★★【動物・テレビ評】動物特集1 テレビの動物番組について

BBC『ウォーキングwithダイナソー』のTレックス

私は動物と外国と自然と外国の動物と自然が好きなので、テレビの自然ドキュメンタリーのたぐいが大好きである。特にその草分けであるBBCの自然シリーズはすべてディスクで持っている。だからテレビを買い換えたとき、いちばん期待していたのは、CSのアニマル・プラネットディスカバリー・チャンネルである。あの手の番組が24時間ノンストップで見られるって至福の境地だと思ったんで。
これがBBCとか英国系ならもっと良かったんだけど、英国からも買い付けてるようだし、いやしくもアメリカのテレビなんだから(NHKみたいに)つまらないはずはないと思って。(BBCの自然ドキュメンタリー ―― 特にデヴィッド・アッテンボローのやつ ―― がいかにすばらしいかはこことかここらへんに書いてます)

ただし、恐竜ものがダメなのは予想していた。

あのBBCの『ウォーキングwithダイナソー』(2013年のドラマじゃなくて、1999年のドキュメンタリーのほう)が大ヒットしたせいで(もちろん『ジュラシック・パーク』のせいもあるが)、当時、いろんなテレビ局が恐竜ドキュメンタリーを制作して、『WWD』に感動した私もその手のビデオを借りまくって見ていたんだが、「類似品」は全部だめだったから。

何がだめってCGがヘボすぎ。『WWD』は『ジュラシック・パーク』を上回るぐらいの出来(JP1の頃だが、今もたいして変わってない)だったのに、そういう番組(ほぼすべてアメリカ製)の恐竜は、なんか半分宙に浮いてて重量感がゼロだし、影の付き方がおかしかったり、質感とか肌の感じも作り物っぽかったりして、とても「ドキュメンタリー」とは言い難い、というのが理由。
デザイン面や学術面を言うと長くなるので省略。(学術的には『WWD』もけっこう突っ込まれましたがね。でも誰も見たことのある者はいないし、証拠もないんだから、あの恐竜の交尾方法とか産卵方法とかを嘘だと言い切ることもできない)
とにかくあれだけ金もあり技術もあるのに、アメリカの恐竜はダメだなあと思った。

それで私がアニマル・プラネットかディスカバリー・チャンネルか忘れたが、テレビを買い換えて最初に見た恐竜ものは、ティラノサウルスの噛む力を調べると言って、鉄骨でティラノの頭の原寸大模型を作り、それを油圧(かなんか。なにしろ昔に見たきりなので記憶があいまい)で動かして、噛む力を測るというものだった。
常識的に考えて、肉と骨と筋と歯でできてる生きものを鉄で作って、しかもそれを動力で動かして、生きてたころの動物の力を測ることなんかできるわけがない。仮に鉄筋に換算するとしたら、当然生身のティラノとは形も大きさも変わるはずだが、元のまま。ところが番組ではそれを大の大人が大まじめでやって、肉のかたまりを噛ませて「すげー!」とか言ってるので一気に冷めた
この番組は他にもいくつか見て、それぞれ恐竜の種類と能力は違うのだが、それをすべて機械で再現する「実験」で、それからもう恐竜ものはほとんど見てない。つい見ちゃったやつも未だに1999年の『WWD』よりCGがヘボかった。20世紀からは多少は進歩しているが、アングルは限られてるし、使い回しばっかりだし。

だからもう恐竜には期待しない。しかしいくらなんでも生きた本物の動物ならだめってことはないだろう。実際、YouTubeで見るハイライトはおもしろいし。
と思ったのだが、やっぱりここでもBBCとの差を見せつけられるだけだった。あそこにも書いたが、アッテンボローの番組は取材に何年もかけて、普通の番組ならゆうに1時間番組が作れるだけの内容の、ハイライトだけを数分にカットして見せる
だから見せ場の連続なわけだが、アメリカのはやはりかんじんの動物をなかなか見せず、撮影の苦労話とかつまんないどこかの教授の話とかをえんえん映すので飽きてしまう。
たとえば、捕食方法が特殊な動物を見せてくわしく解説しておきながら、その捕食場面がないとか、捕ったあと食べてるシーンしかないとか。もちろん決定的場面が撮れなかったのである。BBCなら必ず決定的シーン(だけ)を見せるので、こういうのはイライラがたまるだけ。

それでもありのままの自然の姿だけを映してくれるなら退屈でも我慢するんだが、やらせというか、ほとんどバラエティー・ショー並みの「演出」はやめてほしい。
もちろんBBCでも演出がまったくないとは言わない。たとえばライオンが座ってくつろいでるシーンから、狩りに出かけるシーンをつなげたとして、それが同じライオンの連続したシーンだとは誰も思わない。でも見るからにやらせをドキュメンタリーのように見せたりはしない。

