【マンガ評】猫と賢治とますむら・ひろし

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ますむらひろし作『銀河鉄道の夜』の口絵。真ん中の男はたぶん賢治。

本題に入る前にちょこっと言い訳。私が文学研究者をやめたのになんでこんな評論っぽいもの喜んで書き散らしているかというと、プロとして書くには当然根拠を求められる。つまり事実の裏付けがないとならない。それでその事実というのが、しばしば作品よりはるかにつまらないものなのだ。
たとえば「カムパネルラのモデルは賢治の亡くなった妹のトシ子」なんていうのは、もしかして事実なのかもしれないけど、それを言ったらおしまいというか、それより思春期前の無垢な男の子同士の話と思って読んだほうがずっと楽しい。その点、ブログなら本当に見たまま思ったままを無責任に言えるので楽しいわけ。(それでもそういう「本能」があるから、ここのリビューはかなり証拠固めをしてから書いてますがね)
というわけで、いつも取り上げるようなマイナー作品ならともかく、宮沢賢治の研究家は掃いて捨てるほどいるし、「定説」もたくさんあるだろうけど、そういうのは何も確認せずに好き嫌いと感性だけで書いてます
あと、原文の引用は読みやすさを考えてすべて新字新仮名に直してあります。

ますむらひろし/宮沢賢治特集

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【マンガ評】猫と賢治とますむら・ひろし
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というわけで、アニメのほうはあまり感心しなかったのだが、おかげでますむらひろしのマンガのほうに惚れ込んでしまった。それではますむらひろしの描く宮沢賢治のどこが素晴らしいか、第一は猫がかわいい!

最近の猫ブームへのいらだちについてはここ(書いたけどまだアップしてません。したらリンク貼ります)に書いたが、実は最近多い猫マンガも嫌いだ。昔は猫マンガなんて『ホワッツ・マイケル』ぐらいしかなかったのに、今やマンガも猫であふれてる。特にアマチュアのウェブまんがに多いのは、なんのアイディアも経験もなくても描けるからだろうか。
そういうマンガって、要するに自分の飼ってる猫が何をしたとかいう、猫飼いにとってはあたりまえすぎるたわいもない日常をマンガにしてるだけで、何がおもしろいんだかわからない。少なくとも猫本体はかわいいので、これならYouTubeの猫動画でも見ているほうがいい。

というのも、そういうマンガの猫が、もちろん作者によってそれぞれ絵柄も個性も違うんだが、どいつもこいつもかわいくないからだ。猫なんてかわいい以外ありえないものをどーしてここまでかわいくなく描けるんだ? 特に少女マンガ系の絵の人に多いんだが、人間の女の子はめっちゃくちゃ美化して描いてるくせに、猫はなんの動物かよくわからないしろものだったり、二目と見られない化け物になっちゃってるとか。たぶんそういうのはそもそも動物を描く訓練をしてないんだなと思って見ている。
まあ、私はディズニーのネズミとかキャラもんとかもまったくかわいいとは思えないから、世間様の美的基準からは相当外れてるのかもしれないが。

そんなわけで猫マンガが嫌い(未だに『ホワッツ・マイケル』以上の猫マンガはないと思ってる。ねこぢるは大好きだが、ええと、あれは猫マンガとはあくまで別物だ)なんだが、大昔から擬人化された猫キャラを使ったマンガを描いているマンガ家がいる。『アタゴオル物語』で有名なますむらひろしだ。

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『アタゴオル物語』の主人公ヒデヨシと親友のテンプラ

『アタゴオル物語』は雑誌やなんかで何編か読んだけど、べつに好きでも嫌いでもないという印象だった。完全に独自の異世界を、歴史から地理から風俗習慣から飲食物から小道具まですべて構築したオリジナルのファンタジーというのはすごいと思ったし、それを絵にする画力もすごいと思った。でも「完全に独自の異世界」ということは、そこに入り込めないとまるで乗れないということでもある。私は嫌いじゃないけど私の世界じゃないなという感じ。
ただ、風景とかの絵は本当にきれいだしオリジナルだしすごいと思った。(上のイラストのようなカラーもすごい好き)
逆に嫌いというか抵抗を感じたのは、猫が擬人化されてること(人間サイズで服着て二足歩行する)と、猫の絵はいいのに人間のキャラがすごく残念なところ(猫と人間が対等に共存している世界なので)、世界観はすばらしいのに話がいまいちなところ。あとやっぱり主人公のヒデヨシ(デブ猫)が、もちろんそういうキャラなんだが、おっさん臭すぎてかわいくないことかな。

なのになんで今ごろますむらひろしを読んで感激したかというと、動画の影響力というのはすごいもので、私はやっぱりあの映画のイメージでますむらひろしを捉えてたのね。でも今にして調べて知ったのだが、アニメ映画『銀河鉄道の夜』ますむらひろしは原案とキャラクターだけで、映画はあくまで監督の杉井ギサブローの作品だったのね。それであらためてマンガのほうを読んだら、ぜんぜん違うじゃん! こっちの方が断然いいじゃん!

