【映画評】私がスピルバーグを嫌いなわけ ― アミスタッド(1997)Amistad

Amistad1これは見ればブツブツ不平を言うのがわかっていたから見なかった映画だが、テレビでやっていたのでつい見てしまった。

スティーヴン・スピルバーグについてはもうさんざん書いてるので省略するが、一言でいうと私の宿敵(笑)。数本はまあ評価してもいいと思える作品もあるが(『ジョーズ』、『太陽の帝国』、『カラー・パープル』、『ジュラシック・パーク』の1など)、代表作の『未知との遭遇』と『E.T. 』は私にとってはクズ映画の代名詞だし、その後も数多くのクソにまみれてきたおかげで、普通なら「ちょっと撮れる監督」と評価してあげてもいいんだが、その名声と人気とはあまりにも釣り合わないと思うため、目の敵にしている。
これはそのスピルバーグが『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク 』と『プライベート・ライアン 』の間に撮った映画だから、(どっちもクソだったが)いちおう脂の乗りきってる時代の作品なんだが、『太陽の帝国』までは「スピルバーグの社会派シリアス路線は見れる」と思っていた私も、『シンドラーのリスト 』でどうでもよくなったので、見るのをやめた。

シリアス路線でも、原作ものはいちおう元が小説=筋書きがしっかりしているからまだ見ていられるが(それでも改悪はやるが)、この手の「実録もの」はうさん臭さ全開だからやめようと思った私の判断はやっぱり正しかった。
筋書き自体は実際にあった話なんだし、特に言うべきことはない。当時は無数にあったに違いないが、たまたまアメリカで裁判になり注目されたため、奴隷制廃止運動の追い風になった事件というだけ。問題はそれをどう演出するかだろう。それでそこがダメダメなのだ。

Director: Steven Spielberg
Writer: David Franzoni

Cast

Morgan Freeman    …     Theodore Joadson
Nigel Hawthorne    …     Martin Van Buren
Anthony Hopkins    …     John Quincy Adams
Djimon Hounsou    …     Cinque
Matthew McConaughey    …     Roger Sherman Baldwin
David Paymer    …     Secretary John Forsyth
Pete Postlethwaite    …     Holabird
Stellan Skarsgård    …     Tappan

あらすじ

1839年、53人のアフリカ人奴隷を運んでいたスペイン船アミスタッド号で反乱が起きる。リーダー格のシンケ(Djimon Hounsou)と奴隷たちはスペイン人乗組員を皆殺しにするが、二人だけは舵取りと通訳のために生かしておいた。(史実ではスペイン人がアフリカ人たちをだまして、アフリカに向かう振りをしてアメリカに導いたのだが、映画ではシンケが勝手に進路を変更したから悪いみたいに取れる描き方をしている)
船はアメリカ海軍に拿捕されるが、奴隷たちの所有権をめぐって裁判になる。奴隷はスペインの財産だから返せと主張するスペイン女王イサベラ二世をはじめとして、生き残りのスペイン人二人組、船を拿捕したアメリカ海軍軍人らが、それぞれ所有権を主張していた。
そんな中、若手弁護士ボールドウィン(マシュー・マコノヒー)は、奴隷解放運動家のタッパン(ステラン・スカルスガルド)や解放奴隷のジョドスン(モーガン・フリーマン)らと協力して、シンケたちは自由民であり誰の所有物でもないことを証明しようとする。
彼らは勝訴するが、これが奴隷解放運動に火を付け、南北対立を激化されて内戦になるのを恐れた大統領ヴァン・ビューレン(ナイジェル・ホーソン)の横やりで裁判は最高裁に持ち込まれる。不利をさとったボールドウィンは元大統領で弁護士の資格を持つジョン・クインシー・アダムズ(アンソニー・ホプキンス)を味方に付けて勝訴し、アフリカ人たちは自由の身となって故郷に送り届けられる。