たとえば、日本にはかつて最強の虫決定戦みたいな番組【注】があって、クモとかサソリとか強そうな虫を(どっちも虫じゃないけど)同じ容器に入れて戦わせるという番組があったのをYouTubeを見ていて知った。動物虐待だし悪趣味だし、ほんとひどい番組だとは思うんだが、プレデター好きの私はつい見てしまう。

【注】「世界最強虫王決定戦」でググるとYouTubeにたくさん出てきます。

なんかそれとよく似た趣向の、ただし、どこかのジャングルで実際に起きている虫同士の戦いを見せる(という設定の)番組がディスカバリー・チャンネルであったので、これなら良心の呵責を覚えずに楽しめると思って喜んで見た。
ところがこれがとんだやらせ。自然界ではまず出会いそうにない動物同士を、まるで実際にあったことのようにして戦わせてるとしか思えない。

たとえば、ハキリアリの巣がある枝が、たまたま風で折れてスズメバチの巣にぶつかって戦争になったっていうんだが、「たまたま」風で飛んで、「たまたま」スズメバチの巣にぶつかった枝を「たまたま」運良くカメラが撮影してたとでも言うんかい! おめーがもいでぶつけてるんじゃねーか! これならまだ、日本の最強の虫決定戦のほうが、誰が見ても無理やり戦わせていることがわかるぶんましだ。

この番組でもうひとつひどかったのは虫が鳴くこと。いや、もちろん鳴く虫もいるが、そうじゃなくて、鳴かない虫にもアフレコで鳴かせてるのだ。だからサソリが「キシャー!」とか言いながら襲いかかったり、アリが「キチキチキチ」と鳴きながら行進する。
実はBBCでも、さすがにアフレコはないが、動物の登場シーンにそれらしいBGMを付けるのは前から気になっていた。無音だとやっぱりテレビ的にはまずいのかね? でもBBCの場合はあくまでBGMで、カブトムシが「グワー!」と吠えたり、カマキリが「シャー!」と威嚇したりするようなアホなことはしない。

ただ肉食獣の吠え声に関してはBBCもやっぱりダメだなといつも思う。というのは、恐竜番組で恐竜が獲物を狩るとき、ゴジラみたいに吠えながら追いかけるからだ。
これはBBCに限らず、あらゆる恐竜番組がそうだが。(それだけ『ゴジラ』が偉大だったってことですかね)

想像してみてほしい。現生の動物で、狩りをするときガオガオ吠えながら獲物に襲いかかる動物がいるか? 大型肉食獣がケンカをするときは確かにすごい声で吠え合うが、あれは威嚇と牽制であり、むしろ対決を避けるためのもので、吠えてるときはふつう相手を襲わない。
オオカミだってトラだってワニだって、狩りの時は無言である。そんなことしてる暇に獲物に逃げられてしまう恐れがあるし、だいたい、逃げる相手によけいな位置情報を与えて逃げやすくしてやる必要はないからだ。
シャチなんかは集団で狩りをするし、普段はひっきりなしにキーキーカチカチ言って交信しているほどおしゃべりな生きものだが、いったん追跡モードになると群全員がピタリと口を閉ざす。なのになんで恐竜だけはガオガオいうんでしょうかねえ?

恐竜はともかく、どの動物番組を見てもなんか完全に子供向けというか、教育番組風のこういう番組で子供にそういう非科学的なことを覚えさせてはまずいから、やっぱり無教養でアホなアメリカ人向けの番組なんだろうな。
そう思ってみると、『アニマル・プラネット』も『ディスカバリー・チャンネル』も、その手の「教養の皮をかぶったバラエティー」ばっかりで(そういや日本にもそういうのいっぱいあるね。私は見ないから知らないけど)、いかにも知能の低い人向けに作られてるのがわかったので、もう見る気を失ってしまった。

ならペット番組はどうか? 犬猫ならやらせなんかしなくてもかわいいし、いいと思うじゃない?

シーザー・ミラン(よりによってかわいくない犬ばっか‥‥とか言っちゃいかんのか)

最初に見たのは有名な犬のトレーナー、シーザー・ミランの番組だ。『ザ・カリスマドッグトレーナー~犬の気持ちわかります~』(Dog Whisperer with Cesar Millan)(ディスカバリー・チャンネル)という、噛むなど問題行動のある犬を、シーザーが見事に更生させるというドキュメンタリー。
彼のトレーニング方法には賛否両論あるのはネットで見て知ってたが、その辺の興味もあって見た。でも1回だけ見て、「こりゃいかん」と思ったので見るのをやめた。