まず絵がぜんぜん違う!というのは『銀河鉄道の夜』のリビューにも書いたけど、それに加えてアニメのジョバンニとカムパネルラはいつもまん丸の目を皿のように見開いて無表情‥‥ってことはむしろあっちのほうが本物の猫らしいんだが、ますむらひろしの猫はもっと人間らしい目をしていて、そのぶん生き生きとして表情も豊か。それでもってもう圧倒的にマンガのほうがかわいい。

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無表情なアニメのジョバンニとカムパネルラ

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表情豊かで人間らしいマンガのジョバンニとカムパネルラ

と言うと、いつも動物の擬人化に文句言ってるのと矛盾してると思われるかも。でもこれまで私が文句言ってたのって、もっぱら恐竜とかドラゴンとかの爬虫類だよね。あの人たちは人間とは異質なところがいいので、擬人化するとすごいいやなんだが、それにくらべたら猫は十分人間らしいよ。

だいたい私は『ピーター・ラビット』大好き(ビアトリクス・ポターの絵本では動物はみんな服着て二足歩行している)、『マイリトルポニー』大好きなので、今さら擬人化ぐらいで驚かない。むしろ、これはどこに書いたか忘れたので繰り返すと、ビアトリクス・ポターがすごいのは、おそろしく正確に動物を観察していて、二足立ちさせるにしても、解剖学的にあり得ない絵は絶対に描かないからなのだ。
つまりウサギが服着て二足歩行するとしたらこうなるはずという「無理のない」擬人化なところがすごい気に入った。そういや、日本のマンガは(犬猫みたいな身近な動物でも)解剖学的におかしくて、関節が逆だったり、しっぽが背中から生えてたり(笑)、耳がおでこから生えてたり(笑)することがよくあるね。そういうのはすごい気になる。

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服を着ててもリアルなビアトリクス・ポター描くピーターとベンジャミン・ラビット

その点、今回初めて気付いたのだが、ますむらひろしの描く猫も『ピーター・ラビット』並みに正しい。ていうか、猫なんて勝手に二足立ちする動物なんだから見たまま描けばいいだけなのに、案外ちゃんと描けてる人っていないのよ。
実は私、二足立ちした猫がかわいくて「立ち猫写真」をコレクションしてるぐらい好き。なんで特に立つとかわいいかというと、猫があのプロポーションで立つと、極端に肩幅が狭く、手が短くて胴長で、おなかがぽっこり出て、太腿が太い下半身安定型で、短足な感じがすごいかわいいからだ。以前にすごくほめた『長ぐつをはいたネコ』のプスがそうだし、ますむらひろしの猫のかわいさもまさにそれ。

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なんか人間臭すぎてコラじゃないかと思うほどの現実の立ち猫さん

まあ、この写真とトップに使った『銀河鉄道の夜』の猫たちをくらべてみてよ。masumura-hiroshi11立った姿もかわいいが、ますむらひろしの描く猫はしっぽやお手々がむくむくして、ふわふわで柔らかそうなところもすごい好き。

さらによく見ると、足はちゃんと獣脚になっているし(四足動物は逆関節のように見えるが、実は膝に見えるのは人間で言うとかかとなので、人間とは逆に見えるだけ)、口はちゃんと兎唇になってるし、それにいちばん感心したのは電話のかけかた(笑)。
いや、解剖学的におかしいという点で、ネットでよくバカにされるアニメ画像がこれなんですよ。

masumura-hiroshi09おまえの耳はそこじゃないだろう(笑)。かといって、それなら受話器を本当の耳に押し当てるとすると、なんだか頭の上に受話器を載せているみたいな変な絵柄になってしまう。トラより耳が立ってる猫だとなおさらだ。
ところが、ますむらひろしの『グスコーブドリの伝記』でグスコーブドリが電話(もちろん昔の黒電話)をかける場面が何度もあるんだが、そのときの受話器の位置がまさにそうなっていたので感心した。ただし送話器のほうは口に当てないとならないから、口から頭の上まで伸びるやけに縦長の電話になってしまうのだが、考えてみれば当然のことなのに、なかなかここまで正確には描けない。

こういうのは本当に猫が好きでよく観察している人ならではだなあと思った。ますむらひろしも最初は猫が嫌いだったそうですけどね。もちろん今は熱烈な愛猫家らしい。
ツイッター見たらやっぱり猫尽くしなんだが、ここんちの猫いっぱいいるけど、どの子も死ぬほどかわいい!