いわゆる法廷ものだが、法廷ものでおもしろかったのってほとんど記憶にない。三百代言が舌先三寸で頭の悪い陪審員を言いくるめるのを見て楽しいか?(←長年法学部で教えてるくせに、基本的に弁護士を信用してない) 日本のは知らないが、アメリカの裁判って特にこの傾向が強くてうさん臭い感じがする。
法廷ものがおもしろいのは、それひとつで裁判をひっくり返すような新証拠を、みんなが必死に集めて、ギリギリのところでバーン!と法廷で叩き付けるところだろう。(少なくとも『ペリー・メイスン』はそういう話だった) もちろんそれはこの映画でも出てくる。

シンケの証言によると、船上で多くの仲間が虐殺されたというのだが、検察側は「奴隷所有者が自分の財産を海に捨てるようなことをするはずがない」と主張して、シンケの言葉を嘘と決めつけるのだ。
それに対し、ボールドウィンは「食料が足りなくなりそうなので奴隷を間引いた」という証拠を見つけて、これが最初の勝訴につながるのだが、いちばん肝腎なはずのこのシーンはあっさりと片付けられて、まるで印象に残らない。
逆に、どうでもいいような「感動の名場面」では、仰々しい音楽がワワワワー!と盛り上がって、まるでテレビのキューのように、「はい、ここで泣いて」と教えてくれる。だっさ!

私がいちばん白けたのがこれ。史実の部分はそれなりに手堅く淡々と描いてるんだが、何10分かに一度盛り上げないといけないらしく、無理やり感動シーンを作るところ。
たとえば、裁判の途中にシンケがいきなり立ち上がって、英語で“Give us, us free. ”と叫び出す。はっきり言ってこんなところでそんなことわめかれても裁判の邪魔になるだけだと思うのだが、陪審員はジーンと感動する。

悪いけど、ポーランドボールの見過ぎの私はここで吹き出してしまった。いや、シンケが悪いんじゃなく、アメリカ人の「フリーダム」好きがこんなところにも!と思ってしまって。(ポーランドボールでは、アメリカは何かにつけて「フリーダム!」と叫んで飛び込んできて、何もかもぶちこわしにする迷惑キャラになっている) いや、ポーランドボールでなくても、唐突な「フリーダム!」に苦笑させられた映画は他にもいくつもあったような。
とにかく「自分らが奴隷使ってるくせに偉そうに」と鼻白む。

という批判は、(最初に奴隷狩りをした)ポルトガル人と(それを買った)スペイン人を思いっきり悪辣で極悪非道な人非人として描くことで回避する(笑)。特にスペイン女王イサベラはほとんど知恵遅れのガキ扱い。これはスペイン人怒るだろうな。事件「解決」後、スペインが20年間も「賠償しろ!」と騒ぎ続けたのも当然と思える。私は気分良かったけどね(笑)。(←アメリカよりもスペイン・ポルトガルが嫌い)
まあ、スペインが悪者になるのはいいとしても、もう今さら驚かないが、なんでアメリカ人が正義の味方面してられるんだか。ボールドウィンやアダムズがしたのはいいことだけど、そもそもこの時代にまだ奴隷を使ってた未開国のくせにと、つい思ってしまう。
同様にイギリスがアメリカ以上にかっこいいヒーローとして描かれているのにも苦笑。裁判でボールドウィンの証人として奴隷市場について証言した英国軍人が、最後は奴隷砦(闇市場)に大砲ぶち込んで破壊して終わる豪快さだもんね。まあ確かにイギリスは世界に先駆けて奴隷制廃止したけれど、その後も奴隷を使う植民地からの上がりはちゃっかり自分のものにしてたんで、あまり威張れないよね。だから、あまりの持ち上げぶりがちょっと恥ずかしい。

無意味なキリスト教の持ち上げも気になった。奴隷たちが監禁されている牢屋の前に来て(彼らには意味不明の)賛美歌を歌うのは無神経きわまりないと思うのだが美談っぽくなってるし、無理やり押しつけられた聖書のドレの挿画を(他にすることがないので暇だから)眺めて、キリスト教に目覚めるらしい場面は、この映画のテーマにどういう関係があるのか? それこそ文化の押しつけ・蹂躙に見えたけど。

