【映画評】山岳遭難映画二本立て 森谷司郎『八甲田山』(1977)

本人は山なんか死んでもお断りのくせに、実は山岳小説や映画や漫画が大好きな私が改めて見た『八甲田山』評。

私個人は死んでもいやだし、どんな大金積まれたって行きたくないような場所に、自分から進んで行って悲惨な運命に見舞われる人々を、安全な暖かい部屋で見ているのは実に楽しい。

CGもない、撮影機材も現代にくらべるとお粗末な時代に、これをどうやって撮ったのかと思うほどの、過酷であったことが容易に想像できる現地ロケ撮影(実際に冬の八甲田山に乗り込んで撮った)は圧巻の一言。(中略) いつも空気が本物かどうかを気にしている私には、「映画には空気が映る」という制作の野村芳太郎の言葉は事実であるばかりか至言である。

というわけで、平昌五輪も近いし、巨大寒波襲来だというし、山の実録遭難映画2本を見てみました。
って、あまりに唐突すぎるんでちょっと解説。

ここに書いたように、私の父はスポーツマンだったので、幼い頃から虚弱体質の運動音痴で、今や完全インドア派の私も、一通りのスポーツはやらされた経験がある。それで今思うと信じられないことだが、ちゃーんと山にも登ったことがあるのだ。いや、小さい弟もいっしょだったから、登山なんてものじゃなく、ちょっとしたハイキングだったんだろうが。
どこへ行ったのかすら覚えてないが、おそらく父の本拠地だった白馬岳に違いないし、巨大な雪渓が印象的だったということだけは覚えているんで、いま調べたら、白馬の大雪渓は日本一なんだそうで、これに間違いない。Wikipediaには「登山口の猿倉から大雪渓までは白馬大雪渓遊歩道になっており約1時間半で到着するため大雪渓ケルンまでは手軽にハイキングが楽しめる」と書いてあるから、家族連れには好適なんだろうな。「手軽なハイキングコース」は虚弱児童の私にとっては死の行軍だったということを別にすれば。(父のことだから、本格的な登山コースと書いてある上のほうまで上がった可能性もないではない)
確かに景色はすばらしかった。でもこれ以降、二度と山へ行こうとは思わなくなったというのもスキーのときと同じ。ていうか、歩いている最中も「なんでこんな思いをしてまで山なんかに登らなくちゃならないのか‥‥」とずーっと恨んでたし、山なんか好きこのんで登るやつは頭おかしいと思ってた。どっちの映画にも、つらさに耐えかねて妄想に走る人が出てくるが、あの時の私もこんな感じ。
というか、私が読んだたいていの山岳小説や漫画の主人公も、だいたい登ってるときは同じことを考えているのがおもしろい。要するに、違いはそれで「登山なんてやーめた」となるか、「登らねば!」となるかの違いなんだな。〈他にも違いはいっぱいあると思うが〉

でも山のノンフィクションや映画は大好き。それも特に、山で悲惨な事故に遭ったり遭難したりする話が。ヤマケイ文庫に入ってるみたいなの。
これは冬季オリンピック(屋外競技のみ)を見るのが好きなのと似ている。ソチの記事でも「雪や氷も暖かい部屋の中で見ているぶんには真っ白でとてもきれいだし(中略)派手な転倒シーンがいっぱい見られるから」なんて書いてるし。
海で遭難して飢え死にしかけて仲間を食うような海洋冒険もの(『ライフ・オブ・パイ』で書いたように、こういう事件が現実にいっぱいあるんだ)や砂漠を水なしで放浪するような探検記が好きなのもそのせいだな。
そう、私個人は死んでもいやだし、どんな大金積まれたって行きたくないような場所に、自分から進んで行って悲惨な運命に見舞われる人々を、安全な暖かい部屋で見ているのは実に楽しい。あと、私は極限状況に置かれた人の話が好きなので、その意味でも楽しい。

と言うと、なまじ実話で人が実際に死んでるだけに人非人のように聞こえるかもしれないが(それもあえて否定しないが)、登山とか秘境探検みたいなエクストリームスポーツを好んでやる人ってそれも計画のうち、っていうか、そこまで織り込み済みでないとできないことでしょう? 『八甲田山』の兵隊さんたちは命令に従っただけで、好きでやってたわけじゃないからかわいそうだけどね。
私から見ると、8000m級の山なんて登るやつは単なる自殺志願者だ。それで、死後あれこれ言われたり、本に書かれたり、映画や小説にされたり、下手すると死体の写真をさらされたりしたくない人は、エベレストじゃなくて樹海に行く。(その程度のプライバシーもローガン・ポールのおかげで守れなくなったけど)
と思うぐらい、山岳ものは(実録もフィクションも)主人公が悲惨な死に方をして終わるものが多い。というか、「無事に下山して老後も幸せに暮らしました」で終わる山岳ものって記憶にない。あと、主人公は美化されてることが多いが、周辺人物は嫌なやつばっかりというのも、山岳ものの特徴のように思う。それもスポーツマンには性格歪んだやつが多いし、あと極限状況では人間の本性があらわになるものだというのを実際に見ているから当然のように思うけど。
あと雪景色や寒いところが好きなので、夏には納涼になるし、冬は冬で暖かい部屋でぬくぬくしていられることの喜びを、しみじみ噛みしめられるしね。

