【映画評】天国と地獄(1963)黒澤明監督特集12

kurosawa-High and Low02名作と誉れ高いが、私が前に「黒澤映画では現代劇が嫌いで時代劇が好き」と書いたのは、これとか『生きる』が全面的に好きとは言えないからである。『生きる』は絶賛してたじゃないかって? いや、そんなことないって。志村喬が好きだから大目に見てるが、あの主人公も、周囲の人間もお世辞にも好きじゃないし、話もあんまり手放しに感動できるような内容じゃないって書いたはず。
それを言うなら、そもそも『七人の侍』の最初にも書いたように、実は黒澤明そのものがそれほど好きじゃない(笑)。ただ、無視するにはあまりにも偉大すぎる、正真正銘の天才だからこんなの書いているわけだ。(あと三船敏郎と志村喬と藤原鎌足が好きすぎるから) 嫌いな私がこれだけ熱中するぐらいだから、黒澤明の偉大さがわかるはず。まあ、世間の人が絶賛するものが嫌いという、あまのじゃくのせいもありますがね。
もちろん『生きる』も『天国と地獄』も、どちらも傑作であることに異論はないが、単なる個人の好みの問題。よって、以下は言いたい放題言わせてもらう。

原作はエド・マクベインの小説『キングの身代金』。私は警察小説も嫌いなんで原作は読んでないが、人物造形や犯人像、後半の脚本にはかなり脚色が加えられているらしい。有名すぎる映画なのであらすじは書かない。
子供の誘拐事件をモチーフに、階級差が生んだ社会のゆがみや、自分の子ならともかく、他人の子供の命を救うために全財産を投げ出せるか?というシビアな倫理テーマをからませた脚本は、いつもながら見事だと思う。

ここで唐突に、

私が現代劇より時代劇が好きな理由

(1)時代劇は馬が出る。

馬と自動車では天地の差がある。ここでは電車も重要な役を演じるけど、私は鉄道も嫌いだし。だいたいが「動物の出ない物語」(『パイの物語』)なんてつまらない。

(2)時代劇は古さを感じさせない。

現代劇(誓ってこれは現代劇ですからね! 時代劇とか呼ぶなよ!)では、やっぱり今との些細な違い(言葉遣いから生活習慣まで)が気になってしまう。もちろん古い映画はそこがおもしろく、ノスタルジーをそそる部分でもあるのだが、そっちに気を取られてテーマに集中できないという弊害がある。
それにくらべ、時代劇ぐらい古いとどうせ違いなんか素人にはわからないし、そういうものと思って見るから気にならない。

今回、その意味で気になってしょうがなかったのは、ただ単にうらやましいというだけで、その持ち主を絶望の底に叩き込むためなら人を殺すのも辞さないほどうらやましい「超豪邸」が、今の感覚だと普通の注文住宅レベルで、ちっとも豪華に見えないこと。なんか安っぽいし、小さいし、デザインも野暮ったいし。ヘーベルハウスかって言いたくなる。(昔はコンクリート建築っていうだけですごかったのは知ってる)
丘の上に建ち見晴らしがいいという設定だが、窓から横浜港が見えるのはともかく、眼下に広がるのがあんなみすぼらしい貧民街では、せっかくの眺望も台無しだと思うのだが‥‥。私の感覚だと江ノ島のあの別荘の方がよほどリッチに見えるのだが。(これも昔は逆だったのも知ってる)
ついでに家の内装は安いマンションのショールームみたいだし。

一方の犯人は、貧しさのあまりこういう犯行に走ったように描かれているが、仕事は病院のインターンであり、そもそもちゃんとした職に就いてるし、たとえインターンの給料がどんなに低かったとしても、ゆくゆくはお医者様なんだし、現代なられっきとした勝ち組なのが、いかにも興をそぐし、せっかくの天国と地獄の対比が弱々しく感じる。
そりゃ、医者だって弁護士だって大学教授だって、学生時代や下積み時代は安アパートで爪に火をともすような生活をしたって人はいくらもいるもんなー。私なんか今でもそういう生活だし(苦笑)。これがせめて病院の雑役夫とかなら同情する気にもなったんだけど、インターンじゃぜんぜん同情できないのもまずい。

