っちゃ悪いがゾッとする
ついでにいかにも純粋っぽく目をうるうるさせてこっちを見るな! 同じうるうるでも志村喬がやるとあんなにかわいかったのに、こっちは「何かわいぶってんだよ、気色悪い!」って感じで。
というふうに、つい現実のこの手の人を連想してしまって、反射的に気持ち悪いと思ってしまうものだから、もう亀田に感情移入するどころではない。魅力的どころか、見てるのが苦痛というか、正視に耐えないレベル。

あとそれ以上に気になったのがオカマっぽさ。いや、私はホモの人にはまったく何の偏見もないよ。(それ言ったら精神異常者にもないが) でも明らかにホモでもないのに、赤間にべったりくっついて顔を手でペタペタ撫で回したりするのはなんだったのか? これもなんか自分が触られることを想像してゾーッとしてしまった。
ついでに赤間の方も、恋敵なのにやけに亀田に優しかったな。殺そうとはするけど。

その辺をちゃんと見直そうと思って、録画をもう一度見ようとしたら、最初に見たとき気持ち悪さのショックのあまり速攻で消してしまっていた。また再放送はあるけれど、もう一度録画してまで見たくないです。というわけで、唐突に終わり。やっぱりこれは無理だった。

P.S. 北海道の風土を活かした映像の美しさというのがよく言われるが、私は北海道に特別縁や思い入れもあって大好きだけど、特に感心しなかった。むしろ固いモノクロの映像からは骨身にしみる寒さばかりが感じ取れて、ほんとにロシアみたいというか、心の底まで寒くなる映画だった。

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