★【アニメ評】杉井ギサブロー 『グスコーブドリの伝記』(2012)

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ここは原作ではやはり淡々と描かれているが、いかにも大作映画にふさわしいドラマチックな山場で、映画なら最後の30分を使ってたんねんに描くべき最大のクライマックス。
それを丸ごとカットしちゃった‥‥と言って『君の名は。』を責めたばかりなのに、これもそうなのかよ! もしかしてこういうのって日本アニメの伝統なの???


ということは、外人にとっては宮沢賢治のイメージはこの2本の映画で決定されちゃうんだろうなあ。これはかなりくやしい。(中略) 他に賢治原作の世界的に有名な映画って思いつかないし、この微妙な出来のアニメ2本が宮沢賢治の代表作になるというのはあまりにも残念です。芥川は『羅生門』があるだけで永遠に世界中の人の心に残るというのにねえ。この違いは大きすぎる。

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ところで『銀河鉄道の夜』を撮った杉井ギサブローは2012年にも、やはりますむらひろしの絵で『グスコーブドリの伝記』をアニメ化しているのを、今にして知った。予告編を見てみたらなかなか幻想的だしきれいでいいじゃないの。さすがに技術の進歩はすごい。そこでさっそく見てみたのだが‥‥。

とりあえず、見始めてすぐに閉口したのはまたもや猫の体色! 他の猫はまだなんとか見られる範囲なのに、ブドリとネリの兄妹だけはまたあの青と赤。背景やその他の絵が限りなくリアルに近付いてるだけに、なんでこの二人だけ頭からペンキかぶったみたいな色なのかわけわからん。
『銀河鉄道の夜』で書いたように、これは別にますむらひろしのせいというわけでもないので、よっぽど杉井はカラーひよこみたいな猫が好きなんだろうか?

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「カラーひよこみたいな」映画のブドリ(ブドリ)とネリ(赤)

後述するように今回はさすがに背景はすごい凝っているのに、主人公の猫の絵は『銀河鉄道の夜』並みの手抜きに見えるのはなんでか? ていうか、これまんま『銀河鉄道の夜』のジョバンニですよね。だいたい映画のブドリは大人になっても絵が変わらないし。ますむらの絵だと、子供の頃は確かに愛らしいが、大人になったブドリはすごく知的で大人っぽいのに。

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ここまで絵に凝るならますむらひろしの猫がそのまま動くぐらいのアニメーションはできなかったのか? ていうか、この人の映画、ますむらひろし原案となっているが、「登場人物が猫である」という以外関係ないよね。絵もまったく似てないし。

次に違和感を覚えたのは、原作と話が違う!ということ。『銀河鉄道の夜』は夢物語なんだから、はっきり言って何やっても許されたんだよ。だけど、『グスコーブドリの伝記』は賢治の童話の中では最もシリアスな部類の社会派作品なのに、どうもこれも幻想で片付けようとしているみたい。

ネリを連れて行く人さらいは悪魔か何かのような超自然的人物になっているし、テグス工場の親方も魔法使いみたいで、人を空中浮遊させたりできるのに驚いた。ネリは生死も不明で原作のようにブドリと再会することもない。
まあ、この幻想的な描写は確かに美しいし、それはそれでいいんだが、この物語の序盤の飢饉の描写は本当に切なく恐ろしいもので、東北の農民の艱難辛苦を切実に物語るものだったのに、そこを幻想にしてしまったために、グスコー一家の苦難が卑小化されてしまったような気がする。

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空飛ぶ猫たち。確かにこういう風景は息を呑むほど美しいが。

さらにテグス工場は完全にスチームパンクだし、イーハトーブは伏見稲荷みたいな赤い鳥居が連なる町にばけものたちが逍遙する『千と千尋の神隠し』の世界のようで、もう何がどうなってるの!? と思ったら、実はこれはブドリの夢で、現実のイーハトーブは絵に描いたようなスチームパンク・タウンでした。

スチームパンク・タウンと化したイーハトーブ。いや、これはこれですごいんだが、少なくとも宮沢賢治の世界ではないな。

スチームパンク・タウンと化したイーハトーブ

実はこの「ばけもの」は『グスコーブドリの伝記』の原型である『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』からの引用。こちらは猫ならぬばけものの世界で、主人公のネネムもばけもののひとりなので。

