【映画評】ジャマン・ウィナンス『インク』 (2009) Ink

これは『ザ・セル』を見て、その「ドリームスケープ」が不満だったので、何か夢に関した映画が見たくて見たもの。

『インク』あらすじ

映画は裕福そうなビジネスマン、ジョン(Christopher Soren Kelly)が車を運転していて赤信号を無視したトラックに突っ込まれるところから始まる。何者かが車内で失神しているジョンの額に触れると、ここからジョンの夢になり、娘のエマ(Quinn Hunchar)と戯れているシーンになる。(夢だということはわかりやすく周辺がぼかしてあるのでわかる)

少し見ているとわかってくるのだが、この世界には、このように眠っている人に触れることで楽しい夢をもたらすストーリーテラーと呼ばれる人々と、逆に悪夢をもたらすインキュバスと呼ばれる人々が存在する。さらに、そのどちらにも属さず世界の間をさまよっているドリフターという存在もいる。彼らは現実世界の好きな場所・好きな時代に出入りできるが、現実世界の人間には彼らは見えず、触れることもできない。

ドリフターのインクはある晩、エマを寝室から誘拐する。それを知っていたらしいストーリーテラーの一団がインクを阻もうとするが失敗する。インクはインキュバスの仲間に入れてもらうための「捧げ物」としてエマを誘拐したのだが、世界から世界へと移動するのに使う太鼓が壊れてしまい、コードを手に入れろと言われる。

現実世界のエマは昏睡状態に陥り、病院に収容されるが、大事なビジネス・ミーティングを控えていたジョンは、舅のロン(Steef Sealy)の懇願にもかかわらず見舞いに行こうとしない。実はジョンは妻を事故で亡くしたとき、家庭を顧みなかったこととドラッグとアルコールの問題を理由に、エマの養育権を義父母に取られ、それを恨んでいたのだ。

エマを奪われたストーリーテラーたち、アレル(Jennifer Batter)、ゲイブ(Eme Ikwuakor)、サラ(Shelby Malone)の3人はパスファインダー(案内人)である盲目のジェイコブ(Jeremy Make)とともに、現実世界でエマを守ろうとする。その一方、もうひとりのストーリーテラー、リーヴ(Jessica Duffy)はインクのところへ行って、エマの身代わりとなるので、彼女の命は助けて欲しいと頼む。エマとリーヴを連れたインクはコードを求めて他の二人のドリフターのところへ行くが、その旅の間にリーヴは少しずつ頑ななインクの心を懐柔しようとする。

クライマックスは現実と夢の世界が同時進行する。アレルたちは間接的に事故を引き起こしてジョンをエマと同じ病院に入院させ、訪れたインキュバスと戦う。リーヴはインキュバスの親玉に殺されるが、現実のジョンがエマのところへ行くと、インクはすべてを思い出す。

彼は現実世界でエマを見舞いに行かなかったジョンだった。おかげでビジネスは成功するが、エマは彼に会うことなく息を引き取る。
さらに彼がどうしてこうなったかの前半生も描かれる。貧しい生活保護世帯に生まれ、他人に軽蔑されて育ったジョンは、金儲けだけが生きがいだった。妻のシェリー(Shannan Steele)と出会って結婚したものの、やがて仕事に追われて妻子をないがしろにするようになる。そのあげくに妻と子の両方を失って、罪悪感と後悔から酒に溺れ、最後は拳銃自殺をはかり、醜い姿でドリフターとなってさまよっていたのだ。
そしてジョンは夢の世界でエマを守ってインキュバスと戦い、その戦いに勝ってエマを取り戻す。

『インク』のだめなところ

う~ん‥‥いろいろと残念というのが率直な感想。最初のあたりの非常に「前衛的な」感じ(いろんな人の夢と悪夢が混じり合う)からして、もっととんがった幻想的な映画かと思っていたら、わりと当たり前なファミリー向けファンタジーだったな。
何より私としては夢のシーンがほとんどなく、現実中心の話なのががっかり。ここで夢って言ってるのは、ほとんどがただの回想シーンだし。楽しい思い出がいい夢で、いやな思い出が悪夢っていうだけ。

これは「リプレイもの」と言われるタイプのファンタジー。つまり、人生に悔いを残して死んだ男が、もう一度やり直すチャンスを与えられるというやつ。ただ、話の焦点であるジョンの物語があまりにも月並みで今さらな感じ。貧乏な少年時代を苦にして拝金主義に走る男とか、仕事にかまけて妻子をないがしろにする男とか、そこまで重大な問題? もちろん彼にとっては重大なのはわかるけど。