そこでまずは『八甲田山』だが、こっちは有名な映画だからもちろん知ってるし、間違いなく一回は見てるんだが、リビューも書いてないし、もう昔のこと過ぎて話もすべて忘れてしまったので、ぜひまた見たいと思っていた。でもそういうのに限ってなかなかテレビ放映がなくて(というか、たまたま私が気付かなくて)、今頃になってしまった。

(映画じゃなくて現実の)話をかいつまんで言うと、日露戦争前の明治35年1月、青森と弘前の連隊が、偶然同時期に、冬の八甲田山で雪中行軍の訓練をしようと思い立つ。でも訓練内容はだいぶ違って、弘前の方は全長224km、11泊12日の大がかりな訓練。その代わりメンバーは少数精鋭で、事前の研究も準備も怠りなく、地元の木こりや猟師の意見も入れて、原住民のガイド付き。
一方の青森は全長20km、1泊2日の短距離で、目的地は田代温泉だし「一風呂浴びてくっかー」という遠足感覚。だからたいした準備もなく、ガイドも断り、ソリを含む210人の大所帯。関係ない将官も随行していた。

それで当時は歴史に残る大寒波が八甲田山を襲い、青森隊は210名中199名が死亡というあり得ないほど悲惨な結果に終わったのに、弘前隊は38名全員が無事生還したというお話。
なにしろ(古代とかはいざ知らず)歴史上最大の山岳遭難事故で、これだけでも十分劇的でドラマチックな話なので、あとは事実を追っていくだけでも十分すばらしい映画になったはず。ただ、この映画は新田次郎の『八甲田山死の彷徨』という小説を原作としていて、史実とはかなり違う。(当然映画だから小説とも違うはずだが、小説の方は読んでない)

史実との最大の違いは、現実には相手が同じ日に訓練することも知らなかった青森と弘前の連隊が、旅団長(島田正吾)と参謀長(大滝秀治)の命令で、競わされる形で訓練に参加したことになっていること。
それぞれの連隊指揮官であり、この映画の主人公でもある神田大尉(北大路欣也)と徳島大尉(高倉健)も顔見知りの友人同士。二人は別々のルートをたどるが、八甲田山で会うことを約束して別れる。

そこで映画の感想だが、私がいちばん期待していた部分――雪中行軍の過酷さと犠牲者の悲惨さ――はきっちり描かれていたので、とりあえず満足。特に、CGもない、撮影機材も現代にくらべるとお粗末な時代に、これをどうやって撮ったのかと思うほどの、過酷さが容易に想像できるオール現地ロケ撮影(実際に冬の八甲田山に乗り込んで撮った)は圧巻の一言。1990年の黒澤明の『夢』の遭難シーン(スタジオ撮り)があまりにも安っぽくてヘボかったのでよけいそう思う。
いつも空気が本物かどうかを気にしている私には、「映画には空気が映る」という制作の野村芳太郎の言葉は事実であるばかりか至言である。

立ったまま凍死しているのを発見された兵隊さんたち。この写真は(たぶん)現実の現場写真だが、映画でもそっくりなシーンがあった。ちょうど皇帝ペンギンのハドルのように、ひとかたまりになって立っているのだが、外側の人からばたばた倒れて死んでいくのがショッキングだった。

あえて難を言えば、全員雪と氷にまみれて、顔を厚く覆っているおかげで、行軍が始まってしまうと誰が誰やら見分けが付かないのがもったいない。この人たちひとりひとりの「顔が見える」映画(個人のバックストーリーをちゃんと描写するということ)だったら、その死もより悲劇性が高まるんだが、数人ならともかく、200人超ではそれも不可能。
というわけで、もちろん数名の主要人物は行軍開始前の生い立ちっぽいものも語られるんだが、片っ端からパタパタ倒れていくものだから、もう誰が誰やらわからなくなってくる。
例によってのオールスター映画だから、主役級以外にも有名俳優が大勢出ているのだが、ほとんどが「そんな人出てたっけ?」という感じ。
青森隊だけでも大所帯なのに、それと弘前隊の話がたびたび切り替わるのも(どっちがどっちかの見分けはつくとはいえ)頭が混乱する。