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ツイッターからお借りしたますむら家の猫ちゃんたち。このほかにもたくさんいる模様。

ひえー! かわいい! これだけかわいい猫に囲まれていれば、いやでも創作意欲が刺激されますよね。

というわけで、ますむらひろしに最初に惚れた理由は猫の絵の愛らしさだった。もちろんかわいくいじらしいジョバンニだけじゃなくヒデヨシみたいな猫も描けるだけあって、個々のキャラクターの描き分けも巧み。
アニメのジョバンニとカムパネルラなんて色以外見分けが付かないのに、マンガで見るとジョバンニは幼くていかにもナイーブな感じだし、カムパネルラは年のわりに大人っぽくてイケメン猫だし、これを見ちゃうとアニメの二人は招き猫の置物レベルに見えちゃう。

他の短編のキャラクターも1匹1匹個性的で、あくまで猫らしいにも関わらず、キャラが猫だということを忘れてしまいそうになるのもすごいと思った。ちなみに賢治の童話には猫以外の動物もたくさん登場するが、それらはちゃんと元の動物のまま。あくまで猫と人間が猫として描かれているのね。なんかややこしいが。それでその動物たちがみんなリアルなのにかわいい
う~ん、動物マンガってもともと少ないうえに、ここまで好きなタイプの絵ってなかなかないよ。私が最初にマンガの動物に惚れたのって手塚治虫なんだが、手塚の描く動物は確かに異常に色っぽくて、私をケモナーとして目覚めさせたのは当然だけど、しばしばデフォルメが過ぎるし、目が完全に人間なのがずっと気になってた。やっぱり手塚のケモノは人間的すぎるんで、擬人化もこのぐらいのレベルがちょうどいいなあ。
そういや、最近のマンガはこれだけおたくにすり寄ってるのに、ケモナー向けマンガってないのな。猫カフェなんかが乱立して猫萌えのやつは増えてると思うのに不思議だ。マヌケな顔した不細工な猫が出てくるマンガはいくらでもあるのに、本当に萌えさせてくれるのってないんで、その意味でも貴重だ。

ますむらひろしの素晴らしさその2はあくまで原作に忠実なこと。読んで驚いたんだが、賢治の原文を一字一句省略せずに、よけいなアレンジを加えたりしていない。これもアニメとの大きな違い。そして賢治ファンとしてはもちろんこうでなければならない。

元のまんまのカバー・バージョンって、これが音楽同士とか絵画同士だったら盗作かよほどの能なしだが、文章を絵にするってのはすごい才能がいる。せりふだけならまだしも、すべては描かれていないキャラクターの表情や場面設定や背景まで、想像で補って描かなきゃならないんだから。あとマンガやアニメだとカメラアングルだとかカメラ(視点)の位置まで考えないとならない。これならまだ文学を実写化するほうが簡単なぐらい。(同様に絵を文章にするのもむずかしいんで、私の苦労も少しはわかってください)
もちろんそれだけじゃだめで、そうやって視覚化されたものが、私がいつも脳内で思い描いていた「絵」と一致するってのもポイント。それが一致するとどうなるかというと(『銀河鉄道の夜』以外の映像作品は見たことがないにも関わらず)、「そうそう、この場面はこんな情景だった」と、強烈なノスタルジアを覚えて快感なのだ。もちろん私の貧弱な想像力では思いも付かなかった風景を見せてくれて、「うわー! ここってこういうところだったのか!」と感動させてくれるのも重要。
『Sherlock』のリビューでも原作小説のイメージの重要性について書いたが、ホームズ物語はプロットやキャラ中心なのに対し、宮沢賢治の作品は文章で書いた絵のように視覚的なので、それだけ情景を思い浮かべるのも簡単だし、逆にイメージが合わないとぶちこわしになるのに、ますむらひろしの描く賢治は本当に私の思い描いた通りだったので。

あと、些細なことだが、ますむらひろしが米沢の出身と知って、やっぱり同じ東北民としてわかるし共感する部分があるんだろうなあと思っていた。それでマンガのあとがきを読んだら、やはり東北出身者じゃないとわからない部分はあるようだが、その一方で、「中学時代に賢治の童話を読んだときの気持ちは、田んぼの裏から我が身を映しているような、自分の影絵を見せられたような気配があって、なんだか『嫌ーな感じ』がしたのだ」そうだ。ところが東京に住むようになって読み返したら、今度は田舎のいいところばかりがなつかしく思い出されたというのだが、なるほどねえ。そういうものなのかも。
ちなみに私はいつも言ってるように生粋の都会っ子で(日本の)田舎嫌いなのだが、なぜか好きになる作家やマンガ家は東京人でなければ日本のうんと北の方の人なのだ。
小説でいちばん好きなのは宮沢賢治と芥川龍之介、マンガ家なら吾妻ひでお諸星大二郎というのはいつも言ってるが(すごく限定的で数が少ないのはそもそも日本のものが嫌いだから)、賢治が岩手、吾妻は北海道、芥川と諸星は東京だ。あと演劇と詩歌では寺山修司が大好きだったが、寺山は青森だ。かく言う私自身が江戸っ子と道産子のハーフなんで、やっぱりこれも血だろうか。そういや漫画や小説に限らず、いつも(日本でもヨーロッパでも)北国が好きというか、北国しか好きじゃないと言ってるしね。