ストーリーテラーとインキュバスの目的もよくわからない。要するに類型的な天使と悪魔から抜け切れてなくて、夢である必要がないし。ドリフターの存在も謎だし、パスファインダーはもっと謎。これはファンタジーとしては「世界観ができていない」という致命的な欠陥。
エマを手に入れるとインキュバスにどういうメリットがあるのかもわからない。インクも劇中で言ってるように「何億人といる子供のひとりに過ぎない」よね。

もちろん父親であるジョンにとってはかけがえのない子供なわけで、こういうときはファンタジーの文法から言うと、ストーリーテラーやインキュバスの存在する不可解な世界で、何も知らない特別な力もない父親が孤軍奮闘する(それで少しだけ手助けしてもらったり、邪魔されたりする)のが普通だと思う。なのにジョンがやったこと、というか、無理やりやらされたことは病院のエマを見舞いに行くことだけ。ぜんぜん贖罪にもなってない。逆に見ず知らずの子供のために命を投げ出すストーリーテラーさんたち本当に天使。
いっそ、エマの運命に世界の存続がかかっているという壮大な話にしちゃう手もあるね。私はそういう安易なの嫌いだけど。とにかくさらわれた子供を救うために、父親が異世界で戦うというのは、ファンタジーではあまりに使い古されたプロット(だし、もちろん傑作も多数存在する)なんで点が辛くなる。

『インク』のいいところ

いいところはズバリ、役者がひとり残らずみんなすばらしい。あらすじにていねいに役者名を付けたのはそのせい。と同時に、おそらくこの人たちもう二度と見ることはないから、あくまで記念にと思って。
というのも、見終わってすぐ、いつものように資料を集めようと検索をかけたんだが、この映画日本では未公開で、ビデオ発売もないため、日本語資料は皆無。つまりAmazon限定公開って奴だったのね。
最大のデータベースであるIMDbでも、監督も役者も全員、フィルモグラフィー以外なんの資料もない、多くは写真もないような人たちばかり。映画1本で消えたような人ならともかく、みんなけっこう映画に出てるのにね。つまりアメリカでも超無名俳優しか出てない、超無名作品なのである。(国籍すら書いてないが、みんなアメリカ人だと思う)
私はイギリス映画を中心にけっこうドマイナーな映画も見てるけど、ここまでマイナーなのはめったにない。それでそんなに無名俳優ばかりとは思えないほど役者は全員いい。私流に言わせてもらえば、アメリカ人俳優はこの手の人たちしかまともに見られるのがいないんだが、その証明だね。

クリストファー・ソレン・ケリーと娘役のクイン・ハンチャー

流れで役者の話に行ってしまうと、まず主演のクリストファー・ソレン・ケリーはご覧の通りのハンサムガイ。あごが貧弱なところと鼻がでかいのが弱点だが、それ以外は申し分ないし、何より演技力は文句ない。ちょっとレイフ・ファインズに似ている。
エマ役のクイン・ハンチャーもご覧の通りの美少女。このぐらいの年の子は金髪が多いとはいえ、ここまで見事なプラチナブロンドの子はめったにいない。しかもこの子が芝居がクソうまい。私の好みから言うと演技しすぎで子供らしさがないと思うぐらい達者。彼女の写真は16歳ぐらいになったのを見たが、かわいらしさはそのままだけど、おかげでなんかいかにも野暮ったい、垢抜けない女の子になった。やはりこの時代のかわいらしさってのは子供特有のものなんだな。

ジェシカ・ダフィとインク(鼻だけ)

(たぶん)ヒロインのリーヴを演じたジェシカ・ダフィは、目を引くような美人というのとは違うが、舞台女優によくいる、キリッとした古典的風貌の、上品な女性。

ジェニファー・バター

でも私のいちばんのお気に入りは、女戦士アレルを演じたジェニファー・バター。なぜかこういうワイルドなタイプってあまりいないけど、戦うヒロインはこうじゃなくちゃ。だいたいヒロインが二人もいると、片っぽは手抜きになるものだが、この映画はタイプの違うヒロインを二人揃えて、どっちも魅力的なので、なんかすごく儲けた感じがした。

ゲイブとサラ

彼女の仲間のゲイブ(Eme Ikwuakor 読めません)はすごく整った顔立ちの長身のかっこいい黒人だし、サラ(シェルビー・マローン)は人間離れした大きな瞳が特徴の金髪美女。

ジェイコブとアレル

パスファインダーのジェイコブ(ジェレミー・メイク)はなぜか目の上にダクトテープをバッテンに貼っている(盲目であることを示すわかりやすすぎる表現)ので最後まで顔は見えないんだが、このフード! この長身!だけでうるうるしてしまうぐらい好き。(『アサシンズ・クリード』を見て以来フードの男に弱い)
この人はかっこいい役というより変人枠で、いつも1から4まで数えていたり、つまずいて転ぶと「地面さん、こんにちは。ご機嫌いかが」と地面に話しかけたりする変な奴で、そこもすごい好き。目が見えないぶん、聴力が発達しているというもっともらしい説明が付いていたが、だからなんなのかよくわからんキャラ。案内人という名前はついているが、別に案内してくれるわけでもなく、唯一仕事らしい仕事をしたのは増援を呼んだときだけ。