鳴り物入りで登場するアダムズは、どうやら解放論者たちの最終兵器らしいのだが、ならば彼が最高裁でどれだけすごい弁舌を振るうかと思えば、シンケから学んだと称する「ご先祖様を大切にしよう」で、しかもそれで勝っちゃうのでずっこけた。
おまえは笹川良一かよ! と言っても、若い人には通じないか。このジジイが理事長を務める競艇のコマーシャルで、「お父さん、お母さんを大切にしよう」というのが耳にたこができるほど流れてたんですよ、昔は。しかもアンソニー・ホプキンスの人相の悪さが笹川に似てるので、ますますあれを見てるような気がしてしまう。

それはそうと、アダムズもヴァン・ビューレンも、アメリカ大統領をイギリス人が演じてるんだね。しかもこれは後にハリウッドの伝統になったみたいで、この後もダニエル・デイ=ルイス(リンカーン)、アンソニー・ホプキンス再び(ニクソン)、アラン・リックマン(レーガン)など、アメリカ大統領というと、イギリス人が演じるのがあたりまえになっている。どういうことだ、いったい?
時代劇というと必ずイギリス人を使うのは、英国訛りが時代がかって聞こえる(&その時代にアメリカ人なんて存在しなかったから、そもそもアメリカ人が出てきたらアナクロニズム)せいだろうが、これはなんでだ?
大統領は偉いから偉そうに見えるイギリス人役者を使うってか?(もちろん劇中ではアメリカ訛りで話すんだけどね) なんかアメリカ人の自尊心を疑いたくなる話。

法廷劇なのに争われるのはアフリカ人たちの所有権だけというのも驚いた。そっちで裁かれるとは思ってなかったんで。とりあえず、彼らに人権と自由が認められたのはけっこうなことだが、家畜でなくて自由人ならば、このあと反乱の罪で断罪されるべきじゃないの?
つまり、スペイン人が彼らの所有者ではなく、人殺しの人非人だったとしても、シンケたちだって人を大勢殺してるんである。そのあとは生き残った二人を監禁・脅迫もしている。それに船はどう考えてもスペインのもので、その船を盗んで逃げてきたのも事実。
そっちの罪はすべてチャラなの? チャラどころか国賓待遇で、国費でアフリカまで送ってくれるんだよね。どうもアメリカ人の正義の概念というのは理解できない

もうこれだけでも突っ込みどころ満載なのだが、最後のとどめになるのが、一番最後に出てくるシンケのその後。彼は無事シェラ・レオネに帰ることができるのだが、内戦のため、彼の村は滅び、妻子とは二度と会えなかったという。しかも妻子は敵に連れ去られて奴隷になったらしい。
裁判の中で、検事が「あなたのいたところでは奴隷はいなかったんですか?」と突っ込んでシンケが言葉を濁すシーンがあったが、これが奴隷ものの最大の突っ込みどころだよね。

何が皮肉って、アフリカ人自身が奴隷を使っていたというのもそうだが、シンケの子孫にとっては、彼があのまま誰かの奴隷としてアメリカにとどまっていたほうが、はるかに安楽な生活を送れたということ。もちろんシンケにとっては地獄だろうし、その子孫もしばらくは(60年代ぐらいまでは)苦しむだろうが、最終的には黒人としては最高の勝ち組になれたかもしれない、それこそアメリカ大統領にだってなれたかもしれないんだから。
逆に彼がアフリカに帰っても、ハッピーエンドになる可能性はきわめて低い。シェラ・レオネはダイヤモンドで潤ってるからまだましかもしれないが、それ以外のアフリカなら飢えや内戦やAIDSやエボラで苦しんで死ぬ確率がものすごく高いんだから。
これがあるんで、奴隷解放が手放しのハッピーエンドには見えないんだよなあ。もちろんアメリカ人の感覚では何で死のうとフリーダム!が最高ってことなんだろうが。同じ理由で植民地についても私は悪とは決めつけられない。植民地にされなかった、あるいは独立したせいで泥沼にはまった国もたくさんあるし、だいたい死の危険を冒してもあれだけの難民がヨーロッパになだれ込んでくるのを見ていると、なんのための独立だったんだろうと考えてしまう。