どういう回かというと、動物保護施設で、係員に対しては従順ないい犬なのに、里親候補の人たちには攻撃的でどうしてもなつかない犬が主人公。その犬をシーザーが引き取って観察したところ、原因が判明する。
この犬は愛玩犬向きではなく、働くことに生きがいを見いだす犬だったのだ。だから家庭用ペットを探しに来た人たちにはなつかなかったんだという。そこでこの犬を警察犬(だかなんだか)のトレーナーに渡したところ、生き生きと生まれ変わったようになる。

もちろんそういう性格の犬もいるだろう。だけどこの犬は、どういうわけか野良犬の時から自分の天職を知っていて、檻の向こうに現れた人間が自分をどういうふうに飼うつもりかも知っていたので、わざと嫌われるように振る舞ったというのだ! ありえねー! テレパシー犬かよ!
「いや、犬に接する態度で相手の人間のタイプがわかったのかもしれないじゃないか」と思うかもしれない。でも上の要約は、これでも私が筋が通るように「意訳」したもので、実際の番組とシーザーの説明は(見たのは昔だからディテールは忘れたが)もっと唐突な展開で、ほとんどオカルトだし、完全に犬を擬人化したものだった。
だいたい、仮に犬に人の内面まで一目で見抜く超能力があったとしても、それと自分の未来を結びつけて類推する能力なんかない。

これはあれだ。ペットを愛するあまり、動物を擬人化したり、不思議な超能力を持っていると信じる、一種の宗教かぶれの人。いくら犬の気持ちがわかっても、こういう非科学的なことを言う人も大嫌い。この1本を見ただけで、彼の番組はそれ以上見る気が失せた。

だからこれ以上の批判はできないが、ネットで垣間見たかぎり、その手のオカルト的精神論で犬のしつけをしている人みたいね。もちろんそれが犬のためになって結果としてうまく行くこともあるには違いない(し、それを見た飼い主は感動して信者になるだろうが)、それって信じれば癌も治るという新興宗教と同じ。中には癌が治る人もいるし、プラシーボ効果というものもあるから、成功例だけが喧伝されるみたいな。やっぱり私はこういう人には自分の犬は預けたくない。

シーザー・ミランと対になるのが猫専門のジャクソン・ギャラクシーで、『猫ヘルパー ~猫のしつけ教えます~』(My Cat from Hell)(アニマル・プラネット)のホスト。こっちはかなり気に入って全部見た。

どこが違うって、ジャクソンは宗教めいたたわごとを言わず、猫の習性や問題行動の対策についても、ごく具体的・科学的なことしか言わないからだ。
あと、貧相なメキシコ移民のシーザーと違って(あの英語を聞くのもかなり耐えられなかった)、ジャクソンは刺青だらけのスキンヘッドにひげもじゃの大男で、夜はバンドでベースを弾いているというのが気に入った。そのコワモテのルックスで、小さな猫をかわいがるギャップにも萌えるし。

ただ、猫は犬と違って本当の意味でしつけることはできないし、室内飼いがほとんどなので、ジャクソンができることは限られる。だいたいはトイレの改善とか、縄張りの確保とか、遊び場を作ってやるとかの、猫飼いなら誰でもしてるようなあたりまえのことで、たいしておもしろくないし、そもそも猫というのは知らないカメラマンの前に出てくるのを喜ばない動物だから、かんじんの猫もあまり見られない。

それよりこの番組の見所は飼い主の人間のほう。猫よりアメリカ人の生態を見て楽しむ番組と思った方がいい。
つまり、ジャクソンの目を通して依頼人とその家と暮らしぶりを眺める番組なのだ。もちろん、私はアメリカ人が大嫌いで、普通は見てるだけで不快になるのだが、一種の珍獣観察と思えばけっこう楽しい。
あと、私は人の家を見るのが大好きで、そのために『劇的!ビフォーアフター』みたいな番組まで見てたぐらいだし。

まあ、いい面も見てあげると、やっぱりアメリカ人は「多様性」という一点だけでもおもしろい
ほとんどがカップルの家なんだが、異人種婚もあれば、ゲイやレズのカップルもいるし、それ以前に、ひとりひとりが個性的すぎて飽きない。それにくらべて『ビフォーアフター』だと家は一軒一軒違っておもしろいのに、住人はみんな似たり寄ったりでまったくおもしろくない。

それでじっくり観察させてもらったところ、アメリカ中流階級というのは、基本的にクソみたいに金持ちで基本的に白痴が多いと身にしみて感じた。
いやいや、もちろんアメリカの貧富の差は日本どころじゃないので、中にはすごい貧乏人もいるだろうが、そういう底辺層はテレビには出してもらえないし、逆に上流はこんなところに出たがらないので、出てくるのはアメリカの中流家庭ばかり。