中でも宮沢賢治なんて最も郷土色丸出しで、言ってみればいちばん田舎くさいのに、なんでこれほど好きなのか自分でも不思議だ。あえて言うなら、これが山形出身のますむらひろしにとってはすごくなつかしい風景なのに対して、私には異質すぎて想像も及ばない、つまりは架空のファンタジー世界みたいなものだからだろう。
賢治は方言も特徴的だが、実は私は方言は好きだ。(悪いが大阪・京都のあたりを除く。関西弁だけはどうしてもだめだ) 外国語みたいなのに不思議とわかるってところがおもしろいし。(実は岩手に旅行に行ったときは相手の言ってることがぜんぜんわからなくて困ったことが何度もあったんだが)

それと外国かぶれの私としては、やっぱり賢治の外国かぶれの部分にすごく共感する。近所の川岸に「イギリス海岸」なんて名付けちゃう人は他人とは思えないし、そんなところに住んでるだけでいいなあと思う。(北上川の白い泥岩がイングランド南部の白亜の崖を思わせるかららしい)
童話も『銀河鉄道の夜』を筆頭に、けっこう外国っぽい場所が舞台になってるのがあるし、そもそもこの「現実には存在しない外国」日本と外国が混在した感じが、幼かった私がぼんやりと抱いていた「外国」のイメージと重なる。そういえばまだ外国へ行ったことのない子供の頃はよくこういう夢見たなあ。あ、もちろん夢の雰囲気が濃厚というのも賢治の好きなところ。

ところでますむらひろしは最近名前も聞かないし、とっくに引退なさったのかと思っていたのだが、調べたらまだバリバリの現役で、しかも宮沢賢治作品をまだ書き続けているというじゃないか! しかし掲載誌は「赤旗」。う~ん、確かにもう「ガロ」もないし、「まんが少年」もないし、こういうアート系のマンガを載せてくれるような雑誌はないもんね。それでもまだ掲載してくれるところがあるだけでも素晴らしいし、こうなったら賢治童話すべてをマンガにしてほしい

しかし、この人の賢治童話がこんなに良かっただなんて、猫も賢治もこれだけ好きな私が今まで気付かなかったのが本当に残念だ。ちょっと考えれば、賢治が幻想の岩手をイーハトーブと名付けたのにならって、自分の幻想世界にヨネザアド(故郷の米沢から)とかアタゴオル(米沢にある愛宕山と当時住んでいた千葉県の愛宕という地名から)と名付けるような人は、相当な賢治おたくと察して当然だったのに。
あと猫の絵柄もなんで嫌ってたのかわからないぐらい好き。今になってみるとやっぱり昔のマンガ家だなあと思うのは、手塚治虫から連綿と続いた丸っこい愛らしい絵としっかりした線で、私はやっぱりこっちのほうが好き。今のマンガって線が直線的でとんがって、しかも線が細いのが生理的に嫌い。なんか血の通わないロボットみたいで。

ますむらひろしは他にも北斎の浮世絵の人間をぜんぶ猫にしたイラストとか描いて展覧会をやったりもしている。えー、知ってたら見たかった! 私、水木しげるが描いた妖怪版東海道五十三次の本も、西洋名画を猫で置き換えたスーザン・ハーバートの画集も持ってるので、まさにコレクションにぴったりだったのに!

しかし下世話な話だが、こういうマイナーなマンガ家っていったいどうやって生活してるんでしょう。と思うのも最近『ブラックジャックによろしく』の佐藤秀峰が描いた漫画貧乏(ここで無料で読めます)という本を読んで、どんなに働いてもどんなに売れてもマンガ家は儲からないという事実に愕然としたところなので。
でもますむら先生はツイッターとかで見ると、広い庭のあるきれいなおうちに住んで、たくさんの猫に囲まれて悠々自適の暮らしをしているように見えるんだがなあ。とにかくこの調子でいつまでもお元気ですてきなマンガを描いてください。

と、終わったように見せかけて次はかんじんの作品の話に続く。

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