とにかく、映画のテーマは納得できないし、その見せ方にはまったく賛同できない。これなら法廷の茶番劇より、奴隷船の惨状を訴えるだけの映画にしたほうがまだましだった

そう言えば、みんなが衝撃を受けたという奴隷船の描写。残念ながら私はぜんぜん感心しなかった。
どうも日本の映画ファンの間では、『プライベート・ライアン』以来、スピルバーグはリアリズムの監督みたいな印象が広がっているようだが、あれって単に四肢欠損の人を負傷兵役で使ったというだけじゃん。それを見て怖いと言ってるのって、まるで身体障害者を見て怖いと言っているようで、失礼な話だと思ったけどな。
同様に、奴隷船の描写に関してもリアリティのなさにイライラした。「悪役」のスペイン人は『パイレーツ・オブ・カリビアン』みたいで非現実的だし、食うものもろくに与えられず、長期間、船倉に鎖でつながれたままの奴隷が、みんな肌もツヤツヤ、筋肉隆々で元気いっぱいなのはひどすぎる。
もちろん、奴隷市場に売りに出すためになら、しっかり肉付けてお肌もツヤツヤでもおかしくないよ。だけど、これは買った後、しかもさんざん虐待したという描写があるのに矛盾してませんかね。
というより、『パイの物語』みたいなのばっかり読んでる私なんか、食料が足りないからと言って、殺されて食われたりしないで、単に海に捨てられただけならまだ人道的に思えてしまう(黒い笑い)。

普段よりよけいそう思うのは、このところずっと(スピルバーグが師と崇める)黒澤明の映画ばかり立て続けに見ているせいもあるかも。とにかく黒澤のリアリズム、特にあのすさまじい「汚し」を見慣れてしまった目には、いかにも子供だましに思える。
黒澤なら、船倉は汚物でいっぱいで吐き気を催すような不潔さ。奴隷たちは骨と皮にやせ衰えて体中血とできものとかさぶただらけにして、主役のシンケにはあと30キロ痩せろと命じただろうな。そう言えば、『生きる』のリビューで書き忘れたが、末期癌患者を演じる志村喬は、ちょうど大病をして痩せたら、そのまま絶対に太るなと命令されたそうだ(笑)。

で、そうはならなかった理由としては、『荒野の七人』のリビューに書いたのと同じ、観客は悲惨で醜い奴隷の現実なんか見たくない。そんなのが主人公では感情移入もできないからだろうな。シンケを演じたDjimon Hounsou(さすがにアフリカの言葉の発音まではわからないので原語のまま)は元ファッションモデルだそうで、確かにすばらしくかっこいいし美しいが、ちっとも悲惨には見えないので、この役にはミスキャストだと思う。つまり『七人の侍』の農民や、『どん底』の貧乏人の役を、筋骨隆々でハンサムな三船敏郎がやってもまるで説得力がないってこと。それを平気でやっちゃうのが凡才。
まあ、『太陽の帝国』をあれだけ甘ったるい骨抜きにしてくれたスピルバーグだから驚かないけどね。それにしても『太陽の帝国』のクリスチャン・ベイルは裕福なお坊ちゃまから欠食児童への転落を見事に演じたのに、大人ならもう少しがんばれよと言いたくなる。

役者は上記の他にもピート・ポスルスウェイトステラン・スカルスガルドのような芸達者を揃えたが、まったくのところ宝の持ち腐れ。そうそう、史実には登場しないキャラクターを作ってまでモーガン・フリーマンを出してるが、それはもちろん、この手の映画にはモーガン・フリーマンを出さなくてはならないとアメリカ合衆国憲法で決まっているからである。

というわけで、私には巷で言われるような感動の名作にはまったく見えないで、モヤモヤとイライラだけが残る映画だった。

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