それでそういう奴らの住んでる家が(日本人の基準では)クソみたいに広くて豪華なんだよね。だから、インテリアにマッチしないというだけの理由で、猫のおもちゃや爪研ぎを置くことをいやがったりする。

それで白痴っていうのは、出てくる家族の顔つきとか体型とか言うことだけ見ればわかる。もちろん中には賢そうな人もいないではないが、おそらくテレビ受けを考えて、変なカップルばかり選んでるんじゃないかと思うぐらい、ヤバい感じの人たちがかなりの頻度で出てくるのだ。ニューエイジかぶれとか、創価学会員だとか、猫を完全に赤ちゃん代わりにしてるおばさんとか、霊能者とか(笑)。

こないだ見た回では、肥満猫の飼い主のお母さんが病的なデブで、しかも猫には自分と同じくドーナツ食わせて育ててるって、視聴者全員の「まずお前が痩せろ!」という声が聞こえてくるような人選(笑)。
でも優しいジャクソンははっきりとは言わず、自分が太っていた頃の写真を見せて、彼女を説得する。結果、お母さんは元のままだが、肉食に変わった猫はいくらか痩せた。
そのバカさ加減を楽しみ、猫に対する虐待に怒るのも楽しいが、そういうバカを見たときのジャクソンの表情(怒ると言うよりあきれかえって、心底悲しそうな顔をする)がとてもいいのでファンになってしまった(笑)。

というわけで、(意外な収穫だったジャクソン・ギャラクシーも含めて)全部だめというのが私の結論。それとアメリカのテレビ制作者は(映画制作者同様)やっぱり視聴者は白痴しかいないと思ってるんだな。

なんか近年ネットやテレビじゃ猫がもてはやされていて、猫さえ出しておけばいいという風潮があり、日本中がかわいいかわいいと騒いでいると、例によっての天邪鬼の私は大の猫好きにもかかわらずイライラする
もちろん誰だって自分の家の猫がいちばんかわいいから、自分のブログやフェイスブックやYouTubeに自分ちの猫を上げて自慢したい気持ちはわかるし個人の勝手だ。
わからんのはそこらのただの野良猫の写真やビデオをアップロードして、それを見に集まってきた連中がかわいいかわいいと騒いでいるやつ。最初はそういうのを見て、「事情があって家で猫を飼えない人が代償行為としてやってるんだろうな」と思っていたが、個人だけじゃなくテレビ局も同じようなことをやってるのを見て、変だと思うようになった。そういえば以前猫カフェについてもかなり辛辣なことを書いたが、あの気持ち悪さにも通じる。

何が悪いかというと、野良猫というのは本来かわいそうで同情すべきものなのだ。猫は野生動物と違って好きで野良で生きてるわけじゃない。人間の身勝手さのために苦しんでる動物。ほぼ必ず病気や飢えで苦しんでるし、それは外見にも現れていて、毛がボサボサだったり皮膚病だらけだったりノミだらけだったりして、どうせ長くは生きられない。もしきれいならそれはまだ捨てられたばかりということで、それはそれでかわいそうだ。
なのにそういう悲惨な様子の猫の写真を撮って、かわいいとか言ってられる神経がわからない。私に言わせりゃアフリカの飢えた子供の写真を撮ってかわいいと騒いでいるような蛮行。私はそういう写真を見ただけでかわいそうで目を背けてしまう。
かわいいと思うなら拾って飼うか、飼い主を捜してやれよ。なのに、そういう連中はただ写真を撮ってあとは「バイバイ!」なのだ。今は野良猫に餌をやるだけでも犯罪者扱いだから、ささやかなお礼をすることもできないし。

生きものを風景の一部か、あるいはインテリアかなんかのように扱う、なんでこういう世の中になったんだろうと思うに、やっぱり身近に生きものがいなくなって、接し方がわからないんだろうなと思う。
ペットを飼っているうちはたくさんあるはずだが、都会だと家の外でも普通に生きものと接するってことなくなったし。(私の子供時代だと、東京23区でも周囲は動物でいっぱいだった。虫やカエルやザリガニはもちろん、夜になるとコウモリが乱舞したり)

大学に大学猫(野良なんだが、大学で猫小屋を作ってやり餌もやっている)がいるんだが、学生を見てると、猫に興味があっても恐る恐る遠巻きにして見てる子が多い。手を出すにも見るからに危なっかしいので、警戒した猫に引っかかれてる。元が野良なのでおそろしく気むずかしくて、よほどご機嫌の時以外撫でさせないのだ。確かにこれじゃ危険すぎて、写真を撮るぐらいしかできないだろう。
だからペットブームが歪んだ形になるんだな‥‥と思っていたら、ペットの世界では私の知らないところで一大異変が起きていた! というところで次の記事に続く。