この手のノンフィクション文学は山ほど読んでいるから、史実通りじゃないのはよく知ってるし気にならない。だけど映画の失敗は小説を原作としたところにある。
弘前隊はなにしろ無事生還したんだから、エピソードやドラマ性に乏しい。ところが、こっちを主演の高倉健にしてしまったから、当然高倉健を映している時間が長くて、かんじんの青森隊の悲劇を描く時間が減ってしまった。小説はわかるんだよ。小説にするにはある程度尺を稼がないとならないから、本来関係ない八戸隊を対照として置くのはうまい手だ。ところが小説とくらべ時間の制限のある映画で、両方を一度に描こうとするからピントがぼやけてしまう

同様に、これだけ対照的な部隊だったんだから、そこの対比をもっとはっきり描くべきだった。つまりなんで青森隊はほぼ全滅し、弘前隊は助かったのかというあたり。
そこのところはいろいろな研究によって明らかになっている。準備や装備の不備、指揮系統の混乱、そもそも冬山についての知識不足等々。青森隊のわずかな生き残りも、普段は猟師だったり炭焼きだったりする地元民だけで、山の怖さを知っていたからみたい。
これは今回初めて知ったのだが、八甲田山というとこの事件の印象が強すぎるので、私はものすごい難所なんだと思っていた。ところが、Googleマップで見るとわりとなだらかな山なんだよね。実際、死の彷徨と言っても、平坦なところ(しかも人里のすぐ近く)を迷ってぐるぐる回っていただけみたいだし。
そういう、普段はおとなしくても、いったん牙を剥いた自然の前での人間の圧倒的な無力さみたいなものがきっちり描けていれば、これは稀代の傑作になっただろうに、ちょっとそこまでは手が回らなかった感じ。

映画ではだいたいが三國連太郎のせい(笑)ということになってるみたいで(これはもちろん史実と違う)、単なる随行員で本来指揮権のない三國が、勝手な命令を連発したせいで混乱したみたいになっている。実際そういう指揮系統の混乱はあったみたいだけど、本来の責任者は北大路欣也のほうだよね。彼を悪者にしないための策としか。
映画の三國連太郎は救出後、責任を取って病院で自殺する。このモデルの将校は実際に死んだので、軍による謀殺説もあるようだが、事実ではないらしい。

あと、これは史実にはない映画だけ(原作も?)のオチとして、徳島大尉が八甲田山で神田大尉の死体を発見して涙の再会を果たし、幻覚(?)の中で言葉を交わすのだが、戻ってみると、神田の死体はその時にはとっくに収容済みだったことを知る。というオカルトっぽいエピソードが加わっている。
私はどっちも漫画版しか読んでないのだが、同じ新田次郎の『孤高の人』でも、夢枕獏の『神々の山嶺』でも、クライマックスで主人公が死んだ仲間と幻覚の中で会話するシーンがあったように思うので、どうも日本の山岳ものでは死者との会話はお約束らしい。もちろんこういう状況で幻覚を見るのは普通のことで、そういうことがあってもおかしくはないが、私はいらんと思うけどね。
それより、事実を丹念に描いた『八甲田山』が見たいと思ってしまった。ドキュメンタリー映画も何本か作られているようなので、そっちのほうがおもしろそう。

それ以外については、あー、典型的な昔の日本映画って感じかなー。どういうのかというと、やたらだらだらと長くて暗い。役者がつねに絶叫口調でしゃべるんだけど、滑舌が悪くて何を言ってるのかよくわからないというのが、私の持つ日本映画の印象。(もちろん黒澤明は「日本映画」の範疇には入ってない。ただセリフの聞き取りにくさは黒澤も同じで、私は機材のせいかと思っていたが、やっぱり日本人俳優の癖なんだな)
これは兵隊さんの映画だから叫ぶのは当然なんだが、やっぱりこの絶叫と棒を呑んだような堅苦しい演技のせいでまったく親近感がわかない。

高倉健はあの面構えだから役者には向いてるとは思うが、いつも無表情で偉そうな感じが昔から好きじゃない。丹波哲郎も同じ意味で嫌い。そこらが(顔の良さも違いすぎるが)ユーモアがあって人間味あふれる三船敏郎との大きな違い。こうやってくらべてみると、やっぱり三船も日本人とは思えないなあ。
北大路欣也も当時の大スターだが、この手の下ぶくれ顔がどうにも苦手(同じ理由で石原裕次郎もどこが美男なんだかさっぱりわからなかった)な私にはきつい。大滝秀治も顔がすごい嫌い。〈もう批評でも何でもなくなってる!〉
あと印象に残ったのは生き残った緒形拳ぐらいで、加山雄三なんかも「そういえばいたなあ」というレベルで何の役だったかと言われても思い出せない。

というわけで、悪くはないんだが、事実の圧倒的重みにくらべると、ちょっと物足りない感じだった。

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