あと、話とは関係ないが、みんながいつでもどこでも煙草を吸いまくっているのが、いかにもだなあと思った。新幹線、おっと間違えた、まだ新幹線になる前のこだま号の車内も煙モクモクだし、デカ部屋なんて白煙が立ちこめてるし。10年前まではどこもそうだったんですがね。

(3)役者も時代劇の方がかっこよく見える。

これはもちろん役作りもあるんだろうが、主人公の製靴会社常務・権藤金吾を演じる(「金吾」という名前は明らかに原作の主人公の名前「キング」のもじり)三船敏郎が、なんかすごくおっさん臭く見えて、このあたりから私は三船に対する関心を失っていった。直前の『椿三十郎』ではまだまだかっこよく見えたのにね。
ひとつには普通の服装と髪型のせい。もちろん役者なんだから、おっさんでもルンペンでも演じる必要があるのはわかるが、衣装ひとつでここまで変わるかと驚く。私は着物もチョンマゲも全然かっこいいとは思わないのにね。日本人はやっぱり和装の方が似合うのかしら? 男は特にそう。
あと、現代劇だと(三船が)裸にもならないし、太腿もちらつかせないのが不満(笑)。三船がシャワー浴びてる時に犯人から電話がかかる場面があって、「おっ?」と身を乗り出したが、すぐにバスローブ着ちゃうし(笑)。

以下は時代劇とは関係ないいちゃもん。

警察について

これは警察ものなので、犯人と警察との知恵比べも見所なのだが、それがいまいち。

誘拐で最もむずかしいのが身代金の受け渡しである。警察にとっては犯人検挙の最大のチャンス、犯人にとっては最大の難関で、ここが犯人の知恵の見せどころなのだが、この犯人はきわめて賢く巧みな方法で成功した。巧みすぎて、映画の公開後、多くの(現実の)模倣犯を生んだのは有名な話。

そういや、昔って身代金目的の子供の誘拐がすごく多かった。「吉展ちゃん誘拐殺人事件」とか、今でもよく覚えてる。ある意味リアルタイムで見てたからこの映画よりよっぽど臨場感があった。それが減ってきたのは、やはり日本が豊かになって貧富の差がなくなってきたからだと思っていたが、今後、格差が広がるとまたああいう時代になるのかね。まあ、金目当てで子供を殺すようなのも最低だが、最近よくある、性的目的で子供を誘拐して殺す方がもっと最低だと思うが。

これがそのパートカラー。しかしやっぱり眺望は最悪。

これがそのパートカラー。しかしやっぱり眺望は最悪。

話がそれたが、犯人側が知能犯なんだから、ならばそれを追う警察側は、それ以上に頭がいいところを見せてもらわないとならない。しかしそこがどうもいまいちなのだ。
電話の音声から江ノ電の近くからかけたことをつきとめたり、子供の証言から監禁場所をつきとめたり、身代金を入れたカバンに特殊な薬剤を仕込んで、燃やすと色の付いた煙が出るようにしたり(モノクロ映画の中で、この煙だけがピンク色になるパートカラーが話題を呼んだ)、ひとつひとつは実にリアルで、まさに警察が犯人を追い詰めるとしたら、こういう地道な捜査を積み重ねるしかないんだけど、なんか普通すぎて映画的興奮に乏しい気がしてしまう。
つまりミステリってのは、「そういう手があったか!」と膝を打つようなアイディアがほしいし、そうやって驚かされるところが快感なのに、なんか食い足りないのだ。(こんな風に感じるのは、その後の実際の事件やミステリをいろいろ見すぎたせいか? この当時はこれでも画期的だったのかもしれない)