『グスコーブドリの伝記』はブドリの幼少期から波瀾万丈の生涯を経て死ぬまでの一代記なんだが、実はすごく短いんだよね。紙芝居みたいにバタバタと話が進んであっというまに終わってしまう。(それでいて大河ドラマを読んだような気にさせるのが賢治のすごいところ) それをそのまま映画化したら尺が足りないから『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』を取り込んだということなんだろうが、あいにくこのまったく違う二つの世界が融合していないばかりか、なんの関連も見えないから、見た人は「なんでこうなるの?」と混乱するはず。
いちおう出だしの筋書きこそいっしょだが、基本的にまったく違う二つの物語(『グスコーブドリ』はシリアスで深刻なのに『ペンネン』のほうはわりとユーモラスなファンタジー)をこういうふうにいっしょにしたのはまずかった。実際、レビューとか見ると惨憺たる悪評なんだが、やっぱり原作との違いに失望した人が多かったようだ。有名作品を下手にいじるのはよほどの天才じゃないと無理だってば。

二つの異世界の境界を越えるというのは『ペンネン』に出てくる概念だが、「ばけもの」世界に属する人さらいがなぜか唐突にネリをさらっていくし、ブドリはばけもののイーハトーブを夢に見るほか、これも夢なのか、『ペンネン』の世界法廷に被告として立たされる。(原作では主人公が裁判長)

ところでこの人さらいは風の又三郎か? と思うのはこいつが登場するたびに強風が吹いて、マントをはためかせて空を飛ぶからなんだが。もしかして本当にそうかも。
それはともかく「おお、ホイホイ、おお、ホイホイ」というかけ声もなんかマヌケだ。賢治はこの手のかけ声や擬音語がすごくうまい、というのもますむらひろし論に書くつもりなんだが、それを声に出して言ってしまうとマヌケに聞こえるんだなというのがよくわかった。
ちなみに山師の農夫はヒデヨシ(ますむらひろしの『アタゴオル物語』の主人公)でした。こっちはすごくわかる(笑)。

次に文句を付けるのはもう言うまでもなく定番となっている声優のひどさ。プロの声優を使った『銀河鉄道』は何も問題なかったのに、またもやアイドル(?)を主役に据えてコケやがった! なんで最近のアニメってこうなの? 宮崎駿がやってるからこれが正しいとでも思ってるの?
ブドリ=小栗旬ネリ=忽那汐里という配役なんだが、まさにいい勝負っていうか、甲乙付けがたいまでにひどい。

これは声優のせいじゃないが、ブドリのほうは何を言われても「はい‥‥」(‥‥は微妙な間があるという意味)ばかり言ってるのがすごーく気になる。いったいこの人、この映画の中で何度「はい‥‥」を言ったんだろう。実はブドリだけじゃなく、周囲の人物もみんな何か言われるたびに「はい‥‥」なんだが、小栗旬は気の抜けた棒読みなだけに気になって仕方がなく、「ほら、また言うぞ」と思ってると、必ず「はい‥‥」が出るのでずっこけた。
普通、映画で何か命じられたら黙ってやるか、あるいは「はい、わかりました」とかなんか付け加えるでしょ。実生活でも「はい‥‥」と言って棒立ちしてたら殴られるでしょ。まったく意味のない無駄なセリフだし、これは脚本のアラだなあ。ていうか、この脚本家って本当にプロかよ?と思って見たら、脚本は監督の杉井ギサブローでした。ダメダメじゃん!

ネリはもともとセリフもほとんどないし、このアニメでは幼い頃にさらわれたきり行方不明になるので出番も少ないから、そこらのお嬢ちゃんでもできるかと思ったが、やっぱり無理でした。
笑うときは「アハハハハ」と読み上げてるみたいな笑い方だし、泣き声も「エーンエーン」。それもまったく感情がこもらないだけならまだしも、なんかピッチの狂ったレコードみたいな笑い方泣き方で、聞いてるとこちらの精神が不安定になる。怖いよ! なるほど、訓練受けてない素人は笑うことすらできないのかと痛感しました。