それ以外もジョンの義父母を演じた老人たちにしろ、ドリフターを演じた(こちらも男女の)変人たちにしろ、みんな実に適役でしかもいい。私がアメリカ映画を嫌いな一因は役者の顔が見るに堪えないからなのに、こんな人たちもいるんじゃないか!

節約術がすごい

インキュバスたち

あとはなんだ? ちょっとおもしろいと思ったのは、インキュバスの造形。っていうか、顔の前に透明なパネルをくっつけただけの人たちですが。そのパネルに素顔がモノクロで写っている。どうってことないんだけど、これがなんかすごい不気味でムカつく
ちなみにこのパネルを取ると下にはみんなメガネをしているのだが、そのメガネが白く光って不気味(トップのポスター参照)なのは黒澤明からのパクリ
これに対してストーリーテラーの方は、ほぼ素顔に普段着で一般人と見分けが付かない。もちろん衣装なんか役者の自前だろう。
この人たち全員、明らかに人間じゃないのに人間のように見えるのは、もう予算の限界なんで許してあげてください。

最もお金をかけたと思えるインクも、ボロボロのマントに巨大な(巨大すぎる)付け鼻というだけ。おかげで正体はジョンだということがすぐにばれてしまう(苦笑)。だいたい拳銃自殺したから傷で醜くなったというのだが、なんで銃で撃つと鼻がでかくなるのか?

とにかくまるっきりお金がなかったことがよくわかる作りで、異世界なんかもちろん作れないから光学処理ですべてごまかす
悪夢の世界は緑色、良夢の世界はセピア色、さらに、現実世界に入り込んだ異世界住民の見た世界は青い色がついているので一目でわかるのはかえって親切かも。
インキュバスの世界は上の右側の写真の通り、四角いビニールをつなげて壁をおおっただけ。ここまで行くとかわいそうになってくるね。一方インキュバスの親玉は白目の色が変わるだけなのに、それだけで十分不気味に見えるのはうまいと思った。なんか『彼岸島』(漫画)の雅様に似ているが(笑)。
だから、お金がないなりにがんばってはいるんだが、今どきのファンタジーはCGなしなんて考えられないのに、それをすべて手作りでなんとかしようというのはむずかしい。

アクションシーンってなんでいるの?

なのにまるでそれが決まりみたいに15分置きにアクションシーン(ストーリーテラーとインキュバスの格闘シーン)が入るのはなんでなの? 夢の世界の話なのに、なんでゲンコツで解決しようとするの?(笑) どう考えても作り手がやってみたかったからとしか思えず、当然ながら「プロ」のスタントマンがやるのとは比べ物にならないので、なんかすごい子供っぽく感じるんだけど。

そんなのいいからドラマ部分をちゃんと撮りなさいよ。そっちは(役者の力もあって)けっこう悪くないんだから。特にオープニングの娘とたわむれるジョンのシークエンスは感動したけどな。
想像力が旺盛なエマが怪物にさらわれたという設定で「パパ、助けて!」と騒いでいるのに、朴念仁のジョンは完全に引いた様子で「パパはそういうのはしないんだよ。ママに遊んでもらいなさい」と言ってるんだけど(もうこの時点で「なんだ、こいつ?」って感じで、人の悪さが良く出ている)、エマがあきらめないので、もうしょうがないって感じのヤケクソで、棒きれを剣に見立てて振り回しながら、彼女を助けに見えない敵に向かって飛び込んでいくところには、笑うと同時にホロッとした。
もちろん後の展開を踏まえた寸劇なんだけど、それを知る前からけっこう感動した。だからラストはやっぱりこれを踏まえたセリフを入れるべきでしょう? 月並みだけど泣かせる「きっと助けに来てくれると思ってたよ、パパ」みたいな。
他にもいくらも泣かせる要素はあるのに、その代わりに幼稚っぽいアクションシーンを入れるなんてバカだよ。

何度も言うが、役者がいいからまだましだけど、これで役者がダイコンだったら、本当に高校の映研レベルの映画にしか見えないし、未公開なのも無名なのも当然だなと思う。ありふれてはいるが悪い話じゃないので、せめて最低限のCGと特殊メイクが使えれば、もう少し見られる作品になっただろうに、学生レベルでいいからできるやつは身近にいなかったのかとは思う。

 

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