事件を担当する戸倉警部を演じたのは仲代達矢。三船や志村喬は一目で名優とわかるが、この人がどれほどいい役者なのか、私はいまいちわからない。三船の跡目を継いで黒澤映画の主役に収まったんだから、いい役者には違いないんだろうが、他の黒澤組とくらべると、なんか線が細くて個性が乏しいように思えるんだけどね。
彼が率いる刑事たちも、思いやりのある老刑事とか、血気盛んな若い刑事とか、個性的なのを揃えたつもりなんだろうが、いつもほどキャラが立ってなくてひとりひとりの見分けが付かない。あと志村喬は本部長役なのだが、ほとんど出番もなくセリフも少ないのがつまらない。

kurosawa-High and Low01犯人について

これが現代の話なら、むしろ犯人を捕まえて、その動機や心理を探るところがハイライトになったんじゃないかと思う。いや、その前に犯人のプロファイリングだな。プロファイリングから始めて、犯人の心の闇をとことん掘り下げるはず。
ところがこの映画では犯人の竹内銀次郎(山崎努)の動機はごくあいまいなもので、あれだけ周到に計画を立てたことと矛盾している。しかも、ラストの三船との対面で、やっとここで秘密の動機が明らかにされるのかと思ったら、突然狂ったように絶叫してエンドマークだからポカーン‥‥。
う~ん、この「唐突なブチ切れエンディング」は黒澤映画のトレードマークで、いかにも黒澤らしい大胆な編集だが、なんかモヤモヤしたままでカタルシスに欠けるなあ。黒澤さん、異常心理とか興味ないのかしら? いや、ドストエフスキー好きな人がそんなはずないな。もしかして原作がそうなってるからか?

演じた山崎努は、これでもうちょっと竹内という男の内面が描かれていたら、アンソニー・パーキンズらをはじめとする、「名だたる映画のサイコ殺人者」の系譜に加えてもいいと思うぐらいの存在感。
いや、動機は不明でもいいのよ。『セブン』の犯人みたいな嘘か誠かわからない動機でもいい。ただ、あまりに出番が少ないし、内面描写がゼロなんで物足りない。複数犯なのに、共犯者に至っては名前はおろか、足の裏しか見せないし(笑)。

暗闇で猫の目のように光るサングラスが変質者感を盛り上げる

暗闇で猫の目のように光るサングラスが変質者感を盛り上げる

それでも黒澤明の面目躍如なのは、暗闇で猫の目のように光る犯人のサングラス。あれはほんとに不気味で印象的だった。あのサングラスは『シンシティ』のイライジャ・ウッドがパクってましたね。
ところで私はどうしても山崎努と緒形拳の見分けが付かない(笑)。なんかイメージがそっくりだと思いません? 実はこのリビューも、見た直後に書いたメモではぜんぶ緒形拳と書いてあった(笑)。山崎さん、すみません。

ほかに驚いたこと

横浜黄金町のスラムっぷり。あれはいくらなんでも映画的誇張だよね? いくらなんでも、あんなゾンビみたいなジャンキーがひしめいている通りなんて日本になかったよね? というか、どんなスラムを描いた映画でも、麻薬中毒者をあれほど恐ろしく描いた映画はなかった。黒澤に麻薬撲滅運動のプロモビデオでも撮らせれば良かったかも。
あと、関係ないが、「危険ドラッグ」とかいうふざけた呼び名やめろ。冗談みたいで、本気でやめさせる気あるのかと思う。
ところで、あれだけ大勢尾行がついていながら、ジャンキー女が犯人の手中に落ちて死ぬのを黙って見ている警察ひどすぎ。

結論

結局、映画の半ばで子供が帰ってきてからは、子供が殺される心配がなくなってサスペンスが殺がれてしまう。あとは淡々と進む印象。ここから犯人像の掘り下げになればおもしろかったのに。
権藤金吾が突き付けられる「究極の選択」も、一度決心してからは淡々としたものだし、その金もほとんど返ってきてなんか拍子抜け。おもしろくなりそうでならないまま終わった印象。

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