それにくらべ、絵は確かに美しい。飢饉になる前の山の風景も、山を下りたブドリが見る段々畑も、火山や溶岩もきれいだったが、とりわけスチームパンクのイーハトーブの書き込みはすごい。いや、蒸気は出てないから正確にはスチームじゃないみたいだが。
そういや、人のリビューを読むとこの景色を「未来都市」と思ってる人が多くて笑った。いや、未来じゃなくて過去なんですが。(スチームパンクは19世紀イギリスをイメージしたSFのこと)
とりあえず、賢治のイーハトーブも東北とヨーロッパが入り交じった不思議な世界だし、こういう解釈はあり。私は『銀河鉄道』の町がなんかしょぼいと思ってたのでこれには感動した。まあ、デザイン的にはさんざん見てきたもので、オリジナリティはゼロですけどね。
こういうシーンはCGを多用しているんだが、問題はCGと手書きの部分が合ってなくて浮いてること。まだCGアニメの過渡期だったのかな?

masumura-hiroshi28でも最大の欠点はラスト。原作ではイーハトーブを再び大規模な冷害と飢饉が襲うことがわかり、自分やネリのような子供を二度と出さないために、ブドリは我が身を犠牲にして火山に人口噴火を起こして(二酸化炭素による温室効果で)町を救う。
ここは原作ではやはり淡々と描かれているが、いかにも大作映画にふさわしいドラマチックな山場で、映画なら最後の30分を使ってたんねんに描くべき最大のクライマックス

それを丸ごとカットしちゃった‥‥と言って『君の名は。』を責めたばかりなのに、これもそうなのかよ! もしかしてこういうのって日本アニメの伝統なの??? いや、『君の名は。』は途中まででも描いただけまだまし。こちらは始まる前に終わってた。原作を読んでない人には何が起こったのかも、ブドリが死んだのかも、町が救われたのかもわからない。

というわけで、ブドリが自己犠牲を決心した瞬間、また例の人さらいがどこからともなく現れて、ブドリを火山の火口に連れて行ってくれたらしい。らしいというのは、そういう場面が何も描かれていないからで、火口が見えて真っ白にピカッと光ったかと思うと、いきなり宇宙から見た地球の画面になり、小田和正の感傷的な歌が流れてThe Endだからだ。何これ‥‥‥‥

噂によると大震災に配慮してカットしたという話もあるらしいが、自粛なら当分テレビ放映はしないとか、テレビではラストシーンはカットするとかで十分じゃない。震災が起きたからといって劇場版のクライマックスを丸ごとカットするなんてありえない。日本みたいな地震あり噴火あり台風津波ありの天災国でいちいち配慮してたら何も描けないし、そもそも恐ろしい現実をなかったことにして口をぬぐってるみたいな態度が気に食わない

私だったらこうするね。21世紀の東北では賢治の時代みたいな飢饉を恐れる必要はなくなったが、反面、東日本大震災みたいな天災は避けられないわけで、実際岩手(現実世界のイーハトーブ)は大変な被害を出したし、当然その影には多くの悲劇や尊い自己犠牲の物語もあったはずで、それをちらっと見せるなり、ほのめかすなりするだけで、物語と現実、賢治の時代と現代の橋渡しができただろう。『銀河鉄道の夜』でカンパネルラの殉死をキリストにたとえたりするより(私がストーリー的には『銀河鉄道の夜』をあまり評価してないと言ったのはそのへん)、こっちのほうがよっぽど気が利いてるし、何より大震災の犠牲者に対する追悼になると思うよ。

それと、最初と最後の二回も『雨ニモマケズ』の朗読が入るのもわざとらしいしすごくダサい。そりゃ大多数の日本人にとって宮沢賢治と言えば『雨ニモマケズ』だけどさ、それにあれも飢饉やなんかをうたってるけどさ、いかにも取って付けたようでいらなすぎる。ていうか一度で十分。

というわけで、映像的には見るべきものもたくさんあったので、あとはまともな脚本と監督と声優と音楽があれば大傑作になったかもしれないのに、結果としてすごく残念な出来になってしまった映画だった。

しかしアニメの影響力というのはすごいもので、Googleで資料を集めていたら欧米でもかなり注目されてたみたいで、どっちの映画も英語資料がかなり豊富。ということは、外人にとっては宮沢賢治のイメージはこの2本の映画で決定されちゃうんだろうなあ。これはかなりくやしい。せめてますむらひろしのマンガが普及してほしいが、もう遅いというか、ああいうアートっぽいマンガは欧米じゃ受けないうえに、マンガとアニメとじゃ影響力が段違いなんだよね。
他に賢治原作の世界的に有名な映画って思いつかないし、この微妙な出来のアニメ2本が宮沢賢治の代表作になるというのはあまりにも残念です。芥川は『羅生門』があるだけで永遠に世界中の人の心に残るというのにねえ。この違いは大きすぎる。

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